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江戸時代から遺跡の存在は知られていたが、学術調査が始まったのは昭和初期から。
1500年も続いた前例のない巨大な集落跡には大型の建物も多い -
翌4月1日、私は青森市の三内丸山遺跡を訪ねた。実は8年前の冬にも訪ねたのが、大雪のため見学できなかった。その後もあれこれ資料にあたったり、他の遺跡を巡って縄文期の知識は増やしてはきたが、ここの広大さは別格だった。
現時点で約35haあるといわれ、実際はこれ以上かもしれないと予測されるこの縄文期の「ムラ」には、約5500~4000年前の生活の営みが遺っている。直径2mの柱が6本ある大型掘立柱建物、550棟以上見つかった竪穴住居、集会所や冬期間の共同家屋などの説がある長さ32mの大型竪穴住居、道路跡とその両側に配置された500基もの土坑墓などは、ここで1500年もつづいた縄文人の暮らしを想像させるに充分だ。そして、併設されている縄文時遊館にある「さんまるミュージアム」を見学すると、もっと具体的にその生活の実態を知ることができた。
遺跡から出土した大型板状土偶や縄文ポシェットやヒスイ製大珠などの精緻さに感嘆した私は、この「ムラ」の食のコーナーを見て驚いた。掲示されたカラーの円グラフの下にこう書かれていたからだ。
〈確認された魚の種類は50種類以上。最も多いのはブリです〉
おいおい……。私は思わずつぶやいていた。グラフに目をもどすと、ブリは約20%。次にカレイが多く、以下、サメ、サバ、ニシン、ヒラメ、フカカサゴ、フグ、アイナメ、タイとなっているではないか。別の掲示板を見ると、〈出土した魚の種類から、人々は年間を同じムラにくらし、漁をしていたことがわかりました〉とあった。 ↙
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気づけば、私は前日に取材した八食センターを思い出し、あらためて三方を海に囲まれた土地の豊かさを実感した。季節ごとに旬の海の幸を味わい、背後の森で育つ木の実も食べて1500年間つづいたムラの定住生活。時代が進んで日本の中央集権化が強まり、稲作を強制的に求められるまでは、おそらく飢餓など経験せずにすんだのではないか。米が通貨に等しい価値を持つにいたっては、やませ(北東風)が吹くたびに冷夏に苦しんで定期的に大飢饉に苦しめられてきた青森。中世以降のそんな歴史にふれ、太宰治は『津軽』の中で、故郷を「悲しき国」と表現した。
しかし、どうだろう。冬の厳しさが変わらないのと同じように、青森の海と山の幸の豊壌さは縄文の時代とまったく変わっていないのだ。米がすべてではない現在、この地の縄文の人々が命の糧とした自然の恵みは、あらためて日本の宝にすらなりつつある。実際、八食センターでは韓国や中国からの観光客を多く見かけた。古代に三内丸山で暮らした人々と同じものを食するために、海外から人がやってくる時代の到来。和食の原点とでもいうべき自然の幸を、それらが獲れた土地で味わうことは何よりの贅沢なのかもしれない。 三内丸山遺跡を訪れた翌朝早く、私は青森屋の山形徹さんの手ほどきを受けながらふきのとうを獲った。収穫したふきのとうは早速、朝食の食材となっていた。そんな食事を囲炉裏端でとったのだから、美味くないはずがない。ついつい食べすぎた。 -
青森屋の敷地は22万坪、ちょっと歩けば山菜が採れる森がある。採ったふきのとうは目の前で調理してもらい、ふき味噌に。これからの収穫は、畑の夏野菜になるらしい
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旅の締めくくりに開通したばかりの八甲田・十和田ゴールドラインを通り、青森の歴史ある湯治場酸ヶ湯を訪ねた。混浴「ヒバ千人風呂」も体験。濃厚な風呂だった
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青森から東京にもどって数日後、三沢空港で土産に買った「縄文らーめん」(パッケージに八戸市の是川遺跡が出土した合掌土偶の写真が載っている)をつくってみた。
乾麺には小麦粉、そば粉、米粉に加え、どんぐりと栗と稗の粉末が入っていた。具材には、あおさのり、ふのり、とろろ昆布、菊花が使われていた。できあがった「縄文らーめん」の魚貝スープは少々濁っていたが、麺によくなじんでいて美味かった。どんぐりや栗の粉末の影響か、麺そのものは木のような風味がした。食べるうちにとろろ昆布とふのりの味が深くなり、飽きることなく完食した。
