ねぶたを輸出して、世界的なアートに。
そんな可能性があってもいい
北村麻子
1982年10月生まれ、ねぶた師史上初の女性ねぶた師。父親であり、数々の功績を残すねぶた師の第一人者である六代目ねぶた名人の北村隆に師事。2007年、父親の制作した大型ねぶた「聖人聖徳太子(ねぶた大賞受賞)」に感銘を受け、ねぶた師を志す。2012年、青森市民ねぶた実行委員会から依頼されデビュー。そのデビュー作「琢鹿(たくろく)の戦い」が優秀制作者賞を受賞したことで注目される 公式サイト
星野
今日は「星野リゾート 青森屋」に来ていただきありがとうございます。このホテルでは、北村さんが手がけたねぶたをお祭りのショーで使わせてもらっていますし、オリジナルのねぶた制作も依頼するなど、お世話になっています。
北村
こちらこそです。ねぶたはお祭りが終わると解体してしまうので、こうして別のかたちで生かしていただけるのはありがたいです。
北村さんが手がけたオリジナルねぶた「どさ?湯さ!~嗚呼、極楽極楽~」
星野
すぐに解体してしまうんですか。
北村
そうなんです。青森って冬が長くて、夏はすごく熱気があるけどあっという間に終わるんですよね。ねぶたはそんな青森を現しているようで、儚さがあるのもいいと思っています。
星野
ねぶたは構想からどれくらいでできるものなんですか?
北村
1年がかりです。ねぶた祭は毎年8月2日〜7日なんですが、祭りが終わったら1か月くらいお休みして、その後すぐ次の年の構想に入る感じですね。
星野
ねぶた制作のスタッフは何人くらいいるんですか?
北村
紙貼りチームと、骨組みや色塗りをする制作チームに分かれていて、紙貼りチームは15人くらい、制作チームは4人くらいですね。
ねぶたの制作風景。オリジナルねぶたは、幅約1.8m、奥行き約1.8m、高さ約1.9mの山車となった
星野
そんなにいるんだ!すごいですね、20人チームだ。
北村
ねぶたは大きいものなので、一人だと大変なんです。
星野
そもそも、ねぶた師にはどうやってなるんですか?
北村
私の場合は父がねぶた師なので、弟子入りしたかったんですが、真正面から「ねぶた師になりたい」と言っても、だめだと思って。
ねぶた師の師匠であり父の北村隆さんと
星野
それはどうしてですか?
北村
これまでにも何人か女性のお弟子さんはいたんですが、みなさん辞めてしまい、父のなかで「女はねぶた師になれない」という印象がついてしまったみたいなんです。真正面から「やりたい」と言えば断られると思ったので、父に黙って通ってみようと。少しずつ入り込んでいったら、向こうも拒絶できないじゃないですか(笑)
星野
お父さんのアトリエにってことですか?
北村
はい、父の制作の現場に通いました。3年くらいは何も教えてもらえなくて悔しい思いをしましたが、父や兄弟子がやっていることを目で盗んで、少しずつ覚えて、技術を磨いていって。「女でもこれくらいできるんだぞ」というところを見せていったら、徐々に対応が変わっていきました。
星野
「ねぶた師になりたい」と言葉には表さなくても、毎日通っていると何となくわかりそうですよね。お父さんから「ねぶた師になりたいのか」とは聞かれなかったんですか。
父と娘の関係性に興味津々の星野
北村
それが全く聞かれなかったんですよね。
星野
そうなんだ、面白いお父さんですね。頑固な感じ。けど、嬉しかったんじゃないですか。
北村
いや、どうでしょう(笑)。私、小さいときから飽きっぽかったので、心配だったみたいですね。
星野
どのタイミングでねぶた師になりたいとお父さんに伝えたんですか?
北村
実は、ねぶた師になりたいとは言っていないんですよ。「勉強のために小さいねぶたを自主制作したいから教えてほしい」とお願いしたんですが、そのときは嫌がらずに、すごく丁寧に教えてくれましたね。
星野
そのとき、きっとお父さんは、娘がねぶた師になりたいんだろうと感じたんでしょうね。
星野
ねぶたでどの場面を描くかは、どうやって決めるんですか?
