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創業四〇〇年
「総本家喜多品老舗」十八代目
北村真里子
× 星野リゾート 星野佳路

「発酵するまち」近江高島の食を
ファミリービジネスで守り続ける

北村真里子

元和五年(1619年)の江戸初期に創業、400余年の歴史を持つ鮒鮓(ふなずし)の老舗「総本家喜多品老舗」の18代目。関西女学院短期大(現・関西国際大短期大学部)と京都調理師専門学校を卒業し、京都市内の料亭に就職。その後、2000年実家に戻り、400年続く家業を夫と継ぐ。2012年に一度閉店するものの、2013年に家業を再開した。 公式サイト

Vol.1 「発酵するまち、高島。」ならではの
鮒鮓を作って400年

星野

今日は楽しみに参りました。

北村

遠いところ、滋賀県高島までようこそお越しくださいました。

星野

ロテルド比叡の村田巧シェフから「1000日漬ける」とか「琵琶湖固有種のニゴロブナしか使わない」など、いろいろと「喜多品老舗の鮒鮓」についてのうんちくを聞いていました。とても素晴らしいなと思い、ぜひ伺いたかったのです。

1000日以上の日にちをかけて熟成する創業四〇〇年「総本家喜多品老舗」の鮒鮓。熟成された身と赤い卵がねっとりとして、濃厚な味と香り。下に発酵飯を敷き、円く盛る「巴盛り」という独特な盛り方は北村さんの父、十七代目が考案したものだそう

1000日以上の日にちをかけて熟成する創業四〇〇年「総本家喜多品老舗」の鮒鮓。熟成された身と赤い卵がねっとりとして、濃厚な味と香り。下に発酵飯を敷き、円く盛る「巴盛り」という独特な盛り方は北村さんの父、十七代目が考案したものだそう

北村

ロテルド比叡で扱っていただき、ありがとうございます。最初に村田シェフからお電話をいただきまして。それもお料理をしてくださるだけではなく、実際に年に1回設けている二ゴロブナ漁の体験の日に、朝5時から一緒に船に乗っていただけたりと、とても深くかかわってくださり嬉しかったです。我々の鮒鮓は3年かけて作るものなので、そんな深い思い入れが通じたのかなと思っています。

星野

軽井沢にあるフレンチレストラン「ユカワタン」から来た村田は、軽井沢でも地元で食材を作っている人と一緒に仕事してましたから。最初から「素晴らしい方々が見つかりました」と興奮してましたよ。

北村

私は生まれも育ちもここですので、以前は鮒を漁師さんが持ってくるのが当たり前だと思っていました。でも、料理をするシェフが、いろんな仕事のあるなかで食材に関わるために来てくださることに刺激をいただきました。2012年に一度お店を閉め、2013年に再開店するにあたって、地元高島の材料で鮒鮓を作ろうと決めました。琵琶湖で一番古い83歳の漁師さんにいろんなことを教えてもらいながら始めたのです。

星野

83歳! それはすごいですね。今も現役でいらっしゃる?

北村

はい。いろんな方に講習されたりもしていますね。その方にお願いしていろいろ教えていただきながら。鮒鮓は琵琶湖の命をいただいているものだと思っています。

星野

一般の人は鮒って釣りではよく釣ったりはしますが。ここで鮒鮓が発展していったのは、なぜですか。なぜ鮒だったのでしょう。

北村

琵琶湖は今でこそコンクリートの堤になってきていますが、もともと湖岸には葦が密集していました。そこに鮒が卵を産みつけます。うちの祖父の時代は、獲りにいかなくても鮒は自然に集まってきていたようです。このあたりは米どころではありますが、たんぱく源を通年確保するため、鮒を発酵させ、保存食にしたのでしょうね。

星野

米どころだから鮒鮓も米に漬けたのか。

北村

鮒鮓を作るには鮒とお米と塩が一番重要なのです。塩は福井県の若狭から京都への「塩の道」を通って、やってきます。

星野

たんぱく源を保持するために、地域で獲れるものと地域で手に入りやすい食材で工夫した結果、生まれた文化なんですね。

北村

もともと鮒鮓は東南アジアから稲作とともに入ってきたと言われています。
琵琶湖だけではなく、九州や諏訪湖のほうでも過去には鮒鮓がつくられていたようです。いろんな条件で最後に残ったのが琵琶湖です。今は長野県諏訪湖でも復活に向けた動きがあるようですが。

星野

諏訪湖でですか? 地元の県なのに全く知りませんでした。でも琵琶湖はやはり有名ですよね。
さきほど、「どっぷり高島のものでいこう」と決めたとおっしゃっていましたが、琵琶湖周辺の地域によって、鮒鮓の作り方も違うものなのですか?

