
青森に来たら、
絶対に味わってほしいものがある。
ここで出逢うひと、出合う景色は、
私たちのとっておき。
祭りの昂ぶり、
澄み切った自然の空気の美しさ。
旅に出なければ、味わえないもの。
この魅力を、もっともっと、
たくさんの人に伝えたい。
その気持ちをつなぎ続けて、20年。
星野リゾートは、青森愛を詰め込んだ、
とびきりの旅を届けてきました。
愛あふれる、青森旅へ。
これまでも、これからも。
ずっとずっと。
青森の旅を楽しくする。
湯けむりメモリー20th
20周年前ねぶた
つむぐ青森愛プロジェクト
酒のあで雪見列車
20周年スペシャル記念公演 in みちのく祭りや
20色で彩る「あおもり灯篭」
どさ?元湯さ!温泉手形
おいらせ氷瀑バス
氷瀑クリスマス
氷瀑カプセルトイ
おいらせ苔旅
苔カプセルトイ
こけ玉氷
春のお苔見
せせらぎシードルガーデン
ねぷたの絵付け体験
2025年11月1日~2026年10月31日
湯けむりメモリー20th
元湯は祝20周年。皆様の思い出や感想を記念カードに…。地元の方は20年の思い出を、遠方の方は今日の想いをぜひお聞かせください。お寄せいただいた言葉は一冊の冊子にまとめ、「温泉の絆」として形に残します。ご記入の方には記念ステッカーをプレゼント。ご参加お待ちしております。
2026年4月制作開始~7月完成
20周年前ねぶた
20周年を記念し、「愛あふれる、青森旅へ!」というテーマにあわせて、青森屋が応援しているねぶた師、北村麻子氏にご依頼し、前ねぶたを制作します。2026年8月の青森ねぶた祭に出陣予定です。
2026年3月始動~10月作品完成
つむぐ青森愛プロジェクト
「青森愛」をテーマに、三沢市出身のアートディレクター森本千絵氏と県内の伝統工芸職人がコラボ。それぞれのこだわりが詰まった作品を創作します。完成品の展示に加え、制作過程を間近で見られる公開制作も青森屋で開催。職人の技と情熱に触れるひとときをお楽しみください。
2026年1月24日~2月15日の土日限定
酒のあで雪見列車
車窓から雪原の絶景を眺め、青森の地酒と郷土料理のおつまみ「あで」を味わう冬の観光列車。南部地方・津軽地方・下北地方の味を集めた「あでセット」が自慢です。地元の方との方言での交流や、お囃子の生演奏も楽しめ、冬の青森の魅力をまるごと満喫できます。
詳細はこちら2026年8月29日(土)16:30
20周年スペシャル記念公演 in みちのく祭りや
20周年を記念し、これまでご縁のあった青森ねぶた祭・弘前ねぷたまつり・五所川原立佞武多・八戸三社大祭のお囃子団体をお迎えします。青森屋のスタッフとともにお囃子の生演奏を披露する、一夜限りの特別公演です。
詳細はこちら2025年12月3日~2026年10月31日
20色で彩る「あおもり灯篭」
20色の灯篭で彩られた20周年限定の写真スポットです。青森の四季の色を表現した灯篭が滞在を華やかに彩り、ご友人やご家族との記念写真におすすめです。
2025年11月1日~2026年10月31日
どさ?元湯さ!温泉手形
地元のお客様向けに、温泉手形をご用意しました。1回のご利用につきスタンプを1つ進呈。スタンプを20個集めた方には、20周年記念ロゴ入りの手ぬぐいをプレゼントします。青森のあたたかい「温泉愛」を、手ぬぐいとともにお持ち帰りできます。
12月上旬~通年
おいらせ氷瀑バス
奥入瀬渓流の冬を代表する「氷瀑」の世界を車内にもとことん表現した、ユニークなバス。繊細な氷がやがて壮大な造形へと変化していく様子を、質感や大きさのグラデーションで表現しました。普段は遠くからしか見ることのできない氷瀑を、移動中も目の前でじっくり観察しているような体験ができる、知的好奇心をくすぐる内装です。
2025年12月5日~12月25日
氷瀑クリスマス
奥入瀬渓流の冬の風物詩「氷瀑」に着想を得た、幻想的なクリスマスイベント。エントランスでは、20周年記念の「氷瀑クリスマスツリー」や「氷瀑サンタクロース」がお出迎え。氷の芸術が織りなす神秘的な世界をお楽しみいただけます。
2025年12月5日~2026年3月1日