北村
私の場合は、使いたい色や描きたい動物から先に決めて、合う場面を探します。物語から入ってしまうと、ぱっと見たときのインパクトが出ないかなと思ってしまって。見る人って、物語のことをそんなに知らなくても、ぱっと見たときの印象で良し悪しを感じると思うんですよね。
星野
その考え方は、画家や彫刻家と一緒かもしれないですね。
北村
個人的には、ねぶたってサプライズ的な要素がなきゃいけないと思うんです。「うわぁ、今年はこうきたか」というような驚きが。なので、毎年違う印象を与えられるようなものをつくりたいです。
対談が行われたのは、青森県内の4つのお祭りが一堂に会するショー会場「みちのく祭りや」
星野
物語のほうから入るねぶた師さんもいらっしゃるんですか。
北村
ほとんどが物語から入られますね。
星野
お父さんはどちらからなんですか?
北村
うーん、どうなんだろう、聞いたことないですね……。
星野
次は何をつくるのか、相談とかはしないんですか?
北村
しないですね。私が聞いても絶対に教えてくれないです(笑)。父も私のことをすごくライバル視しているんですよ。
お互いに、その年のねぶたの構想などを明かすことはないという父と娘
星野
そうなんですか。お父さんは何歳ですか。
北村
うちの父は74歳です。
星野
いまだにライバル視しているんですね。若い証拠だな。
北村
そうですね。まだまだ若い者には負けない。
星野
娘の作品に一目置いているのかもしれないですね。そうすると、ライバル視したくなる気持ちもわかる気がします。
北村
そうだったら嬉しいです。
星野
できあがったとき、北村さんの作品に対して、評価とかコメントはあるんですか? 「今年はいいな」とか。
北村
「いいな」とは絶対に言ってくれないです(笑)。だめだったときは言われることがあって、ちょっとイラッとするんですけど、時間が経つと「こういう意味だったんだな」と納得できることも多いです。
半纏をスタイリッシュに着こなす北村さん。ふいに見せる笑顔が印象的だった
星野
褒めてくれたことはあるんですか?
北村
褒めてくれたことはないと思います。でも、父の態度を見て、「今年は多分いいと思ってくれているんだな」って勝手に汲みとる感じです。
星野
職人ですね、褒めてくれないお父さん。だけど、いいと思っているのはばれちゃう。なんかかわいいですね。
星野は北村さんとお父さんとのエピソードがお気に入りの様子
星野
それにしても、毎年新しいものを生み出していくって大変ですよね。
北村
そうですね。生みの苦しみというのはすごくあります。期待されるプレッシャーも、ずっと感じていますし。
星野
評価はどういうところから聞こえてくるんですか。
北村
ねぶたって22台(※)あるんですが、1位から22位まで全て順位がつくんですよ。なので、自分の制作したものがどの順位なのかが一目瞭然なんです。
※ | 2023年は23台の運行が決定 |
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星野
順位というのは、祭りに参加している人が決めるんですか?
北村
審査員の方がいらっしゃるので、毎年審査されて順位が決まります。
星野
そうなんですね。北村さんの順位はどういう感じなんですか。
北村
私はこれまで10年くらい制作しているんですが、1位が2回、2位が5回くらいですかね。
北村さんが制作したねぶたの数々。デビュー作となった2012年の「琢鹿の戦い」(写真右上)は優秀制作者賞、2017年の「紅葉狩」(左)ではねぶた大賞を受賞。2021年「雷公と電母」(右下)では金賞に輝いた
星野
すごいじゃないですか。
北村
ふふふ。でも、1位と2位の差ってすごく大きいと思っているので……。
星野
そりゃあお父さんがライバル視するのもわかる気がする。お母さんは褒めてくれることはありますか?
北村
母もそんなに褒めてくれないですけど、何となく雰囲気で、今年はいいと思ってくれているんだな、というのがわかります。
星野
1位をとったときは、家族でお祝いするんですか?