北村

鮒鮓は、なれずしの一つというイメージがあると思います。ご飯を発酵させた食べ物というイメージですね。この高島には五蔵の酒蔵がありまして、地元の方にはそこの酒粕で漬けた甘露漬の需要が強いです。お祭りごと、法事などで食べる機会があります。

「総本家喜多品老舗」の店構え。400年の歴史を感じさせる

「総本家喜多品老舗」の店構え。400年の歴史を感じさせる

星野

高島の特徴というのはあるんですか。

北村

もともとこの辺りには「大溝城」という安土桃山時代に築城された城がありまして。1619年にそこのお殿様の賄い方として仕えたのが「喜多品」の起源です。それで鮒鮓が得意だというので料亭になり、私の曽祖父の15代目が身体に良いものなのでもっと鮒鮓を広めたい、と特化したようです。京都の料亭にお届けしたりするようになりました。
ここ高島の地は水がきれいなのと、冬が寒くて夏が暑いというので、発酵食品をつくるのにとても適した土地なのです。この土地では鮒鮓に限らず、酒、酢、麹、味噌などを作っています。仕事としてというより、町ごとが発酵しているようなところなんです。

白衣に身を包み、ロテルド比叡の支配人唐澤と発酵蔵へ。ロテルド比叡では、喜多品の鮒鮓を発酵食品であるワインのジュレとチーズを合わせた前菜など提供している

白衣に身を包み、ロテルド比叡の支配人唐澤と発酵蔵へ。ロテルド比叡では、喜多品の鮒鮓を発酵食品であるワインのジュレとチーズを合わせた前菜など提供している

星野

発酵する町、って面白いですね!

北村

「発酵するまち、高島。」と、盛んに町おこしをやっています。地元の商工会が京都三条に高島のアンテナショップを出したばかりなんですよ。

Vol.2 「食文化を絶やすな」という支援と、
地域ぐるみの鮒の保護で「鮒鮓」復活!

星野

「発酵するまち、高島。」で創業して400年。よく代々、無事に続けてこられましたね。

桶から鮒鮓を取り出してくれるというので、自ら重石を持ち上げる星野。しかし、思ったより重かったよう(笑)。

桶から鮒鮓を取り出してくれるというので、自ら重石を持ち上げる星野。しかし、思ったより重かったよう(笑)。

北村

正直に申し上げますと、うちは無事ではなかったんです。2012年にいったん閉店していますから。父の代で、もう続けていけないと。経営的な事情と、鮒がもう捕れないと思い込んだことが理由でした。私はもう鮒鮓に携わることはないと思っていたのです。主人は愛知県で料理人をしておりましたし。
それを大津から和菓子屋さんの会長がお見えになって「この店の鮒鮓は滋賀県の食文化であるから、簡単に絶やしてはいけない」と。もちろん私自身にも代々携わってきたものを勝手に閉めていいのかという葛藤がありましたから、2013年の11月27日から、またやらせていただくことになりました。

星野

では本当にわずかの間だけ閉めていたんですね。

北村

本当はもう少し時間をかけて再オープンさせようとも思ったのですが、当社は木桶で鮒鮓を作っています。木桶に乳酸菌などが住んでいますから、菌が死んでしまうので、やるのであれば早くしないとと思いました。