氷瀑カプセルトイ
氷瀑のアクティビティを2つ体験された方に、オリジナルグッズが当たる「氷瀑カプセルトイ」を1回プレゼントします。旅の思い出をご自宅でもお楽しみください。
2026年4月10日〜10月31日
おいらせ苔旅
苔の魅力に深く向き合う宿泊プラン「おいらせ苔旅」が進化。「苔スイートルーム」で苔に包まれながら、客室温泉で癒しのひとときを。人気の「おいらせ苔パフェ」「苔カプセルトイ」も楽しめます。朝から晩まで、全身で奥入瀬の苔の世界をご堪能ください。
2026年3月16日~10月31日
苔カプセルトイ
苔にまつわるご体験に参加いただくと、苔カプセルトイを1回まわすことができます。苔カプセルトイでは、家に帰ってからも苔の魅力を楽しめる20種類の景品の中からひとつが当たります。
2026年6月1日~8月30日(金・土・日限定)
こけ玉氷
奥入瀬渓流の景色を味覚でも楽しむスイーツ。苔玉を表現したかき氷を、天然の苔玉の成り立ちを表すコンディメントと共にご提供。見た目はもちろん、自然の歴史も味わいながら、苔の魅力をより深くご堪能ください。
2026年3月16日~5月31日
春のお苔見
春の奥入瀬渓流。足元に目を向ければ、川柳で「苔の花」と詠まれる小さな生命の輝きが広がります。この春限定の苔の姿をテーマにした「春のお苔見」を開催。苔の生態を学び、森の散策でじっくりと観察し、可憐なスイーツでその魅力を味わう。苔の奥深い世界へと静かに誘う、知的な体験をお届けします。
2026年7月1日〜10月31日
せせらぎシードルガーデン
日本一のりんご産地、青森ならではのシードル体験を!県内各地から厳選した約20種のシードルが集結し、贅沢な飲み比べが楽しめます。りんごの品種や造り手の想いが詰まった一杯を味わいながら、奥深い青森のシードル文化を丸ごとご堪能ください。
2026年5月中旬~7月31日まで
ねぷたの絵付け体験
ねぷた師に直接教わる弘前ねぷたの絵付け体験。歴史や技法を学びながら、武者絵や美人画に挑戦します。夜は自身で描いた絵を灯篭にして「津軽四季の水庭」に浮かべる幻想的な「眠り流し」も。弘前ねぷたの文化を未来へつなぐ特別な時間をお届けします。
詳細はこちら
出演者は全員スタッフ!?
毎晩、熱気に包まれるお祭りショー

文化も会話もディープ!
コミュニケーションを生む
方言プログラム

氷瀑ツアーで冬季営業を再開。
その裏側にあった、泥臭い挑戦

空間ごと津軽三味線の音に包まれる、
プロとスタッフによる生演奏

コロナ禍のお祭りロスから生まれた、
ねぷた師連携プロジェクト

みちのく祭りや
お客さまに祭りの熱気を365日体感していただきたいという思いからスタートしたプログラム「みちのく祭りや」。2006年のオープンから15年をむかえた22年4月、さらに祭りの熱気を感じるショー会場に生まれ変わりました。青森ねぶた祭、弘前ねぷたまつり、五所川原立佞武多、八戸三社大祭と、個性的な夏の祭りをホテルの中で体感していただけます。
詳細はこちら青森屋の目玉プログラムといえば、県内のお祭りを一挙に楽しめる「みちのく祭りや」ですよね。お祭りをショーにしようと思ったのはなぜでしょうか?
青森屋が「祭り」をテーマにショーを始めたのは2006年のことです。前年に運営が星野リゾートへと変わり、どうすれば青森の魅力を発信できるのかを考えるなかで、地域に息づく「祭り」に着目しました。
当初は食事しながらショーを観覧いただくスタイルだったのですが、より多くの方々に祭りの熱気と魅力を届けられるよう、2022年にショーに特化したスタイルにリニューアルしました。
リニューアルしてからどのように変わったのでしょうか。
以前はステージ上でのパフォーマンスでしたが、より臨場感あふれる体験を届けるため、ステージと客席の垣根を取り払い、山車が駆け抜け、跳人が目の前で跳ね、演者の熱が観客に届く一体感ある空間になりました。
青森は冬が長く、短い夏にものすごい熱気で盛り上がるのですが、そんな青森の四季をストーリー仕立てで表現しています。
ショーのために、地元のお祭り団体を毎晩呼んでいるのですか?