北村
いや〜、ないです。母は基本的にずっと父の味方なのですが、私が初めて賞をとったとき、父は私よりも順位が下だったので、そのときは全然喜んでくれなかったですね(苦笑)
星野
なるほど、勝負の世界だ。親心っていうのは不思議ですね。娘の作品がだめだと心配になっちゃうし、自分よりもいい作品だと、それはそれで心が穏やかじゃないんだね。北村さんは子どもの頃から負けず嫌いなんですか?
北村
そんなことないんですよ。でも、この世界に飛び込んで、自分が負けず嫌いだと気がつきましたね。
ねぶた師になって負けず嫌いを自覚したという北村さん
星野
負けず嫌いな気がしますよね。1位や2位をとる人って、順位にこだわっていると思うので。最初に参加したときは何位だったんですか?
北村
最初に参加したとき、2位でした。
星野
すごい!そこでもう火がついちゃったんだね。北村さんにとって2位がもう最低基準だから、それ以下だと悔しさが出てきちゃうのかもしれないですね。
北村
そうかもしれないですね。最初に2位をとっちゃったので、ハードルが上がって、それ以下になれなくなってしまった。下から順々に上がっていくんだったら、すごく楽なんですけども。
星野
新しいものを探さなきゃいけないけれども、それが新しすぎちゃうと、評価に繋がらないだろうし。
北村
そのギリギリのラインを攻めるっていうのが大変なんですよね。
星野
これは、ねぶた界のピカソを目指さないといけないですね。
北村
そうですね(笑)
星野
ちなみに、詳しいことは言わなくてもいいんですけども、今年はどういったものを考えているんですか。
北村
古典的な題材を選んでいます。古典を新しいかたちで表現する、というのが私の制作のテーマのひとつなんです。
星野
いいですね、リゾートづくりと同じだ。ここにある「神武東征(じんむとうせい)」も古典ですか?
北村
はい、そうです。実は昔からよくある構図なんですが、光の使い方を変えてみたんです。今までは光って黄色やオレンジで表現されることが多かったのですが、本当は七色なんじゃないかなと思って、こういうふうに表現してみました。同じ構図でも、色の使い方ひとつで新しく見せることができると思っています。
2019年の「神武東征(じんむとうせい)」は知事賞受賞
星野
進化しているということですね。
北村
はい。ねぶたって、これまで男性の制作者しかいなかったのですが、男性の好む色合いってあるんですよね。それを女性の視点で、私なりの視点で、新しいものにしていきたいという思いがありまして。
星野
北村さんが女性初のねぶた師とのことですが、これまでは体力的に女性だと難しかったということなんでしょうか?
北村
それもあると思います。昔は電動のドライバーとかもなくて、全部手打ちだったらしいんですよ。ねぶたって大きいものなのでほとんど大工仕事ですし、体力勝負なんです。あと、女性には男性的なねぶたの荒々しさや勇ましさが描けないんじゃないかと言われてきた部分もあると思います。
大きなねぶたを制作するためには、脚立に上ることも多い
星野
どの世界でも、「初」っていうのは大事ですよね。
北村
自分としては、いちねぶた師として、良いものをつくりたいだけなのですが。それでも、「女性初」として注目していただいたことによって、自分の作品や思いを世間の人に知ってもらうきっかけになったので、ラッキーだったなと思います。
星野
ラッキーな面もあるけど、いろいろ大変な面もあるでしょうね。
北村
子どもがお腹の中にいたときも、ねぶたをつくっていたので、女性初ということでいえばそこが一番大変でしたね。前例がなくて、どういうふうに妊娠中の作業を進めていけばいいのかわからなかったですし。
星野
え〜!それはすごいですね。
星野
その女性初のねぶた師である北村さんが、新しい作風や色合いを持ち込んで、1位や2位をとる頻度が上がっていくと、男性陣の自己変革が起こってくると思うんですよ。何となくそういう、自分の作風が広がりつつある感覚はありますか。
北村
自分で言うのもあれなんですけども……、少なからずあるのかなと思います。
自分の作風が影響して、競争が激化することすら楽しんでいると話す北村さん
星野
逆に言うと、北村さんにとっては競争が厳しくなりますよね。自分の個性や特徴だったものが、他の人にも取り入れられてしまうと、自分も進化しなきゃいけない。
北村
でも、ねぶたってそうやって順位がシビアにつけられて、「もっといいものを」と進化していくから、すごく面白いと思うんです。
星野
そうですよね、切磋琢磨ですよね。その次の進化は、何か考えているんですか。
北村
私は特に意識せずにモチーフや色使いを決めているんですが、父からは「男性が選ばないようなものを選ぶ」とよく言われるんです。なので、次にどうしていくかというよりも、素直に表現することこそが新しいねぶたに繋がるんじゃないかと思っていて、そこを伸ばしていきたいです。
星野
この大胆な構図と色使いを見ていると、そんな感じがしますよね。いい意味での変化であり、正統進化。でもそれを考えるのはめちゃくちゃ大変ですね。ねぶた師の方がそれぞれ工夫を凝らしているんでしょうけど、みなさん別々の方向に進化していくんでしょうか?