長い年月、木桶に住む乳酸菌が喜多品の鮒鮓の味を作りだしている。蔵には現在9トンの仕込みがそれぞれの段階で熟成中

長い年月、木桶に住む乳酸菌が喜多品の鮒鮓の味を作りだしている。蔵には現在9トンの仕込みがそれぞれの段階で熟成中

星野

発酵食品ならではの特徴ですね。継続的にやり続けないといけないという。

北村

家庭で作るのであれば、1年ぐらいでできるものですが、うちは3年かかります。2013年に仕込んだものを2015年の冬にしかお届けできませんから。

星野

ワインに似ていますね。

北村

2年塩漬けにして、半年ご飯漬けをして、ご飯を入れ替えてまた半年、ご飯漬けにするのです。

星野

それは高島の作り方なのですか。

北村

そうです。うちの代々の製法の言葉に「百匁百貫千日」という言葉があるんです。百匁は375グラム、百貫は大きな木桶で、それを1000日かけて作りましょうと。それを守ってきた製法です。

星野

他の店はそこまで時間をかけないのですね。

北村

そうですね。3~4ヶ月塩漬けで、あとはご飯漬けという作り方が多いようです。鮒鮓を切ったときに、羊羹を切ったように卵がなめらかになることを理想としています。そうさせるには2年は塩漬けをしないと。

星野

まるで5年もののウィスキーと30年もののウィスキーの違いのようです。

北村

もうひとつの理由は、原材料の備蓄ですね。塩漬けは5年でも7年でも置いておけます。塩蔵保存ですから。それをご飯に漬けることによって初めて旨味が引き出せる、味がのるんです。喜多品の鮒鮓は琵琶湖にしかいないニゴロブナのみを使いますから、鮒の獲れ高によっては商売できない年もでてくる。鮒が成長するのに3年くらいかかりますから、そういう自然のことも考えて商売しなさいという意味もあると思います。

「近江の厳島」とも呼ばれる白鬚(しらひげ)神社の湖中大鳥居。琵琶湖の恵みを守っている

「近江の厳島」とも呼ばれる白鬚(しらひげ)神社の湖中大鳥居。琵琶湖の恵みを守っている

星野

2012年は鮒の仕入れ値も高かったのですか。鮒が生息している数というのはどうなんですか?環境を整える態勢もあるのですか。

北村

今、滋賀県のほうで力を入れてくださっています。具体的には外来魚のブラックバスとかブルーギルといった魚の駆除です。コンクリートで鮒の産卵場所が減ってきているという問題は、稚魚を田んぼで大きくしてから琵琶湖に放流するという対策でだいぶ解決されてきました。

星野

滋賀県の活動はいつ頃から始まったのですか。

北村

20年前くらいでしょうか。

星野

それは喜ばしいですね。ニゴロブナの保護はこれからも続きそうですか。

北村

稚魚の放流は地元の金融機関も力を入れてますし、続けてくださると思います。

この地に来て味わってもらう文化が
食と旅をつなぐ

星野

食べる方の需要はどうですか?

北村

ちょうど再開店のときに仕込んだ鮒鮓を去年お披露目させてもらったんですが、全国でお客様が待ってくださっていました。料亭、高級鮨店の方が中心です。応援してくださる方には5カ月もの、8カ月ものとお味見していただいて。1年に2~3回は試食会のようなことをしています。

星野

そういう、本当に応援してくださっている顧客の方って何人ぐらいいらっしゃるんですか。

北村

たくさんおられますが、こちらに来ていただくのは50人ぐらいに限定させていただいてます。昔ながらの鮒鮓の味を知る生き証人の方を中心に。

星野

待っている方にはどうやって届けておられるんですか。

北村

チルド便で全国配送しています。招待会のときはこちらに来ていただくのが一番なので。ここに来ていただくからこそ、思いをもってくださると。特に鮒鮓はお酒のおつまみとして愛されているので、造り酒屋五蔵のご当主にお願いしてうちの鮒鮓にあうお酒をセレクトしてもらいます。ここに来られる方には鮒鮓は値段が張るイメージもあるので、とびきり大きい鮒鮓をもういらないというほど食べていただきたいと思っています。