いいえ、通年営業のあるプログラムなので、毎晩同じ時間に出演できる方をお招きするのが難しく、青森屋のスタッフのなかから有志を募って演者チームを組んでいます。
えっ! 演者はスタッフのみなさんだったんですね。お祭りにはお囃子や太鼓などの演奏もありますが、みなさんお祭り経験者なのですか?
経験者もいますが少数ですね……。最初はお囃子団体の方を招いて教えていただき、その後は教えられるスタッフがトレーナーとなり、後輩へ伝授しています。
それぞれ担当するお祭りがあるんですか?
基本的にはすべてのお祭りができるように練習していきます。手振り鉦(がね)や笛、太鼓などのほかに、虎舞やストーリーテラー、影絵の演出などもスタッフが行います。
覚えるのが大変そう……! お二人はなぜショーの演者として志願したのでしょうか。
2020年10月に入社したのですが、楽しそうに演奏する先輩方を見て志願し、2021年7月にデビューしました。
リニューアルの際に、演出家の方たちもすごい熱を持って取り組んでくれていたので、練習はもちろん頑張りましたし、チーム内でぶつかったこともありました。無事に初日を迎えられたときには感動し、学生時代に所属していた部活の最後の大会以上に泣きました。
大人になってから、泣けるくらい感動する達成感はなかなか得られないですよね。小山石さんはいかがですか?
私は2013年入社なのですが、1年目は奥入瀬渓流ホテルに配属になり、当時は冬季休館があったんです。2年目の春に青森へ戻ってくるタイミングで、お祭りのショーに興味があったので、人事に直談判して青森屋へ異動させてもらいました。以来、10年以上、ショーの演者をしています。
演者チームは何人くらいですか?
お囃子を実際に演奏しているスタッフは、ざっくり30人くらいで、シフト制を採用しています。
通常の業務もあると思いますが、いつ練習するのでしょうか。
デビューする前は、練習も業務の一部として組まれています。デビューしたあともショーの前にはリハーサルの時間があって、その時間に音合わせをしています。その日のメンバーとともに全力で記憶に残るショーにしたいので、今でも毎日緊張しています。
お客さんの反応はいかがですか?
感動して泣いてくださる方もいます。私たちの演奏に合わせて手拍子してくれたり、ノリノリで体を揺らしてくれたりする姿を見ると、こちらまで幸せな気持ちになります。業務を忘れてお客さんと一体になれる時間なので、毎日楽しいです。
売店で勤務しているときに声をかけていただくこともありますし、ファンレターが届くこともあるんです。お子さんが描いた絵を添えてくださる方や、チェックアウト時にお部屋に手紙を残してくださる方、写真と長い手紙つきでお菓子と一緒に送ってくれる方も。
"推し"の演者さんとかも出てくるかもしれませんね。今後の展望があれば教えてください。
オリジナルグッズをもっと作りたいですし、その日の演者の名前や写真が出ると、それこそ推し活みたいに楽しんでいただけるかな思います。まだまだ青森屋のスタッフが演奏していることは認知されていないので、もっと伝わると嬉しいです。
あとは、お祭り団体の方たちとのつながりはこれからも大切にしたいため、周年イベントなどでお招きしたり、逆に私たちが本場のお祭りに参加したりして一緒に演奏できたらと思います。
現在のショーは日本語対応のみで行っておりますが、将来的には海外のお客さまにもお楽しみいただけるよう、多言語対応が可能なショー構成を考えてみたいです。
これからもみちのく祭りやを通して、世界中の方々に青森の祭りの素晴らしさを伝えていきたいです。
文・取材
栗本 千尋(くりもと ちひろ)
青森県八戸市出身、在住のライター。高校卒業後に上京。旅行会社、編集プロダクションなどを経て2011年に独立し、フリーライター/エディターに。人が温かく自然豊かな地元で子育てするため、2020年にUターン。雑誌やウェブメディアで、青森の魅力を発信中。取材で訪れて以来の星野リゾートファン。

ディープな青森を楽しむ、方言尽くしのプログラム
方言専用のチェックインカウンター「よぐきたねカウンター」や、館内に隠れたヒントで解く「方言クロスワード」、青森の方言講座「これであなたも『あおもリンガル』」、館内にのQRコードを読み取れば方言が聞ける「のれそれ方言Navi」、ラジオ体操を津軽弁で楽しむ「津軽弁ラジオ体操」などを通じて青森の方言に触れられ、ディープに青森を楽しめます。
詳細はこちら青森屋には、「これであなたも『あおもリンガル』」というプログラムがあるんですよね。どんなものですか?