父は青森を訪れたことがなかった。8年前、帰省した私が青森で食べまくったホタテの美味さを熱弁すると、黙って聞いていた父は「うまかろうね」とつぶやき、止めていたはずの焼酎を呑んではにかんだ。「縄文らーめん」を食べおえた私はそのときの父の横顔を思いだし、しばらくの間、後悔した。
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水揚げされたばかりの新鮮魚介類、乾物や珍味、お土産など、八戸名物が勢ぞろいし、約60店舗が軒を連ねる「どでか市場」。買った物をその場で焼ける「七輪村」もある
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陸奥八仙、陸奥田心、陸奥男山などが代表銘柄である歴史ある酒造(1775年創業)。新井田川沿いに建つ大正時代の建造の蔵は、国の登録有形文化財、青森県景観重要建造物
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大正11年にウミネコの繁殖地として国の天然記念物指定を受けた蕪島。繁殖期の2月末~には3万羽超のウミネコが、神社も島も覆い尽くす。他にも多種多様な渡り鳥が周辺に
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のれそれ青森(めいいっぱい青森)を合言葉に、青森の食、文化を体感できる大型の温泉旅館。22万坪の敷地内に古民家、農園、牧場などもあり、アクティビティも充実している
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縄文時代前中期、約5500年前~4000年前の遺跡で日本最大級の規模を誇る国の特別史跡。復元された掘立柱建物跡、大型竪穴住居跡、高床式倉庫などが公開されている
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青木淳氏設計の真っ白な美しい美術館。青森県の美術家たち、棟方志功、成田亨、工藤甲人、寺山修司、奈良美智などの常設展。シャガール、マチス、ピカソなどの展示も秀逸
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国道102号線沿いにある道の駅。地元生産者の野菜や果物、加工品などが数多く販売されている。十和田湖和牛や地元料理バラ焼きなどが食べられるレストランもある
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冬季閉鎖となっている八甲田・十和田ゴールドラインの酸ヶ湯~谷地間で、一般開通前の2日間でウォーキングツアーが開催されている。
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300年の歴史を持つ青森を代表する温泉。混浴のヒバ千人風呂は160畳もの浴室には、熱の湯、冷の湯、四分六分の湯、湯滝など5つの浴槽がある。他に男女別の玉の湯もある
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寺山氏の詩、映画、演劇、作詞、エッセイ、写真などの多才な活動を総合的に紹介する記念館。寺山氏主宰の天井棧敷のセットが再現され、ユニークな展示が体験できる
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北日本最古の土偶、縄文晩期の赤漆彩色土器や自然生態系をよく保つ小川原湖湖岸の動植物の生態系、生活用具の展示など、古来からの豊かな土地を感じられる資料館
・『青森県の歴史散歩』(青森県高等学校地方史研究会・編 山川出版社)
・『津軽』(太宰治 角川文庫)
・『青い森の文化の始まり』(青森県埋蔵文化財調査センター・編 青森県文化 財保護協会)
- 長薗安浩
- 作家。1960年長崎県生まれ。「就職ジャーナル」編集長を経て「ダ・ヴィンチ」創刊編集長などを務め、2002年より執筆に専念。著書に『セシルのビジネス』(小学館)、『あたらしい図鑑』(ゴブリン書房)、『最後の七月』(理論社)、『夜はライオン』(偕成社)などがある。
- 久間昌史
- 写真家。長崎県壱岐市生まれ。写真家・故 管洋志氏に師事後フリーランスに。東京を拠点に料理、人物、風景等、ジャンルを問わず雑誌、広告で活動。「動く写真」をコンセプトにした動画撮影も好評。日本写真家協会(JPS)会員。
KUMAFOTOオフィシャルサイト
※本文中の小サイズの写真は長薗さんによるスナップです。