
ヨーロッパアルプスに
魅せられ50年。
いまだ尽きない魅力とは?
神田泰夫
1949年、静岡県浜名郡(現・浜松市)生まれ。誘われて行った山にハマり、高校を中退。谷川岳や涸沢(からさわ)などの岩場登攀に熱中した。20歳の時、シベリア鉄道に乗ってヨーロッパアルプスへ。山仲間が集うシャモニーで暮らしながら好きな山に登る一方、シャモニー中心部の「スネルスポーツ」に約30年勤務。シャモニーを訪れる日本人クライマーの増加にともない遭難が相次いだことで、救助隊の依頼を受け通訳業務を担当。キャンプ場に集まる日本人クライマーの助っ人としても慕われるようになった。
現在はシャモニーで妻が経営する、アウトドアスポーツ旅行の手配及びマスコミ等のコーディネートなど総合的な日欧関係の仕事を行う「アルプ・プランニング・ジャポン」でガイド業などを担当。
アルプ・プランニング・ジャポン
星野
この度は、私のフランスでのスキー旅をサポートしていただきありがとうございました。
神田
どういたしまして。
神田さん親子がコーディネートしたFrench Alpsスキー場視察ツアーで滑る代表の星野
星野
神田さんはなんと50年前にフランスの、シャモニーに引越していらっしゃったそうで。そのきっかけが崖登りっていったらなんですけど、ロッククライミング。
神田
そうです。ロッククライミング。
星野
それと、山登りということで。私が運営している谷川岳(谷川岳ヨッホ)にも、日本にいらっしゃった時においでくださったそうで、とっても親近感を覚えたんですけど(笑)。
神田
あはは!
星野
神田さんがシャモニーに来られたきっかけですが、何か大きなチャレンジがあったんですか?
シャモニーはフランス東部に位置する国際的な山岳リゾート。
モンブランの麓にあり、スイス・ジュネーブから車で1時間ほど
神田
チャレンジっていうか、かつて北アルプスの涸沢に行って、周りの山、例えば滝谷とか屏風の東壁とかそういうところを登っていた時に、ヨーロッパ帰りの日本人のクライマーと出会ったんです。それで「一緒に登ろう」ってなって。
星野
それは何歳くらいの時ですか?
神田
まだ17歳くらいかな……、18歳ですか。
星野
日本でロッククライミングが始まった頃ですかね?
神田
かもしれないですね。それで当時ガンガン登っていたら、そのクライマーに「ヨーロッパの山はデカいよ」って言われて。その言葉に魅せられて、「ヨーロッパに行こう!」って、2年間必死に働いて。
星野
それは渡航費用を稼ぐためにですよね?
神田
そうですね。
星野
17歳の神田さんを誘ったっていうことは、やっぱり上手かったとか。
神田
ある程度はもう、一般的な岩登りは全部できるような状態だったから。
星野
なるほど。それで見込まれたんですね。
対談はフランスのブール=サン=モーリスにある「HOTEL LA CACHETTE LES ARCS 1600」で行われた
星野
神田さんがシャモニーにいらっしゃったのは、19歳?
神田
20歳過ぎです。
星野
その稼いだ渡航費で来て。
神田
はい。目的はグランドジョラス北壁、「ウォーカーバットレス」ですね。
名峰・グランドジョラスの北壁をスキー場より星野が撮影
星野
モンブランは有名ですけど、グランドジョラスっていう山があるのを、私も今回初めて知って。そのグランドジョラスの北壁を初めて登ったのが、神田さんたちのグループ。
神田
それは翌年の冬ですね。シャモニーに行った年は、北壁を「ウォーカーバットレス」というルートで登りました。その翌年の冬に「中央クロワール」というルートを日本人5人で登ったんです。
星野
その「中央クロワール」というルートで北壁を初めて登ったのが、神田さんたちだったと。
神田
はい、初めてです。
星野
すごいですよね! それは今でもジャパンルートという名前が付いて知られています。日本の登山家の方々にとっては、ものすごく大きな達成感だったと思うんですけど。
その冬というのは何年だったんですか?
神田
1972年です。
星野
何日かかりましたか?