「あおもリンガル」は「青森」と「バイリンガル」を掛け合わせた青森屋オリジナルの言葉です。「バイリンガル」は2か国語以上喋れる人のことを指しますが、青森の方言は他の地方の方からすると、聞きとるのが難しい独特の言葉なんです。青森屋では、その言葉を話せる人を「あおもリンガル」と呼びます。
青森県内にはおおまかに分けて津軽弁、南部弁、下北弁の3種類があるのですが、それぞれ話せるスタッフがいるので、どの方言が当たるのかは、その日のお楽しみです。
そもそもこのプログラムはどうして始まったのですか?
方言は青森の魅力のひとつなので、それをゲストにも体感していただきたいという思いから始まりました。「せっかく青森に来たのに方言を聞く機会がなくて残念」というお客さまからの声もあったので、方言も含めて青森にどっぷり浸かれるようなプログラムを提供しています。
館内の至るところに方言がちりばめられているのですが、「それはどういう意味?」などのお声がけをいただくこともあり、お客さまとのコミュニケーションが生まれています。
標準語で記載されていれば、わざわざ会話する必要がないことを考えると、「読めない」というある種の不便さが生むコミュニケーションなんでしょうね。櫻庭さんは県内出身とのことですが、地域でいうとどのあたりですか?
父は黒石市、母が平川市出身、私は主に青森市で育ったので、生粋の津軽人です。父は津軽弁にプライドを持っていて、かつて東京に住んでいたときにも「俺の言葉だぞ」と、方言全開だったそうです。私が生まれたときにも「津軽弁マスターに育てる」と宣言していたと聞きました(笑)。
津軽人のサラブレッドだ(笑)。一方の尹さんは韓国出身なんですよね。日本語を覚えたうえで青森の方言を覚えるのは難しかったのでは?
日本語を勉強するときは、ドラマやアニメなど教材がたくさんあったのですが、方言は教材が少ないので大変でしたね。単語自体は覚えればなんとかなるのですが、イントネーションを正しく話すのは難易度が高く、方言ネイティブのスタッフにお願いして録音してもらうこともありました。
それが、今では立派な「あおもリンガル」に……! 青森の方言の魅力はどんなところですか?
私の出身地である韓国にももちろん方言はあるのですが、語尾やイントネーションが違うくらいなんです。
津軽弁は、「どさゆさ」だけで会話が成立するところが興味深いです。「どさ」は「どこに行くのか」、「ゆさ」は「温泉に行ってくる」で、青森の方言は寒いがゆえに短い言葉になったといわれていますが、そういう工夫をしながらコミュニケーションをとろうとしていたことに、青森の人の営みや温もりを感じます。
私の思う方言の魅力は、その言葉でしか表現できない微妙なニュアンスまで伝えられるところですね。例えば「腹がニヤニヤする」というのは、「なんだかちょっとお腹の具合が良くない」ということなんですけど、「お腹が痛い」とかではなくて、「ニヤニヤする」としか言いようがないんです。
確かに、標準語にはない繊細なニュアンスを表現できる方言はありますよね。ただ、西日本側の人たちは堂々と方言を使うのに、青森や東北の人たちは方言を隠そうとする傾向がある気がするんです。
私の同世代でも、親や祖父母の言葉でしか聞いたことがないという人は多いですね。でも、方言を話せることは、それこそ2か国語を話せるくらい素晴らしいことだと思うんです。
同じ津軽弁でも、地域によってちょっとずつ違うし、教科書で習うわけじゃないから家庭によっても変わる。方言は“生き物”なんですよね。
情報や流通の発展により独自性が保たれていた言葉が消えてしまうのは寂しいので、こうしたアクティビティを通じて伝えていきたいんです。
さらなる「あおもリンガル」としての展望があるようでしたら教えてください。
数年前にあった、チェックインからチェックアウトまですべて方言のみで滞在ができるという宿泊プランを復活させたいです。あらゆるものが方言でしか説明されないし、スタッフとのコミュニケーションも方言じゃないとできないくらいに(笑)、方言にどっぷり浸かれる企画をいつかできたらなと思っています。今後は、他のスタッフやゲストにも伝播していって、自分も方言を使おうかなと思ってもらえることが目標です。
方言は伝えていく人がいないと、消えゆく言葉になってしまいます。微力ではありますが、青森屋のさまざまなアクティビティを通して、青森の温かい方言を発信していきたいです。
文・取材
栗本 千尋(くりもと ちひろ)
青森県八戸市出身、在住のライター。高校卒業後に上京。旅行会社、編集プロダクションなどを経て2011年に独立し、フリーライター/エディターに。人が温かく自然豊かな地元で子育てするため、2020年にUターン。雑誌やウェブメディアで、青森の魅力を発信中。取材で訪れて以来の星野リゾートファン。

氷瀑ライトアップツアー
2018年12月から9年間、奥入瀬渓流ホテルは冬季休館していました。冬の営業を開始させるために着目したのが「氷瀑」です。冬は厳しい寒さに包まれる奥入瀬渓流では、岩肌を流れる伏流水が少しずつ凍って重なり「氷瀑」を形成。ライトアップされると幻想的な光景が広がります。2017年にバスツアーが誕生し、同時に念願の冬季営業が叶いました。
詳細はこちら奥入瀬渓流ホテルは冬季休業していた時期があったんですよね。それはなぜですか?