発酵飯の中から大きなニゴロブナが。発酵飯は海苔に巻いて焼いたりしても美味しいとのこと。ロテルド比叡ではアイスクリームに混ぜてデザートにしている

発酵飯の中から大きなニゴロブナが。発酵飯は海苔に巻いて焼いたりしても美味しいとのこと。ロテルド比叡ではアイスクリームに混ぜてデザートにしている

星野

鮒鮓と日本酒の文化というのは、世界にアピールできますよね。海外でもすごくウケると思います。特にヨーロッパの方は好きだと思いますね。

北村

フランスの方が来られましたけど、チーズに近いと。ダメな方はダメかもしれませんが、東南アジアもなれずし発祥の地ですし、召し上がり方さえちゃんとお教えすれば受け入れてもらえるかなと考えています。

星野

楽しんでくれると思いますよ。面白いですね。

北村

実際にもっと琵琶湖へ来ていただきたいですね。うちは南で大津寄りですが、北へいくとマキノというところがありまして、去年の4月に高島市内の3カ所の水辺景観で日本遺産(公式サイト)になっていますから。

星野

フランスのワインのようにその蔵元へ行って、そこで飲んだり食べたりすることを楽しむという旅ができるといいですね。それが旅行産業と食産業を結んでやりやすい。ロテルド比叡も含めて、日本の発酵文化を広めていきたいです。

Vol.3 ファミリービジネスの後継者問題。
娘が継ぐのは意外にも正解!

星野

さっき83歳の漁師さんの話をうかがいましたが、漁師も代々継がれているのでしょうか。その方は何代目ですか。

北村

16代目だそうです。

星野

へーっ。鮒を、ずっと!?

北村

それだけではないと思いますが、鮒がメインでしょうね。

星野

すごいですね。

北村

残念ながら血筋では後継者はいらっしゃらないのですが、若い漁師さんはいらっしゃるようです。

星野

もしいなかったら、私が探したいくらいです。

北村

天気から何から読んで、いい日を選んでくださるんですね。ロテルド比叡のシェフの村田さんが3回目にきてくださったときはえらく船が揺れまして。主人と私は酔ってしまったんですが、村田さんは平気で写真を撮っておられました。

星野

村田、漁師向いてるかもしれない(笑)。そういうのは大事ですよね。後継者というのは。若い人が血筋じゃなくても来てくれたらいいですね。

北村

うちも家内だけでは守りきれない部分は手伝ってもらって、と思っています。

星野

喜多品もちょうどオリンピックの前の年に400年ですものね。これは盛大にお祝いしなければ。北村さんは何代目ですか。

北村

私で18代目です。

星野

いつ頃から家業を継ごうと思われたんですか。

北村

私には兄と弟がいまして、女は私一人なので、正直、跡を継ぐとは思っていませんでした。母は自分の夢が舞妓さんだったので、私に踊りや唄の稽古をさせて、家業からはとても遠い生活でした。ただ、もしかして男兄弟が継がなかったときのことを思ったのか「丑年の女の子は家を継ぐらしいよ」と吹き込まれていました(笑)。
ちょうど平成元年に春休みに東京へ、滋賀県の物産展を手伝いに行ったんです。するとまだ20~30代の後継者の方たちが意気揚々と働いておられました。それを見て「もしかして自分も」と。それまではどちらかというと鮒鮓の家の娘だということは隠していたんですが。

星野

わかります。私も旅館の息子だということは言わなかったですからね。

北村

説明しても握り鮨と間違われたりするので。

星野

そうですね、積極的に言わないですよね(笑)

北村

でも東京で初めて見た光景は「これを伝える」ということなんだと。私はその後、短大を出て調理師学校へ行ったんですが。食べることが大好きなので、ホテルでアルバイト的に調理場で働いて、その後、ご縁があって京都の料亭でも働きました。そこで家業を継いで、努力されてる人をまた見ました。

星野

それはもう継ぐということを前提にステップを踏んでおられますね。

北村

計画的にではなく、直感で動いていたんですが(笑)

星野

では、学生のときに物産展に行かれなかったら、その後はなかったんですね。

北村

そうですね。弟はもうずっとうちの手伝いをしていましたから。

星野

お兄さんと弟さんは今はどうされているんですか。

北村

食とはまったく違う道に進んでいます。

星野

そうですか。難しいものですね。ちなみに最近、家業は誰に継がせるべきかという論文が出ていまして、一番成功しているのは娘婿、次は娘、3番目に息子だそうです。娘が継ぐのはかなり良いようですよ。

