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夕食後、ラウンジで「寄木のひみつ」を観る。村松あゆみさんの堂に入った紙芝居
ラウンジ「寄木CHAYA」には新旧のデザインの寄木細工が
寄木細工体験で作ったコースター。北欧雑貨のよう
今回、「界 箱根」に作品を提供してくれている露木木工所を特別に見学させてもらった。
自然の木の色合いだけで模様を組み、組みあがったものを薄く削る「ズク作り」 -
短い距離ながら旧街道の石畳道を歩いた私は、同行スタッフとともに甘酒茶屋に立ち寄った。ここは忠臣蔵の一幕にも登場する江戸時代からつづく店で、現在の店主は13代目。囲炉裏で暖をとりつつ昔ながらの甘酒を飲み、名物の力餅を口に運ぶと、私は思わず苦笑した。スタッフが運転する車に乗って山を登り、たかだか100m余り石畳の坂道を歩いただけなのに、この至福感。これが弥次・北よらしく小田原から歩きだったら、いったいどれほどの喜びだったろう……。平地の街道沿いにならぶ茶屋とは比較にならない旨味を感じ、「さてもう少し」と疲れた体に言いきかせる旅人の姿が店内のいたる所でちらついた。
箱根を歩く旅人にとって、日が暮れて宿に泊まる最大の楽しみは湯治だった。古代より出湯の山として知られていた箱根は、東海道を往来する旅人が増えた江戸後期、一夜湯治でにぎわったらしい。甘酒茶屋を出てしばらく散策した私も、「界 箱根」にチェックインすると迷わず半露天の大浴場に向かい、源泉かけ流しの湯につかった。張りがでた両脚の筋肉をほぐし、すぐそこを流れる須雲川をながめるうちに疲れを忘れ、「苦あればこそ楽あり膝栗毛……」などとつぶやいて呆けた。
一夜湯治を満喫してあらためてロビーへ行ってみると、棚に置かれた大小の箱根寄木細工が目にとまった。それらは、私が箱根探訪の前に訪ねた小田原の露木木工所の作品だった。畑宿ではじまったといわれる箱根寄木細工の歴史を詳しく語ってくれた三代目の露木清勝さん、材料選びから製作の工程を実践してくれた四代目の清高さん。畑宿生まれの初代から引き継がれてきた手法にそれぞれの工夫を施し、伝統工芸の新たな表現に挑む二人の、精魂こめた名品の数々。工程を知ってしまった私は、その一点一点に注がれた時間と手間を思って息を呑み、手にとって溜息をもらした。
弥次さんも旅の土産に買い求めた箱根寄木細工。「界 箱根」ではスタッフの指導の下で製作体験ができると知り、私は夕食後、取材の復習をかねて参加したのだった。↙
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翌日、私は箱根神社に参拝した。
奈良時代に万巻(まんがん)上人によって創建され、明治まで「関東総鎮守箱根権現」と称された箱根神社は、源頼朝をはじめ北条早雲や徳川家康など名だたる武将から篤く崇敬されてきた。街道を往来する旅人が増えると、彼らも道中の安全を祈るために参拝した。
箱根神社を後にした私は芦ノ湖沿いに西へ歩き、九頭龍神社の本宮へ向かった。芦ノ湖の守護神である九頭龍大神が祀られている本殿に参拝してふりかえると、芦ノ湖を囲む山々の先に富士山が見えた。絶景だった。
進むにつれ険しくなっていく道をひたすら歩き、足の痛みに耐えて甘酒で気を立てなおし、一夜湯治で体を癒し、旅の土産に寄木細工を求め、名社に参拝してこの景色を見たら、古の旅人はいったいどうなったのだろう。感激か、放心か、感謝か。いずれにせよ道中の苦労がふっとび、旅する醍醐味に全身で感じ入ったに違いない。 -
箱根の坂道2日目。「天下の険」は厳しい
毎月13日の月次祭には船で湖から上陸できる
九頭龍神社の龍神水は箱根神社内にある新宮で取れる