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- 京都 川で味わう夏の嵐山
- REPORT.01 久しぶりに渡月橋を訪ね 角倉了以を発見する
- REPORT.02 角倉了以の偉業に驚きつつ いざ、保津川下り
- REPORT.03 鵜飼、京野菜……川の恵みで味わう京の夏
鵜飼、京野菜……
川の恵みで味わう京の夏
保津川下りで昼間の保津川を満喫した私は夕刻、浴衣に着替えて再び船に乗り、鵜飼を楽しむために星のや 京都から「一乃井堰」へ向かった。
堰のほんの上流では提灯をつけた船々がゆったりと行き交い、夜の帳(とばり)が下りかけた川岸からはヒグラシの鳴き声がかすかに響いてくる。私はほどよい川風を顔にうけながら三味線の音に耳を傾け、篝火の下で健気に狩りをくり返す鵜に何度も手をたたいた。それからよく冷えたシャンパンで喉をうるおし、「こんなことを毎日やってたら、人間だめになるな」とこぼし、暗くなっていく嵐山や愛宕山をながめた。
木材の迅速な大量輸送を可能にして京都の発展に寄与した角倉了以の偉業は、いまでは観光産業にも大きく貢献している。そんな話をすると、同席していたスタッフから思いがけない話を聞かされた。
「"星のや 京都"の前身の嵐峡館は、もともと了以の別邸だったんですよ」
「なぬ?」
「すぐ裏の峰には、保津川工事の犠牲者を弔うために了以が建てた寺がありますよ」
「それ、ひょっとして大悲閣?」
「ええ、大悲閣です」
翌8月1日の朝、早々に朝食をとった私は、宿を離れる前に大悲閣を目ざした。「星のや 京都」の出入り口を出てすぐ右手に登り口があり、そこには松尾芭蕉の句碑が立っていた。
花の山二町のぼれば大悲閣
一町は約109mである。目的地はすぐそこと軽快につづら折りの石段を上りはじめたが、傾斜はきつかった。息をきらして汗びっしょりになって参拝した大悲閣は、正式には千光寺といい、1611年、了以が亡くなった年に建立されたらしい。私は死後につくられた了以の木像にも手を合わせ、客殿に上がって保津川をながめた。深い木々の合間にちらっとのぞく川面は深緑色だった。遠くには京都市内と東山三十六峰がかすかに見えた。
左)星のや 京都の対岸の亀山からの風景。星のやより上流は舟は上る事は禁じられている。右)朝の散歩の後、「奥の庭」で川を眺めながら贅沢にも薄茶をいただく
「星のや 京都」を後にした私たちは桂川の下流へと車で移動し、昨晩も食した京野菜を育てる石割照久さんの自宅を訪ねた。九条ねぎ、みず菜、聖護院だいこん、壬生菜、えびいも、堀川ごぼう、伏見とうがらし……いまや高級なブランド産品となった京野菜がなぜ美味いのか、その理由などを学んだ私たちは、実際に石割さんの畑に案内してもらって驚いた。コンクリート製の高い堤防と桂川との間にある農地は昨年の洪水で表土が流され、一見ではどこが畑かわからなかった。
桂川河岸でさまざまな種類の野菜を作る石割さん。前の夜に星のやで食べた夕食に使われていた賀茂茄子の他、オクラにササゲ、イタリア産の茄子。中央はオクラの花。ちゃんとオクラの味がする
石割さんによれば、このあたりは昔から桂川の氾濫域で肥沃な土地となり、川に沿って畑作が行われてきた。石割さんの名字も、石だらけの石原を割って開墾してきた先祖の働きに由来している。そんな家業の伝統なのか、石割さんは洪水被害を嘆くことなく新たに20種類ほどの野菜を育てている畑を誇らしげに解説し、その場でそれらのいくつかを私たちに食べさせてくれた。どれこれも美味かったが、私がもっとも気に入ったのは、オクラの花だった。
石割さんは、野菜の新種を探して育てる面白さについて最後まで熱心に話してくれた。30歳までIT関連企業でサラリーマンをしていた石割さんにも、角倉了以に通底する進取の精神がみなぎっているのだろう。そんな感慨にふけりながら車で帰路についた私は、三つの名前をもつ川の魅力を思った。鴨川の川床で酔いしれる夏も素敵だが、保津川、大堰川、桂川のそれぞれの恵を堪能するのも変化があって面白い。
そして。
いつかそう遠くないうちに、三つの名前をもつ川の発展に決定的な貢献をした角倉了以が、大河ドラマの主人公となりますように。
参考文献
- ・『嵯峨散歩、仙台・石巻』(司馬遼太郎 朝日文庫)
- ・『虞美人草』(夏目漱石 新潮文庫)
今回の旅で立ち寄った場所
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臨済宗大本山 天龍寺
1339年、足利尊氏が後醍醐天皇を弔うため、夢窓国師を開山とした禅寺。京都五山の一位として栄え、嵐山、亀山を背景とした池泉回遊式庭園は貴族文化と禅好みの手法が溶け合う。
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常寂光寺(じょうじゃっこう)
日禎上人が角倉家から土地の寄進を受けて創建した日蓮宗の寺院。小倉百人一首を編集した場としても知られる。新緑や紅葉のもみじが美しい。藤原定家の時雨亭跡の碑や多宝塔(重文)も見どころ。
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アイトワの喫茶店
天龍寺北門からトロッコ嵐山駅を抜け、常寂光寺に至る木立の中にある喫茶店。人形作家の森小夜子さんが工房の隣に開いたカフェ。人形工房、カフェが小倉山と調和している。
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星のや 京都
今回の旅行のキーワードである角倉了以、彼の別邸であった建物を改築した旅館。渡月橋より船で保津川を上っていく風情はすばらしい。四季を通じて専用船で川を楽しめる催しも多数ある。
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嵯峨トロッコ列車
嵯峨野から保津川渓谷に沿って丹波亀岡までの7.3kmを約25分で結ぶ観光列車。春は桜と新緑、秋は紅葉を楽しめる。5号車は窓ガラスを取り外したオープン車両ザ・リッチ号。
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保津川下り
古くは平安以前から丹波の材木を筏にして運搬していた保津川筏が発祥。こちらも角倉了以が保津川底を開削、近畿地方へ材木、食料、炭など輸送の要となった。明治時代に遊船のみの運行になり四季を通じて人々を楽しませている。
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大悲閣 千光寺
奥嵐山に建つ寺院。角倉了以が、保津川・大堰川を開削する工事で亡くなった人々を弔うに建立した。了以の木像もある。大悲閣からの眺めは絶景。
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石割農園
江戸時代から続く京都の農家の10代目である石割照久さん。安心して食べられる野菜を提供したいと、20年にわたり有機栽培を中心に取り組んでいる。また、新品種の開発にも挑戦を続けている。星のや 京都では毎年夏に石割さん協力の京野菜スクールを開催。
旅人のお二人
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長薗安浩
作家。1960年長崎県生まれ。「就職ジャーナル」編集長を経て「ダ・ヴィンチ」創刊編集長などを務め、2002年より執筆に専念。著書に『セシルのビジネス』(小学館)、『あたらしい図鑑』(ゴブリン書房)、『最後の七月』(理論社)、『夜はライオン』(偕成社)などがある。
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久間昌史
写真家。長崎県壱岐市生まれ。 写真家・故 管洋志氏に師事後フリーランスに。東京を拠点に料理、人物、風景等、ジャンルを問わず雑誌、広告で活動。「動く写真」をコンセプトにした動画撮影も好評。日本写真家協会(JPS)会員。