奈良市街と京都を結ぶ奈良街道沿いの静かな住宅地。丘の上に煉瓦積みの長い塀が忽然と見えてくる。
名煉瓦建築が
“放射状”である意味
まるで空撮写真とみまがう精巧さの『奈良少年刑務所模型』(写真上)。平成15年、奈良監獄が少年刑務所として稼働していたころ、受刑者の職業訓練の一環で制作されたものです。表門のドーム型の双塔をはじめ、門前のポストや桜の木立まで1/325寸法で忠実に再現されたジオラマには、自らが暮らす場所を精密に描写しようという訓練生の愛着が込められているかのようです。
敷地の奥に広がる放射状の舎房(収容棟)は、19世紀初頭にアメリカの建築家ジョン・ハヴィランドが考案し、国際的に広まった「ハヴィランド・システム」に基づくものです。中央看守所から複数の舎房が扇のように伸び、一点から多方向を見渡す監視機能と、独居房を連ねることでプライバシーを確保するという画期的な構造で、明治政府は世界各地の監獄を視察し、この最先端の建築様式を取り入れたのです。文明開化の時代にふさわしいその威容は、日本の司法制度や人権意識の近代化を象徴するものとして、人々に新鮮な驚きを与えました。
維新まもない明治5(1872)年、新政府は全国に『監獄則』を布告。「獄は懲戒であっても痛苦を与えてはならず、仁愛によるべきもので残虐するものではない(大意)」とその冒頭に掲げ、江戸期までの牢獄と刑罰の概念を改め、“文明国”にふさわしい監獄建造計画に、国策として取り組む姿勢を示していました。その背景には、欧米列強に追いつくために司法制度と人権意識の近代化を急ぐ、明治政府の強い意思があったのです。
明治41(1908)年の奈良監獄竣工時、さらに人々の目を引いたのは、その表門や庁舎を覆った優美なアーチ型曲線。ドームと瓦屋根の調和、漆喰の白と煉瓦色の対比——それらの外観は、厳(いかめ)しいだけでない西洋のお城のような美しさで、古都奈良の街に溶け込んでゆきました。
やがて奈良監獄から奈良刑務所、奈良少年刑務所と役割や名称を変えつつ109年。長く地域の人々からも親しまれ、初期意匠を保ったまま平成29(2017)年にその使命を終え、同年、国の重要文化財に指定。
2026年6月、星のやはこの場所を9つ目の施設「星のや奈良監獄」として再生します。近代国家として歩き始めたばかりの黎明の時代・明治を閉じ込めたこの建造物に、もう一つの時間が刻まれ始めます。
左は『監獄則』(1872)の序文に謳われた”仁愛”の文字。右は奈良監獄竣工当時とみられる建築図面の貴重なアイ焼き。
これらの資料は2026年4月27日にオープンする「奈良監獄ミュージアム」で一部公開予定。
“ラグジュアリーな閉塞感”を
心地よく
客室は、旧奈良監獄の放射状の舎房をそのまま宿泊棟とし、約5㎡の独居房を9〜11室連ねて一つの客室に仕立てたもの。ベッドスペースから居室、浴室までの構成が房室の連なりに由来するため極端に細長く、意表をつくスタイルです。全48室がほぼ同様の構造となります。
内装設計を手がけた東 環境・建築研究所代表の東 利恵氏は「狭さに向き合って、つなげて再解釈することで新しい空間体験が生まれました。その意味では、ヨーロッパの寝台列車に近い居心地になるかもしれません。号車を行き来するような感覚で、客室の各スペースでリラックスしていただきたいです」と語ります。
「星のやプロジェクトに関わる時はいつも、その土地のコンテクストを読み解くことから始めます。でも今回は“奈良”よりも、この“旧監獄”という洋館にはじめから純粋に向き合いました。独居房であったということをあまり露骨に見せすぎず、でも絶妙に、この場所が特別であることを感じていただきたい。何より、星のやらしい豊かな滞在空間でなくては——そんな想いを実現できていたらと思っています」
房室を再解釈し、寝台列車のように連なる細長いスペースとなった客室。備品などは今後、奈良県内の事業者とコラボレーションが予定されている。
各房室で漆喰の壁面を壊してみると、きれいに手積みされた煉瓦壁が出現したといいます。
「天井のヴォールト(かまぼこ型)がとくに美しい曲面を描いていて。明治時代に焼かれた煉瓦の100年もの年月を経た手技を間近に眺められると思い、一部をあえて剥き出しにして残すことにしました」
旧監獄を象徴する中央看守所や庁舎、中庭、その他の建物も、それぞれ現代的に再解釈されました。講堂はアーチ型のパーティションで区切り、メインラウンジとしてくつろぎのソファスペースに。別棟のエリアでは日本における西洋料理の黎明期から未来までを味わえる、個室仕様のダイニングを設ける試みも。
「明治期の洋館を文化財として伝えるクラシックホテルの例は、国内にいくつかあります。でも国家が威信をかけた建造物をこのように再解釈して再生するという星のや奈良監獄の挑戦は、それらとは一線を画すもの。保存するだけでなく未来の体験へとつなげようとするコンセプトは、今までになかった。そして非常に贅沢な計画だとも思いますね」 星のや奈良監獄、まもなく開業へ。ラグジュアリーホテルにふさわしい新しい体験価値を、また一つ切り拓こうとしています。
剥き出しの煉瓦壁と、ヨーロピアンチェリー材のウッドパネルの取り合わせが美しく非現実的な融合を果たしている。
格子の入った高い窓から挿し込む光が客室に深い陰影を描く。