どうしても奥入瀬渓流はグリーンシーズンや紅葉のイメージが強く、冬の集客が難しかったからです。紅葉の時期が終わると一気にホテルの稼働が落ちるので、11月中旬頃から約5か月間は休館していました。
集客が難しいなか、冬期営業をしようと考えたのは?
星野リゾートは、ホテルの運営を任されているマネジメント会社なので、収益を最大化することが使命なんです。グリーンシーズンは客室が8割は埋まっている状態だったので、そこから収益を上げていくには限界がありました。
社内外からも「営業期間をもっと延ばしてみたらどうか」と提案があり、方法を模索するようになりました。
冬の奥入瀬渓流にも魅力があると思うのですが、集客はそんなにハードルが高かったのでしょうか。

私たちも魅力を認知していたのですが、観光客を呼ぶための障壁が多かったんです。冬は飛行機の本数が減りますし、青森市や八戸市からのバスもなくなり、青森市から奥入瀬までを繋ぐ八甲田山方面の道路も閉鎖されてしまうんですね。行政からも冬に観光客を呼べないという悩みを聞いていました。
冬の交通インフラが奥入瀬まで整っていなかったんですね。
そうなんです。奥入瀬渓流ホテル単独ではどうにもできないので、いろんな方に協力をお願いしました。行政をはじめ周辺のホテルや、アクティビティ会社、もちろん青森屋も含め、一つのチームのようになっていきました。
県と市と話し合いを重ねてアクセス面をなんとかできそうな算段がついたところで、「冬季営業を開始したい」と、うちの代表を説得しました。
代表は冬季営業に反対していたんですね!?
ずっと反対していて、営業再開のときですら、まだ反対していました(笑)。「3年経っても赤字だったら、すぐやめるように」と言われましたね。運営会社の代表として、厳しいことも言わなくてはならない立場なので、そこはやむを得ずだと思いますが。
どのようにして冬のコンテンツを考えていったのですか?
冬の魅力の提案をするために、前年の冬季に一部のメンバーが残って、冬のコンテンツ開発1000本ノックをしたんです。何回も渓流に足を運んで、魅力になりそうなネタを集めました。
休館中はホテルの収入がなく、電気代すら赤字になってしまうので、真っ暗な建物の中で一部屋だけ電気をつけて仕事をしていましたね(笑)。
暗い建物の中でミーティングを重ねたんですね……! 1000本ノックの内容が気になるのですが、覚えているものはありますか?
雪の中に露天風呂をつくって「かまくら露天風呂」にしようとか、雪化粧をした美しい奥入瀬渓流を撮影するツアーを組もうとか、いろんな案が出ましたね。今では冬の定番になった氷瀑がそびえる露天風呂「氷瀑の湯」も、このときに出た案です。

氷瀑ライトアップツアーが今の形に行き着くまでには、どんな背景がありましたか?