神田
最終的には10日かかりました。
最初1月に下見に行った時、僕はそのグループに入っていなかったんですよ。いろいろ荷揚げをした後、その中の2人が「仕事をしなきゃいけないから」って山を降りて、代わりに僕ともう一人が入ったんです。5人っていうのは僕、斎藤和英、宮崎秀夫、加藤保男、中野融(とおる)です。
1972年、冬季グランドジョラス北壁・中央クロワールを初登攀、ジャパンダイレクト(日本人ルート)を開いた。後ろにそびえるのはモンブラン。
左から2人目が神田さん
星野
なるほど。そのためにはかなり計画したりとか、装備も大変でしたか?
神田
装備はすごかったですね。当時は今みたいにいい道具がなくて……、ピッケルもアイゼンもロープも。まあ、今の道具に比べたら旧式の道具っていうか(笑)。
星野
ははは!
神田
ねえ(笑)。
星野
グランドジョラスを登られた時は21歳ですよね。怖さってなかったんですか?
神田
その時は何にもないですよ。もうイケイケのムードで。「行くんだ!」っていうような感じで、みんなね。
星野
なるほど、「行くんだ!」っていう。結構自信があったってことですかね。
神田
もちろん、皆さん自信があったし。途中で1回落石に当たるというアクシデントもあったんですけど、それでもどうにか登れたから。
星野
北壁っていうと、私も写真見ましたけど……。
神田
下の三分の一は氷壁です。それから岩や氷が混ざったクロワール(岩溝)状態のところを登っていくんですが、ほとんど垂直の壁です。
スキーを愛し、「年間の目標滑走日数80日」を掲げる星野。
神田さんが語る冬の過酷な登攀に、世界中の雪山を滑る星野も興味津々
星野
それを10日かけて、どういう風に登られるんですか?
神田
途中でプラットフォームみたいなのを作って、そこでツエルト(簡易テント)をかぶって寝泊まりするんです。
星野
時々写真で見るんですけど、崖にロープと板で桟橋みたいのを作って。
神田
桟橋っていうよりも岩にピンを打ってね、それで自分のハーネスにかけて一晩過ごす。
星野
そのままそこに寝ちゃうんですか?
神田
そうですね、コックリコックリと。
星野
おぉー!
神田
「寒いね」って言いながら(笑)。
星野
食事も(笑)?
神田
食事もそういうところでバーナーで雪を溶かして、インスタントラーメンとかインスタント食品みたいなのをふやかしてね。
星野
なるほど。いやあ、すっごいですね。
神田
まあ、楽しかったです(笑)。
標高4,208mの名峰・グランドジョラスの北壁は、その険しさからアルプス三大北壁の一つとして名高い。休憩を取りつつ、ほぼ垂直の氷壁や岩を登って頂上を目指す。
一番右が神田さん
星野
そういう経験が楽しいっておっしゃるんですから、やっぱりクライマーの素質っていうか、本当に好きだったんですね。
神田
好きだったんですよね。
星野
その後、他の4人の方はプロになられたんですか?
神田
皆さんほとんどプロの状態で、スポンサーが付いたのが2人。その一人の加藤保男は、1982年の冬にエベレストに単独で行ったんです。頂上まで行って、帰りに強風で飛ばされて帰ってこなくなってしまったんですけどね。
もう一人、中野融はガッシャブルムⅡというパキスタンの山へ、フランス隊のカメラマンとして付いていったんです。それで一人でビッグスロープを登っていて、上からの雪崩で飛ばされて……。
星野
亡くなられた。
神田
ええ。僕も彼の奥さんと一緒に現地に行って、遺体を運んで荼毘(だび)に付して、それでまた連れてきたんですけれどもね。
星野
あとの2人の方は?
神田
2人はまだ登っています。
星野
今でも活躍していらっしゃる。
神田
今でもまだまだ山登りしているかな。一人はちょっと体壊しちゃって、あまり動かなくなっちゃったけど。
星野
いや、すごい世界ですね……。危険がある登山を続けていると、どんなに慎重な方でも事故は起こりますからね。
神田
はい。
星野
私が神田さんにとても興味を持ったのは、そういう体験をしにシャモニーに来た20代の若者が、一生懸命貯めたお金で往復のチケットを買っていたのに、帰りのチケットを売ってそのまま残ったという。
神田
そうそう(笑)。
ヨーロッパ旅行が一般的でなかった1960年代、神田さんは新潟からソビエト連邦(現・ロシア)のハバロフスクへ渡り、シベリア鉄道に乗ってヨーロッパアルプスへと辿り着いた
星野
50年経った今でもシャモニーにいらっしゃるという、そこが私はすごいなあと思って。フランスの山登りをしていた神田さんが、今でもシャモニーで私たちの旅をサポートしてくださったりしているんですが、シャモニーのどういうところに魅せられたんですか?
