-
振る舞われたニンニクとタコ。
人々に取り巻かれる根原家。
-
奉納芸能がすべてが終わると、間をあけずに、世持御嶽の神前でイバン(九年母の葉)の儀式が神前で行われた。この儀式に参列してイバンをいただいた者はユークイ人となり、翌朝のイバン返還まで夜通しユークイに参加しなければならない。すでに眠気を覚えていた私は神前を離れ、ユークイが向かう根原家(種子取祭を戊子の日に定めた根原金殿の子孫宅)に先回りした。
18時45分、神司を先頭にした集団が暗くなった道を歩いてやってきた。人々の頭には白い鉢巻がまかれ、そこにイバンがはさんである。朝の「参詣」とは違い、観光客らしい人々も多い。ユークイ人たちは「巻き歌」を唄いながら根原家の庭へと進み、世持御嶽の広場のときと同じようぐるぐるとに円を描いていった。テレビカメラ用の照明を浴びた庭にまた渦が生まれてほどなく歌が終わり、ユークイ人たちは東西に別れて向きあい、いくつかの儀式をすませて根原家の子どもを胴上げすると、家の座敷へ上がりはじめた。
全員が正座し、神司の根原金殿への祈願が終わると、ユークイ人たちには御酒と肴がふるまわれた。座敷のすぐ近くに立っていた私も肴をいただいたのだが、中身はたまり漬けのニンニクとタコだった。
-
私は根原家の方に礼を言ってその場を離れ、同行スタッフと分けあって食してみた。強い辛みのあるニンニク、しっかりした歯ごたえのタコ。房をなす一片からもしっかり発芽するニンニクと足が八本あるタコにこめられた思いは、「作物がしっかり芽を出し、たくさん育ってほしい」という願いだった。
祭の裏方、座待を務めていた「星のや 竹富島」の澤田総支配人に話を聞くと、こうして根原家のユークイが終わると、玻座間東・玻座間西・仲筋の三つの集落に分かれてそれぞれの各家々を廻り、根原家と同じような形式でユークイをくり返すとのこと……。祭はハレだが、未明から翌朝までハレが連続する祭も珍しい。 徹底した神への祈り、祖先神への願いがそうさせているのは間違いないが、それだけに裏側のケの厳しさが透けて見える。 -
作物に適さない、水の確保すら困難で、今年もそうだったように台風が年に何度も襲来する土地で、食料を確保する難しさ。数百年前の島の人々にとってそれは、文字どおりの死活問題だったはずだ。そのために人口が増えれば強制移住も行われた。そんな辛い歴史は芸能の演目にもはっきりと残っている。
種子が根づき、作物が豊かに実るよう「うつぐみの心」で願う祭、種子取祭。
思えば、半世紀ほど前までは、日本各地で同じ苦難と向きあっていた。どんな土地にも食料にまつわる厳しい歴史があり、住民は一致団結して危機を乗りこえて安寧を願った。だから、竹富島の人々が全力を注ぐ種子取祭は、日本の原風景を私に思いおこさせた。
-
竹富島ゆがふ館
竹富島の自然と伝統文化・芸能を紹介する施設。展示も分かりやすく、地図や資料も充実している。まずここを訪れ、基礎知識を得ると島文化をより理解できるだろう。フェリーが発着する東港のすぐ近くにある。
-
竹富島ゆがふ館
石垣島から竹富島へ渡る離島ターミナルに程近い人気の八重山そば店。開放感のある店内を抜ける風がとても気持ちいい。そばつゆの出汁がしっかり出てたいへん美味しかった。
沖縄県石垣島石垣203 -
ちろりん村
竹富島の仲筋地区にある深夜までやっているカフェ。ユークイの夜に、集落に響くユークイの祈りを聞きながら、ニンニクとタコをつまみにおすすめの泡盛「宮之鶴」(仲間酒造)を飲んだ。
沖縄県八重山郡竹富町竹富653 -
ファーマーズ マーケット
ゆらてぃく市場地元で採れた旬の島フルーツや野菜がたくさんあるJAおきなわの直売所。新鮮なものばかりなので、旅行者にも人気の場所である。
沖縄県石垣市新栄町1-2
- 長薗安浩
- 作家。1960年長崎県で生まれ。「就職ジャーナル」編集長を経て、「ダ・ヴィンチ」の創刊編集長などを務め、2002年より執筆に専念。著書に『セシルのビジネス』(小学館)、『あたらしい図鑑』(ゴブリン書房)、『最後の七月』(理論社)、『夜はライオン』(偕成社)などがある。
- 久間昌史
- 写真家。長崎県壱岐市生まれ。写真家・故 管洋志氏に師事後フリーランスに。東京を拠点に料理、人物、風景等、ジャンルを問わず雑誌、広告で活動。「動く写真」をコンセプトにした動画撮影も好評。日本写真家協会(JPS)会員。
KUMAFOTOオフィシャルサイト
・「竹富島文庫I 種子取祭」狩俣恵一 遺産管理型NPO法人たきどぅん
・「夕凪の島」 八重山歴史文化誌』大田静男 みすず書房
※本文中の小サイズの写真は長薗さんによるスナップです。