最初は自力でできないかと考え、投光器のようなものを持っていって照らしてみましたが、全体がぼんやり明るくなるだけで、全く魅力的に見えませんでした。技術もないし、費用もいくらかかるかわからない。
そんななか、以前、十和田市が単発のイベントでライトアップをやったことがあったことを知りました。しかし、発電機で電気を作っていたため、環境負荷の問題で継続できなかったようです。
私たちもその課題を解決したいと思っていたところ、ちょうど「国立公園満喫プロジェクト」という国のプロジェクトが始まり、県や市に観光を盛り上げるための予算がつきました。十和田市がパナソニックと繋がりがあったことから協力を依頼し、移動式の照明の仕組みを導入してもらったのです。
全国的に見て、氷瀑ツアーは他にも存在するんですか?
以前はまったくなかったのですが、最近は競合が増えてきたようです。ただ、奥入瀬渓流は山の中に入っていかなくても、バスから降りたら目の前で氷瀑が見られるので、明らかな強みとして評価されています。
お話を聞いていて、すごく泥臭くチャレンジされていたんだなと感じました。なぜそこまでできたのでしょうか。
誰かが動かないと、誰も動かないんですよ。「冬季営業をはじめるのでバスを走らせてください」と言うだけではダメで、実際にオープンしているところを見せなくてはなりません。もう、自分たちが動くしかないっていう、使命感だったと思います。
いざ冬季営業を開始したところ、東北エリアのみなさんからたくさんの応援の言葉をいただきました。冬は東北どのエリアも観光の閑散期になります。奥入瀬渓流はもちろんですが、東北にとっても冬に観光客を呼ぶのは悲願だったのだと思います。
文・取材
栗本 千尋(くりもと ちひろ)
青森県八戸市出身、在住のライター。高校卒業後に上京。旅行会社、編集プロダクションなどを経て2011年に独立し、フリーライター/エディターに。人が温かく自然豊かな地元で子育てするため、2020年にUターン。雑誌やウェブメディアで、青森の魅力を発信中。取材で訪れて以来の星野リゾートファン。

ご当地楽「津軽三味線生演奏」
全国に展開する温泉旅館ブランド「界」では、地域の魅力を楽しんでいただけるよう、伝統工芸、芸能、食などを満喫できるおもてなし「ご当地楽」を用意しています。プロの津軽三味線奏者とスタッフによる生演奏を、毎晩開催。そのあとは演奏体験も提供しています。マンツーマンで指導を受けられる手業のひととき「津軽三味線の達人技に触れる体験」も。
界 津軽では、津軽三味線の生演奏を鑑賞できるんですよね。初歩的な質問ですみません、そもそも三味線と津軽三味線の違いって……?
三味線には大きく分けて3種類あります。三味線の棹(さお)の太さによって「細棹」「中棹」「太棹」に分けられ、津軽三味線では太棹を使用しています。津軽三味線の起源は、明治時代、盲目の「仁太坊(にたぼう)」という人物が、生計を立てるために家々を演奏して回ったことだと言われています。
そして津軽三味線の最大の特徴は、その演奏法にあります。芸妓さんが弾くような上品な演奏とは異なり、叩くように弾く「叩き奏法」で演奏するんです。力強くて音に迫力があるのが特徴です。
山火さんも津軽三味線をステージで演奏しているとのことですが、津軽三味線との出合いはいつですか?
私は岩手県の一戸町出身なのですが、祖母が民謡協会にいた影響で、小学生の頃から謡(うた)と踊りを習っていて、中学生になってから津軽三味線を始めました。高校生のとき、部活動が中心の生活で、もう半ば部活が嫌いになっていたんですけど(笑)、学校生活の息抜きとして三味線がある環境でしたね。
息抜きだったんですね。津軽三味線の魅力ってなんでしょうか。
演奏に迫力があるので、空間がまるごと津軽三味線の音に支配されるような没入感で、現実の悩みやストレスも忘れられるんです。
三味線には楽譜があるんですか?