神田
やっぱりね、シャモニーって激しい山が多いでしょ? そういう岩登り自体も魅力的な土地柄なんですよね。毎日山を眺めていても毎日景色が違うから、全然飽きないです。いろんな山がいろんな気象条件によって変わってくるし。春、夏、秋、まあシャモニーの人は冬と夏しかないっていうんですけど、冬と夏の景色もまったく変わるので。
アクティビティも、ゴルフやったりスキーしたり、登山、ハイキング、なんでもできる。
シャモニーのスキー場にて代表星野の記念撮影
星野
一番有名なモンブランは、もう本当に目の前にそびえ立っている感じが凄まじかったんですが、あれが4,800m?
神田
4,807mから4,810m。その年によって、ちょっと高さが違うんですよ。その年の降雪量によって、上がったり下がったりするんですよね。2年毎に測量に入るんですけど。
星野
なるほど。変化していくんですね。
そういった険しい環境のところにもガイドとかで登頂されていて、本当に大変な、まあ神田さんにしてみれば「楽しかった」ってことなんですけど。こういうすごく危険な、リスクがあるけど楽しいっていうのは、私がやっているような経営やビジネスとちょっと共通するところがあるんですけど。
神田さんにとって、長い年月の中でリスクをマネージメントするっていうんですか、生き延びてきた……。
神田
生き延びてきた、ですか。
星野
ええ。どんなことに一番気をつけていらしたんですか?
神田
やっぱりね、岩登りする時は常に真剣になりますよね。一挙手一投足、つかむところ、足を乗っけるところによって、例えば浮石なんかつかんだら落っこちてしまうし。それだけは神経使いましたよね。
星野
真剣、っていうのは慎重に?
神田
はい。慎重に。
星野
もちろん準備も必要なんでしょうし。
神田
ええ。やっぱりトレーニングも必要だし。
星野
一つのチャレンジをするためのトレーニング。
神田
そうですね。岩登りをするために、いかに安全に登るか。そのトレーニングをすることによって、自分の身体の動かし方、そういうものをコントロールできる。
星野
今、ボルダリングがスポーツになったりしていて。50年前は考えられなかったですけど。
神田
考えられなかったです。その当時は、今のボルダリングがまるっきり現場の岩登りですよ。
星野
日本ではどこで練習なさっていたんですか?
神田
僕は静岡県の浜名湖のほとりで生まれているんです。それで家から1時間くらいのところに、立岩(たていわ)っていう40mくらいの岸壁があって、そこにしょっちゅう行ってました。
星野
そうなんですか。じゃあ、高校生くらいの時から?
神田
高校を中退してからです(笑)。
星野
あ、そうですか(笑)。岩登りに夢中になって?
神田
夢中になって(笑)。それからです。
高校を中退するほど岩登りにハマった神田さん。
好きなことに全力でチャレンジするバイタリティは、お互い共通するところ
星野
岩登りを始めたのは、何かきっかけがあったんですか?
神田
岩登りに誘ってくれた人がいたんです。僕が高校でうまくいかなかったから、「じゃあ、俺のところに来い」って。それで岩登りに連れていってくれたんですよ。
その人は左官をしていた時の兄弟子っていうか、当時はまだ一緒には仕事していなかったんですけど、彼が僕をひっぱってくれたんです。それで面白くなって、どんどん登るようになって。それから一人でも行くようになって。
星野
うーん、すごいですね。高校であんまり真面目な学生じゃなかった人が、崖登りが始まった途端に。
神田
ねえ。やっぱり変わっちゃったっていうか。
星野
真剣になって、慎重になって。一つ一つ達成していくということは、今の若い人たちにとっても、きっかけさえつかめば夢中になれるものを見つけられるということの参考になるんじゃないかと。
神田
ええ。やっぱり高校生活、学校生活と180度変わっちゃったから、岩登りを始めてからは。だからもうヤンチャなこともできないし、それに突っ込むしかないし。
星野
なるほど。
星野
50年という長い間シャモニーで生活されていて、よく言われる地球温暖化による変化みたいなのはいかがですか?