ねぶたの「下絵」と呼ばれるもの。全体像のイメージを固めてから制作に進む
北村
そうだと思いますね。ただ、ねぶたにも流行みたいなものがあるんです。昔はもっと男性的で“土っぽい”ねぶたが主流だったんですが、私の父の代くらいから照明などが派手になっていき、それまで使われてこなかった淡い色が使われ始めたので。その時代による流れみたいなものがありますね。
星野
なるほど。その中にサプライズ要素を探さなきゃいけないわけですね。それがすごく大変なんだろうな。
星野
だめならだめって言ってもらいたいんですけども。私はスキーばっかりやっているので、青森って八甲田山のイメージが強いんですよね。スキーを題材にするのは、伝統にとってはマイナスですか。
毎年4〜5日は八甲田山でスキーをするという星野。年々、ギアも日本製へのこだわりが増え、この写真ではスキーパンツはBogen、スキー板はベクターグライドを使用してるそう
北村
ちょっと、まだ早いかもしれないですね。
星野
ははは、やっぱりそうですよね(笑)。「ちょっとまだ早い」。
北村
そうですね。これから何十年も経ってきたら、可能性があるかもしれないですね。
「まだちょっと早い」けれど、いつかはスキーのねぶたが…?
星野
そうかあ。確かに、神話に出てこないもんな。スキーをもっと青森の伝統にしていかなきゃいけないのか。昔の人たちはレジャーじゃなくて、実用的なものとしてスキーをやっていたらしいんですよ。北海道に「ウポポイ」っていうアイヌ民族の博物館ができたんですが、そこにアイヌの人たちが昔使っていたスキーが展示してあったんです。でもやっぱり、もっと古くなきゃいけないんだな。
北村
アイヌは、ねぶたで描かれることがあるんですよ。
星野
そうですか、アイヌはいいんですね。感覚的なものだと思うんですが、どこにラインがあるんでしょうか?ちょっとずつ、これまでにないものに挑戦する人が出てくるんでしょうか?
