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- 日光 中禅寺湖 大人のネイチャーツアー
- REPORT.01 自然と建造物のバランス美「日光を見ずして結構というなかれ」
- REPORT.02 戦場ヶ原で 自然の連鎖を思い知る
- REPORT.03 いざ男体山へ 精も根も尽きはてて
戦場ヶ原で
自然の連鎖を思い知る
中禅寺湖の畔にある「星野リゾート 界 日光」に泊まった私とスタッフは、翌5月23日早朝、トレッキング用の服とバッグを装備して戦場ヶ原に向かった。戦場ヶ原は、2005年にラムサール条約に登録された「奥日光の湿原」を代表する貴重な湿原で、自然公園法に基づく特別保護地区に指定されている。私たちは日光自然博物館の仲田桂祐主任の案内にしたがって赤沼自然情報センター近くの駐車場に車を止めると、赤沼茶屋でクマ避けの鈴を買って出発した。
カラマツやズミの木々を見上げながら整備された木道をゆっくり歩ていると、どこからかカッコウの鳴き声が聞こえてきた。時おり、ウグイスの美声もからむ。好天にも恵まれ、とにかく快い。赤沼分岐の小橋を渡って湯川沿いに進み、ホザキシモツケの群生越しに男体山に連なる山々を見上げ、その稜線に惹かれて写真を撮った。
「夏になると、ホザキシモツケのピンクの花がいっせいに咲いて、この南戦場ヶ原からの眺めは綺麗ですよ」
仲田さんの声にうなずき、そのまま左手を流れる湯川に目を向ける。すぐに清流とわかる川は陽光を反射し、垂れかかった木々の葉やササの群生を輝かせていた。あいかわらずカッコウが鳴き、そこに聞いたことのない鳥の声がまじる。聞き耳を立てていると不意に首筋に風が吹きつけ、ぞくっとするほど心地よい。歩きはじめてまだ10分ほどしかたっていないくせに、私は誰かの風景画の中を歩いているような気分にひたっていた。
左上)日光山内の標高は630m、戦場ヶ原の標高は1390m。この高層湿原を保護するために木道が新たに整備されつつある。 右上)中禅寺湖湖畔は可憐なトウゴクミヤマツツジが咲きほこっていた。左下)戦場ヶ原を流れる湯川。ところどころに土の鉄分が染み出て赤くなっている。右下)木道の脇に転がるカラマツの倒木。戦場ヶ原の案内書にも「カラマツのオブジェ」とある
戦場ヶ原を北西に進む木道の付近には所々、カラマツが倒れていた。大胆なオブジェにも見えるが、仲田さんによれば、地下水の位置が高いために根が張れず、台風時などの暴風によって根こそぎ横転するらしい。また、戦場ヶ原に見える小さなシラカンバやカラマツの木は、湿原の養分が少ないために生育が悪いだけで、実際は意外と古木が多いという。さらには、湯川が湿原面よりも低い所を流れているため、湿原を養うことなく逆に排水の役割を果たしているとのこと。そのために湿原の乾燥が進みやすくなっている……仲田さんの解説を聞いていると、奥日光の湿原の保全がいかに難しいか、よくわかる。
「あっ、あれはノビタキかな」
ちょっと神妙な気分になってワタスゲの大群生を見つめていた私の横で、仲田さんが指差した。その指の先、ノアザミの中に立つシラカンバの小木の先端に、見なれない鳥がいた。私はスタッフの双眼鏡を借りて鳥の姿を確かめた。
「頭が黒くて、胸が黄色い……羽根に白い筋がありますね」
「夏に南から渡ってくるんですけど……」
「せっかちなやつですね」
そもそも「奥日光の湿原」が登録されたラムサール条約とは、水鳥など渡り鳥を保護するために各国の重要な湿地を守ろうと結ばれた国際的な条約である。しかし今では、多様な生物たちにも不可欠な生態系全般を守ることを目的としている。たとえば、時にツクツクボウシを真似て鳴くキビタキが生きながらえるためには、湿原だけでなく、広葉樹や草原や農耕地も必要なのだ。
下野国の二荒神(男体山)と上野国の赤城神(赤城山)が中禅寺湖の領有権を争って戦ったという伝説から名づけられた戦場ヶ原。今回、もっとも広い南戦場付近を巡っている間に、いくつか「血の川」を見せてもらった。湿原の大切な養分である鉄分が錆びて湯川へと流れこむ様を、伝説に倣ってそう呼んでいるらしい。この土地ならではのネーミングと苦笑する一方でふと私は思った。保全活動や湿原の研究に勤しむ人々にとっては、ここはまさに戦場なのだと。彼らは今、湿原の乾燥化と鹿の増加による植生の破壊という難題に対峙している。戦場ヶ原に生きる植物や鳥や蝶たちについて愛でるように語る仲田さんもまた、そのひとりだった。