文化譜と呼ばれる楽譜があります。ピアノの楽譜は五線譜ですが、三味線は3本だけなんです。弦が3本あるので1本ずつ線になっていて、その線の上に、音符ではなく数字が振ってあります。三味線にも1から18まで数字が振ってあるので、その位置の弦を撥(ばち)で叩き、音を奏でます。
そこだけ的確に叩くのは難しそうですよね。
おっしゃる通りで、三味線を習得するときに一番難しいと感じたのはそこでした。叩くように力強く、一気に下ろさないといけないので、初期の頃は正しい位置に当てられるようにする練習がメインでした。
ある程度、弾けるようになるまでにどれくらいかかるものですか。
実際に曲の演奏に入るまでに1か月くらいですかね。曲によって新たな奏法やテクニックなども覚えなくてはならないので、曲を練習しながら習得していきます。
例えば、左手で弦を押さえ、右手に持った撥で上から下に向かって叩くように打つのがベーシックなのですが、反対に下から上に向かって、すくい上げるように鳴らす奏法「スクイ」や、弦を押さえてる手でも音を出したり、撥で打つのと左手ではじくのを組み合わせた「カマシ」と呼ばれる奏法などがあります。
三味線のプロに演奏してもらうだけでもコンテンツとしては成立すると思うのですが、わざわざスタッフが三味線を弾けるように練習して演奏に加わるというのは大変ですよね。ここまでするのはなぜでしょうか。
星野リゾートでは、一人のスタッフがお部屋の清掃からレストラン、フロント業務まで、マルチタスクで行います。調理を知っているからこそレストランサービスで調理方法をしっかりとお伝えできたり、お部屋の清掃を自分たちがしているからこそお部屋のくつろぎ方をフロントでお話しできたりするんです。
「界」のスタッフはさらに、三味線をはじめご当地のものを自分たちの手でお客さまに届けるわけですが、自分たちで三味線を弾くからこそ、チェックインのときに三味線の良さをしっかりご案内できるんです。それは、お客さまの滞在をアレンジできることに繋がります。
お客さまの反応はいかがですか?
「三味線が見たくて来ました」という声もいただいております。ゲストの表情まで見えるような距離感で演奏しているので、夢中になってくださっているのを見ると嬉しく思いますし、演奏後に「上手だったよ」と直接お声がけいただくこともあります。界 津軽に宿泊したことにより三味線に興味を持ってくださる方もいるので、やりがいがありますね。
三味線の師匠であるおばあさまは宿泊に来られたことはありますか?
実はまだないんです。この前帰省した際に、実家にあった三味線で全曲披露してきたのですが、そのときは「上手になったね」と喜んでいました。今祖母は75歳なのですが、いずれ泊まりにきてもらって、演奏を見てもらいたいですね。
今後の展望があれば教えてください。
津軽三味線は手元を見ないで弾けるのが理想なのですが、私はいまだに弦を押さえる番号を見てしまうので、客席に顔を向けたまま演奏できるようになりたいです。
また、スタッフ全体のスキルの底上げもしたいですね。弾ける曲が少ないとセットリストが固定化されてしまうので、連泊されるお客さまにとっては毎日同じ内容になってしまうと思うんです。みんなが複数曲を弾けるようになり、日によって曲を変えられるようになったら最高です!
文・取材
栗本 千尋(くりもと ちひろ)
青森県八戸市出身、在住のライター。高校卒業後に上京。旅行会社、編集プロダクションなどを経て2011年に独立し、フリーライター/エディターに。人が温かく自然豊かな地元で子育てするため、2020年にUターン。雑誌やウェブメディアで、青森の魅力を発信中。取材で訪れて以来の星野リゾートファン。

ねぷた師連携プロジェクト
毎年160万人が訪れる「弘前ねぷたまつり」。新型コロナウイルスの感染拡大の影響で2020年夏は中止に。例年、このお祭りを目的に訪れる宿泊者も多く残念だという声が寄せられました。また、弘前ねぷた絵師の方々は活躍の場を失うことに。そこで界 津軽では絵師の方と連携し、館内で弘前ねぷたを楽しんでもらえるよう館内にねぷたギャラリーを造成しました。
ねぶたには「青森ねぶた」や「弘前ねぷた」「五所川原立佞武多」などありますが、界 津軽ではどこのねぶたを扱っていますか?
弘前や黒石の扇形のねぷたを扱っています。
諸説ありますが、全国的にも有名な青森ねぶたは戦がモチーフの勇ましい作品が多く、「ラッセラー」という掛け声とともに戦いに向かう雰囲気なんですね。
一方で弘前や黒石のねぷたのモチーフには幽霊絵が多く、「ヤーヤドー」という情緒的な掛け声で、戦から帰ってきた武士を鎮魂するような雰囲気があります。観客と山車の距離が近く、絵のタッチも非常に繊細で、柔らかさがあるのが特徴です。
界 津軽でのねぷたのコンテンツはどれくらいありますか?