北村
そうですね。新しい題材に挑戦する人もいます。
星野
「青森屋」では、ねぶたがお風呂に浸かっている作品をつくっていただいたのですが、オファーがきたときのことは覚えていらっしゃいますか。
北村
「ねぶたがお風呂に浸かって、気持ちよさそうにしているところ」っていうオファーをいただいて、「いやあ、これはどうしたものか」と思いました(笑)。ねぶたって、眉間にしわを寄せて、鋭い目で勇ましく戦っているシーンが多いので、最初はできるかなと、すごく悩みましたね。
星野
すごくよくできています。素晴らしいです。
北村
いろいろとイメージを集めました。温泉に入ったおじさんの顔とか。表情は一番苦労したところなので、何とかかたちになってよかったです。
戦いの後に温泉に浸かっているような、気持ちよさそうな表情。これを表現するのに苦労したそう
星野
あの作品の制作期間はどれくらいだったんですか。
北村
トータルで3週間ぐらいだったと思います。ねぶた師だったら、こういうのをつくろうとは考えないんですよ。でも、私たちの固定観念にないものをオーダーされることで新しい発見があったり、新しいものが生まれてきたりするので、いい経験をさせていただきました。
星野
その基準って面白いですよね。感覚的なもので、いけないっていうわけではないんですもんね。やはり、地域文化に根ざしていく題材ってことかなぁ。それなら私は、スキーが地域文化だと北村さんを説得していかなきゃいけないわけだな。
星野はなんとかして、北村さんにスキーを題材にしたねぶたをつくってほしそう
星野
日本画家の巨匠で堀文子さんという方がいて、軽井沢にあるアトリエによくお邪魔したんですが、彼女は旅に出ると作風が変わるんですよ。旅先でインスピレーションを受けているんでしょうね。だから北村さんも、守るべき伝統はあると思うんだけれど、旅をすると進化の方向が変わるかもしれないですよ。
北村
その堀先生は、現地で絵を描かれるんですか。
星野
そうですね。下絵は現地で描いていました。
北村
いつもと違う土地の空気の中で絵を描くと、きっと全然違うんでしょうね。
日本画家とねぶた師、「旅先でインスピレーションを得るもの」にも共通点が……?
星野
北村さんが旅をすると、ねぶたがどう変わるのかというのはすごく興味があります。堀先生は、イタリアのトスカーナに行ったときにそこの草花が気に入って、現地の農家の家の納屋をアトリエに変えていました。
北村
私もすごくガーデニングが好きで、作品をつくるときも、草花からインスピレーションを受けることが多いです。
星野
なるほど、そうなんですね。草花の特にどういうところにインスピレーションを受けるんですか?
北村
色ですね。草花のグラデーションって、何ともいえない色合いじゃないですか。自分の心を動かされたものって、作品にも影響するんです。
館内の「じゃわめぐ広場」と「のれそれ食堂」をつなぐ通路にて。ここを彩る灯籠は、季節によって変わる
星野
人工物よりも、自然なものの方がインスピレーションを受けやすいですか。
北村
そうですね。やっぱり自然から生み出される色彩とか、かたちって、人間には生み出せない素晴らしさがあると思うので。
星野
コロナ禍でねぶた祭が中止になった年がありましたね。ねぶた師のみなさんはどういう気持ちだったんでしょうか?
北村
戦時中に一度だけねぶた祭が中止になったという話は聞いたことがあったんですが、まさかこういうかたちで中止になるなんて想像もしていなかったですし、すごくショックでした。小さいときからずっと生活の中にねぶたがあったので、それが奪われてしまって、1か月くらいは家事も手につかなくなりましたね。
星野
ねぶたが開催されなかったのが2020年で、2021年はテレビ中継でやったんだよね。だけど、今振り返ると、どうですか。そのおかげで、ゆっくり構想を練ることができたとか。
北村
実はそうなんですよ。それまで毎年、作品づくりに追われていたんですが、一度立ち止まったことによって新しいアイデアを考えたり、技術を磨くための勉強ができたりして、私にとってはすごく大事な期間でした。
星野
1年間のブランクがあったわけですが、制作に追われることから脱却して、2021年のテレビ中継のとき1位になったんですもんね。すごいですよね。観光もそうですけど、コロナ禍って意外と進化するチャンスにもなりえたんですよね。止まってしまったことを生かさない人もいれば、生かす人もいる。
コロナ禍でテレビ中継とライブ配信のみとなった、2021年の作品「雷公と電母」。この年限定の賞である「金賞」を受賞した
北村
進化するチャンスだったというのは確実にありますね。今まで父から教わったやり方しか知らなかったんですが、お休みしたときに自分のオリジナルの方法を完成させたんですよ。骨組みのやり方ひとつで、顔の表情って全然変わるんです。
星野
「コロナ進化」って私は呼んでいるんですけどね。私たちの会社でもそういうことがありますから。1年間も休みがあるなんて、この先もう一生ないかもしれないですもんね。ねぶた師さんは1年だけ休むみたいなことはあるんですか。
北村
ねぶた師が1年休むってことはないですね。一度やめてしまうと、もう仕事がこなくなります。
星野
厳しい世界。横綱みたいじゃないですか。
北村
ねぶたは自分の人生そのものになっていますね。小さい頃からずっとそばにあったものだし、ねぶたを中心に1年が回っていますし。そのときの自分の状況が作風に現れると思うので、自分を映す鏡だとも思います。
コロナ禍により一度立ち止まったことが、ねぶたと向き合う良い機会になったという北村さん
星野
これからも、ねぶた師としてずっと続けていこうと思っているわけですね。
北村
もちろんです。
星野
今後どういったねぶた師になっていきたいですか。
北村
ねぶた師を続ける限りは、一番を目指して制作していきたいですし、後継者も育成していかないといけません。あとは、海外に進出してみたいという気持ちもあります。
星野
それは素晴らしい。北村さんにぜひ海外に行ってほしい。そういう動きってあるんですか?
