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平成19年に完全修復された「箱根関所」。江戸時代末期の修復報告書をもとに忠実に再現されている
高台の遠見番所からの眺め。絶景
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〈春風の手形をあけて君が代の戸ざさぬ関をこゆるめでたさ〉
『東海道中膝栗毛』の初編は、箱根関所を無事に通過した弥次・北が祝杯をあげるところで終わる。箱根関所は江戸幕府が全国で管理した50余りの関所の中でも有名で、「入鉄砲に出女」を特に厳重に取り締まった。私は箱根関所資料館とあわせて忠実に復元された御番所を見学し、酒を酌みかわした弥次・北コンビに共感した。
さて、弥次・北の二人にしたがえば箱根の山々を西に下るべきなのだが、観光地の原点を探りたい私は、熱海へ向かった。中でも、箱根と同じく古代からこんこんと湯が出ていたという走り湯(はしりゆ)が気になり、熱海ビーチラインを南に下って訪ねた。
伊豆山の麓がせまる海岸近くに車を停め、道路を渡って右へ折れると、半円の横穴から濃厚な湯気が出ていた。ゆっくりと近づいて穴の奥に目をやっても、湯気でよく見えない。私は意を決して中腰になり、その体勢のまま奥へと進んだ。驚いた。最深部の崖からものすごい勢いで熱湯が噴きだしていたのだ。
温泉は地下深くから湧くはずなのに、いったいこれはなんだろう。奈良時代にこの源泉を発見した人々が感じたように私も畏れを覚え、穴の上に鎮座する走湯神社に参拝した。その上で伊豆山神社へも足を運び、境内にある郷土資料館で入手した冊子に目を通した。そこには、伊豆山の男神(伊豆山権現)と女神が龍に変身して口から走り湯を出していると書いてあった。龍の頭は日金山の真下にあり、そこから箱根に向かって胴が伸び、尾の先は芦ノ湖の水底につかっている……。 ↙
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私は2時間ほど前に見た芦ノ湖の景観を思いだし、熱湯を噴きだす水脈で箱根と熱海がつながる不思議を、素直におもしろいと感じた。そして、伊豆山神社で挙兵して鎌倉幕府を開いた源頼朝を思った。頼朝は正月に箱根神社と伊豆山神社を参拝する「二所詣」を欠かさなかったが、二所の近くにはどちらも豊かな温泉が湧いていたことになる。ひょっとしたら頼朝は、伊豆山神社の教えに従って龍神を信仰していたのかもしれない。人がまだたっぷりと自然を畏れ、熱海が走湯ともよばれていた時代であればこそ、頼朝をはじめとする当時の人々が、温泉を神による奇跡ととらえても奇妙ではないだろう。
その思いは、時代が進んで江戸になっても変わらなかった。だから、東海道を往来する旅人の一部は、わざわざ熱海に足を伸ばして温泉と海の幸を楽しんだ。
こうして箱根と熱海を巡った私は、日本の観光地の原点に、街道と温泉と霊験あらたかな神社仏閣があることを学んだ。そこにその土地ならではの食と土産品と絶景が備われば、もう完璧。弥次・北をはじめ江戸時代の人々がそうだったように、少々の苦労はしても、客はかならず足を運んできてくれるのだった。 -
猛烈な湯気にカメラをかばいながらの撮影
こんなに間近で地のエネルギーが湧き出すのを見たのは初めての経験だった
海岸から参道が800段余りある伊豆山神社。さらに奥の山を登った山頂に本宮がある
伊豆山神社からの風景。神木のなぎの木と海洋からの気が心地よい
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旧東海道の一里塚とその先に旧東海道の石畳があり江戸時代の「石畳特別保存地区」にされている。寄木の里としても有名
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畑宿二小山を越えた街道沿いに佇む江戸初期創業の茶屋。年中無休で日の出から日の入りまで営業とのこと。名物の甘酒と力餅、温かい接客に心身がほっとする
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箱根の玄関口である湯本温泉にある全室から須雲川を眺められる温泉旅館。露木木工所の寄木の作品は、ラウンジや特別室「寄木の間」で楽しめる
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古来より関東総鎮守箱根大権現と尊崇されてきた名社。古代よりの歴史を経て鎌倉時代に源頼朝が深く箱根神社を信仰。二所詣の風儀を生み執権北条氏や徳川家康など、武家の崇敬の篤いお社として栄えた
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芦ノ湖の九頭龍伝説を今に伝える龍神信仰の聖地。龍神伝説を再現する龍神湖水の神事まつりが毎年6月13日の例祭で行われる。また毎月13日の10時から月次祭がある
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1619年から1869年、江戸幕府が芦ノ湖畔に設けた関所。平成19年に完全復元され、現在は当時の様子がよくわかる施設になっている。隣接に箱根関所資料館もある
・『東海道中膝栗毛』 十返舎一九 麻生磯次校注 岩波文庫
・『街道をゆく42 三浦半島記』 司馬遼太郎 朝日文庫
・『伊勢詣と江戸の旅 道中記に見る旅の値段』 金森敦子 文春新書
・『天保懐宝道中図で辿る 広重の東海道五拾三次旅景色』 人文社
・『伊豆山神社の神さまのひみつ』 阿部美香 伊豆山神社
・ 熱海市経営企画部秘書広報課広報情報室
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日本三大古泉のひとつ。約1300年前に発見され、山から湧き出した湯が海岸に飛ぶように走り落ちる様から「走り湯」と名づけられた。伊豆山神社の神湯でもある
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伊豆の地名発祥の地でもある由緒正しい神社。源頼朝が源氏の再興を祈願、また、頼朝・政子が結ばれた場所であるため、縁結びの神社としても有名だ
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江戸時代から大切に受け継がれてきた名旅館に現代的な魅力を加わった温泉旅館。伊豆山温泉の源泉かけ流しの大浴場がある
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全国の約一割200名の芸妓がいる熱海。その見番所では毎週土日11時から11時半まで「湯めまちをどり華の舞」を見ることができる
要予約・1300円
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熱海郷の地主の神であって、全国四十四社のキノミヤジンジャの総社。国指定天然記念物のご神木「大楠」は樹齢2千年を超える
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熱海一寿し
熱海取材の後の昼に立ち寄った小さな寿司屋。地物づくしの握りはネタも新鮮
静岡県熱海市中央町2-2 新玉ビル1F
- 長薗安浩
- 作家。1960年長崎県生まれ。「就職ジャーナル」編集長を経て「ダ・ヴィンチ」創刊編集長などを務め、2002年より執筆に専念。著書に『セシルのビジネス』(小学館)、『あたらしい図鑑』(ゴブリン書房)、『最後の七月』(理論社)、『夜はライオン』(偕成社)などがある。
- 久間昌史
- 写真家。長崎県壱岐市生まれ。写真家・故 管洋志氏に師事後フリーランスに。東京を拠点に料理、人物、風景等、ジャンルを問わず雑誌、広告で活動。「動く写真」をコンセプトにした動画撮影も好評。日本写真家協会(JPS)会員。
KUMAFOTOオフィシャルサイト
※本文中の小サイズの写真は長薗さんによるスナップです。