神田
氷河を見ていると、はっきりわかります。僕らがシャモニーに来た当時の氷河の先端の位置と、今の先端の位置を見比べると、どんどん後退して氷河がちっちゃくなってる。
例えばメール・ド・グラス(フランス最大の氷河)なんかは、表面の氷の位置がずっと下、100m近く下がっちゃってる。たかが50年でそれくらいのことがわかるから、まさに地球の温暖化ですよね。
星野
こういうところに住んでいらっしゃったりすると、実感する部分がすごく大きいと思うんですよね。都会に住んでいるよりも。
神田
はい。例えば雪の厚さ。その年に降る雪の厚さもどんどん薄くなっているし、庭に残っている雪も早く溶けちゃって春になるし。
地球環境に多大な影響を及ぼしている温暖化。氷雪に覆われたアルプスは、その影響がより顕著で深刻だ
星野
なかなかね、世界がそういう温暖化を止められるような動きになっていないところが心配なんですけど。シャモニーはこれからどうなっていくんでしょうね。
神田
どうなっていくんでしょうねえ。やっぱりこの状況を認めざるを得ないっていうか。
でも、ローマ時代ってかなり暑かったらしいんですよ。その当時も氷河が小さくなっていたと聞いています。だから地球はこれまでもあったかくなったり、寒くなったりしていて。
星野
ええ。人類が何かいい方法を考えて。
神田
そうですね。
星野
そういう不安を感じながら生活していると、どうしても未来が明るくなっていかないので。私たちもできることはやっているんですけども、まだ十分じゃないという感じもしていまして。
今回いろいろご案内いただいて、そのあたりも新たな意識を持ちました。
名峰モンブランを背景に記念撮影する代表 星野
スキー場視察ツアー中のクーシュベルにてスキー滑走前の集合写真(手前右が神田 泰夫さん、手前左が今回スキーガイドやアレンジを担当した息子の翔太さん)
星野
神田さんの会社はシャモニーにあって、今後は息子さんたちが引き継ごうとなさっているそうで。
最後に、日本の方々にシャモニーを宣伝していただけますか。
神田
シャモニーっていうところは、本当になんでもできるんです。スポーツも岩登りや山登り、スキー、ゴルフ、乗馬、ラフティングとか。
世界各国から観光客が訪れるシャモニー。スイスやイタリアへのアクセスの良さも魅力
星野
モンブランの上まで行くとか、先ほどのお話のような北壁を登るなんていうことは、なかなか一般の人はできないですけど、ちょっとしたハイキングというか。
神田
もちろんハイキングも。
星野
山登りが趣味という方は、日本にたくさんいらっしゃるんですよね。そういった方々も楽しめますか?
神田
ええ。うちにもハイキングのお客様が多くいらっしゃいますし。
星野
今回のツアーも4,000mクラスの山が目前に迫る、日本ではなかなか見ることができない圧倒感でした!
本当にシャモニー、モンブランの素晴らしさを実感しました。
雄大な山岳を背景にシャモニーの街並みを歩く代表 星野
神田
ありがとうございます。そういった景色を眺めているだけでもね、楽しいし飽きないです。
神田さんの会社「アルプ・プランニング・ジャポン」では季節ごとのツアーの他、宿泊や空港送迎の手配なども実施
星野
実際にツアーでも、景色を眺めているだけのお客様もたくさんいらっしゃるということで。
神田
そうです。
星野
シャモニーっていうと、スキーだけではなく年間通して大自然の絶景が楽しめる、素晴らしい場所なんで、ぜひ日本の皆さんもおいでになる際は神田さんを頼ってください。
神田
ありがとうございます(笑)。
星野
今日はいろいろお話を聞かせていただきありがとうございました。
ペンション「シャレー・ジャポニアール」にて。神田さんの日本の友人、グランドジョラス北壁初登攀のメンバー、シャモニー在住の仲間など、時を経た今も親交は続いている。右から2人目が神田さん
構成・原稿 : 原口かおり 対談日 : 2025年3月24日