北村
これまでにも、ねぶたを海外に持っていくということはあったんですが、そんなに頻繁ではありませんでした。コロナ禍も挟んでいたので、私たち中堅ねぶた師は海外に行ったことがほとんどなくて、だからこそ、これから海外にも進出していけたらと思っています。
星野
そういうきっかけをどんどんつくっていかないとですよね。後継者の育成もしていかなきゃいけないわけですし。若い方も結構いらっしゃるんですか。
北村
そうですね、高校生もいます。他の伝統工芸などでは、後継者不足だという話を耳にするんですけれど。ねぶた師に関しては、志す人は結構多いのかなと思います。
星野
北村さんに対しての長期的な期待をひとつ言ってもいいですか?
北村
はい、なんでしょうか。
星野
ねぶたはアートとしての完成度がすごく高くなってきていると思うんですよね。だから、アートとして世界に出していく。これは伝統とかの観点でいうと抵抗があるかもしれないんですが、ねぶた師さんの技術と感性を芸術に生かしていってほしいんです。
北村
アートの話でいうと、2022年に「松屋銀座」のクリスマスディスプレイを担当させていただいたんですが、普段のねぶたでは用いないモチーフを制作して、とても新鮮でした。ねぶたって荒々しいので、女性のファンがつきにくかったんです。でも、サンタやシロクマのようなモチーフに落とし込んだときに、あたたかさとかわいらしさが意外とマッチして、女性にも受け入れられたんですよね。
グラフィックデザイナーの佐藤卓さんが描くクリスマスの世界を、ねぶたの手法で制作した
星野
それはいいですね。外国人の方たちが考える、いわゆる日本らしさって、京都のようなイメージがあると思うんです。でも、京都にはなくて、これだけインパクトのあるねぶたを輸出していくことで、これまで世界が知っていたのとは違う日本を発信していくということができる。
北村
きっと、青森を世界に発信することにも繋がりますね。
星野
私の中では、この先例えば30年続けているうちに、どこかのタイミングで「世界の北村」になるイメージなんですよ。そういうときがくればすごいなと思います。例えば、ニューヨークに引っ越してアーティストとしてねぶたづくりをやっていく。
北村
ふふふ。そうですね、いろんな可能性があっていいと思います。
「みちのく祭りや」の入り口にて
星野
ぜひニューヨークのアーティストになるぐらいの気持ちで、考えてもらえたら。そしたら、ニューヨークにホテルつくっちゃおうかな。「ねぶたホテル」。
北村
いいですね。ねぶたって他にはないあたたかさがあると思うんですよ。ねぶたをきっかけに、日本や青森に興味を持ってもらえるといいですよね。
星野
世界から見ても、これだけインパクトがあるねぶたってすごいと思いますから。「世界の北村」になってもらえるよう応援しています。
構成・原稿 : 栗本 千尋 撮影 : 田表 壮 対談日 : 2023年4月6日