通年で設置しているのが、ねぷたの絵を展示している通路「ねねね」です。津軽弁で「今夜は寝ないぞ」という意味なのですが、もともとねぶたは「眠り流し」といって、厄除けや、夏の夜の眠気を吹き飛ばしたいという意味が起源だとも言われています。
そのほかにも食事どころと繋がる道すがらや、客室棟に繋がる一部に扇形の小さいねぷたの実物を展示しています。また、季節によってはねぷたの絵付け体験や、実際のねぷたの絵を再利用してうちわを作るアクティビティを用意することもあります。
地元の人にとって弘前ねぷたはどんな存在ですか?
1年で最も欠かせないイベントですね。青森県は四季に富んでいて、春・夏・秋・冬、どの季節も素敵なのですが、冬の期間がすごく長いんです。 特に津軽だと、5月末くらいまで道路の横に雪が残っていることもあります。
寒い冬をじっと耐え忍び、すごく短い夏に、津軽の人たちのエネルギーを一気に爆発させるのが、このお祭りですね。お囃子を聞くだけで胸が高鳴ってきます。
工藤さんは弘前出身とのことですが、ねぷたに参加したことはありますか?
学生の頃からねぷたの団体に関わっていて、太鼓を叩いていました。子どもが生まれてからは子どもと一緒にねぷたを引っ張っています。伝統と言うとかっこいいですが、日常に近いですね。
そうやって日常に溶け込むようにして、代々続いてきたお祭りなんですね。界 津軽が開業したのは2011年とのことですが、そのときすでに、ねぷた関連のコンテンツはあったのですか?
そうですね、徐々に増えていったと聞いています。特に力を入れたのが、2020年のことです。新型コロナウイルス感染拡大の影響で、界 津軽もお客さまが大幅に減少しました。また、「弘前ねぷたまつり」が中止となり、地域では落胆の色が見られました。そこで、地元の方に向けた新しいねぷたの楽しみ方を提案するために 「ねぷた絵展示ギャラリー」が誕生しました。
たまたま当館の売店で扱っている津軽塗の作家さんがねぷたの絵師を兼業していたので、そこからお話が広がりました。
ねぷたの絵師さんは専業ではないんですね。何名くらい展示に参加されたんですか?
ねぷたの絵師さんは兼業されている方が多く、それこそ津軽塗の作家さんや、りんご農家さんなど、さまざまな職業の方がいます。お祭りが終わったら次の年の絵の仕込みを始めるので、発表の場があるならと好意的に受け取ってくださり、10人ぐらいの方が協力してくださいました。
当時、ねぷた絵を購入することもできたと聞きました。
はい。作品は絵師さんがそれぞれ値段を付け、5〜6万円から高いものでは20万円以上するものもありました。最終的に3、4点ほどが売れ、主に地元の方が購入されました。特に有名な絵師である三浦呑龍さんの作品は早く売れましたね。
祭りが中止になり絵師さんたちの仕事の場がなくなってしまったので、ただ展示するだけではなく、生まれた利益を絵師さんに還元することが、文化の継承に繋がるのではないかという思いもありました。
観光業も大打撃だったと思いますが、地域のプレイヤーを応援する方向に向かえたのが素敵ですよね。
「界」というブランドのミッションは、「温泉旅館文化を未来に残すこと」なんです。ご当地の文化の魅力もセットなので、文化が倒れてしまうと温泉旅館文化を残せなくなります。
作家さんや職人さんが苦しいときは一緒に危機を乗り越えたいですし、活躍の場を作っていくことも、地方の文化を未来に残していくことに繋がると思っています。
今後の展望はありますか?
地域の文化に興味を持つお客さまが増えているので、本来の眠り流し体験をできる企画を考えています。絵師さんにレクチャーを受けながら、ねぷたの絵に色付け体験や蝋引き(ろうびき)体験をして、それを灯籠にして、水庭でねぷたを池に浮かべるというものです。
また、ねぷたの絵師さんだけではなく、青森では後継者不足が課題となっている伝統工芸や一次産業などもあります。界 津軽ではアクティビティとしてお客さまに提供することで、文化の持続可能性にも寄与していきたいです。
文・取材
栗本 千尋(くりもと ちひろ)
青森県八戸市出身、在住のライター。高校卒業後に上京。旅行会社、編集プロダクションなどを経て2011年に独立し、フリーライター/エディターに。人が温かく自然豊かな地元で子育てするため、2020年にUターン。雑誌やウェブメディアで、青森の魅力を発信中。取材で訪れて以来の星野リゾートファン。