北村

そうなんですね(笑)、よかった。主人はずっと料理人をしていまして、2000年頃に母が体調を崩し、夫は手伝いのために「鮒鮓を作る」という意味がわからずに刺身包丁を一本もって京都からバイクに乗って来たんです。うちの父に「何しにきたんや」と言われたんですけど(笑)。技術を継ぐなら早いほうがいいということになって、私も一緒に学ぶことになったんです。
このあたりは酒屋さんも多いですが、やっぱり娘婿さんが継いでおられる例が多いですね。論文より先に実証されているかもしれません。

星野

家業を継いでいくときの世界的な大問題は「息子が経営に向いていない」なんですよね。世界の中でファミリービジネスが数百年続いているのはイタリアと日本なんですよね。圧倒的に数が多いのです。うちは4代目で102年で、リゾートでは長いほうですが、400年はすごいです。

把握ではなく、同じ価値観、
同じ文化を共有する

北村

私から星野社長にお伺いしたいことがあります。
たくさんのホテルや旅館を経営していらっしゃいますが、すべてをどうやって把握していらっしゃるのでしょうか。

星野

すべてを把握しているわけではありません。総支配人がいてくれますし、今、正社員が2300人くらいいますので、まずは「同じ価値観、同じ文化」を持つことを大事にしているんです。それをベースにそれぞれが自分自身で考えることができるようにしているんです。だから私はその全体の文化を維持するのにどうしたらいいかを常に考えています。今は、日本全国+南太平洋+東南アジアで36拠点ありますから、ちょっと専門用語になりますけど、ビジネスのスケールといいますか、それぞれの施設にとって全体で動くとプラスになることは何か?を一生懸命考えるようにしています。販売や営業、マーケティングは一箇所でやって効率化しようとか。旅行代理店への営業や交渉も一か所でやろうとか。ロテルド比叡のように小さな施設だけれども、強い個性を持っている土地と施設というのはメリットだからそれを生かそう。その役割分担をしている感覚です。

北村

素晴らしい発想ですね。

喜多品のすぐ側の酒蔵「萩乃露」をご用意してくださった。星野地元の信州の酒より甘く鮒鮓とよく合う

喜多品のすぐ側の酒蔵「萩乃露」をご用意してくださった。星野地元の信州の酒より甘く鮒鮓とよく合う

星野

私の譲れないところは、組織の文化とか価値観です。星野リゾートらしい環境で働きたいという人が入って来てくれているので、それはどの拠点に行っても文化とか雰囲気は共有できるようにと思っています。
ですから私も年に一度はすべての拠点にいくようにしています。全社員研修という私が全スタッフに今年度の総括と来年以降の展望をプレゼンテーションする場を設けています。その後、1時間半くらい時間をもらって社員会をやるんです。マネージメント側からスタッフに対して感謝を示す会なんです。

北村

先日、ロテルド比叡に泊まらせていただいて、料理を試食させていただきました。主人とではなく、あえて鮒鮓ビギナーの女性と伺わせていただきました。女子旅で楽しませていただいて(笑)。彼女がずっと話していたのは「母ともう一度来たい」と。私も短大のお友達とも来たいと思いました。発酵のお茶など、飽きさせない工夫が随所にありましたね。

老舗、旅や食を通じての地域の文化への貢献、ファミリービジネスの後継者などいろいろな共通点が多かった2人。今後も様々な試みが楽しみだ

老舗、旅や食を通じての地域の文化への貢献、ファミリービジネスの後継者などいろいろな共通点が多かった2人。今後も様々な試みが楽しみだ

星野

さっき「発酵する町」とおっしゃっていたじゃないですか。延暦寺もいいけど、京都と似ているじゃないですか。滋賀に来る理由を京都と違う魅力で打ち出すっていいですよね。 発酵している感をビジュアル的にも演出したいと思っていて、それはまたぜひご協力ください。

北村

はい、こちらこそよろしくお願いします。

星野

それがまた旅から帰ってきても鮒鮓を買いたいと思うことにもつながると思います。本日は18代目のこだわりをたくさん聞かせていただき、本当にありがとうございました。

構成: 森 綾 撮影: 内藤貞保

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