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- 出雲 縁を結ぶ地を巡る
- REPORT.01 八雲立つ八重垣神社の奥の宮で 本気の女子とすれちがう
- REPORT.02 これからの出雲大社は アジアの縁結びの神となる
- REPORT.03 恋せよ乙女 信じろ男子 出雲と八百万の神々がついている
恋せよ乙女 信じろ男子
出雲と八百万の神々がついている
最終日となる3日目の朝、私たちは近くにある玉作湯神社に参拝した。ここは『出雲国風土記』にも登場する古社で、花仙山から出土する瑪瑙(メノウ)を使った勾玉の生産地でもあったらしい。
小雨の中、私たちの前にはセーラー服を着た中学生らしき集団がいた。引率者の女性に案内されて彼女たちが向かったのは、本殿の右奥にある神石「願い石」だった。江戸時代には松前藩主も熱心に通った玉作信仰の神社だけに、古くからの作法にしたがって「願い石」の神威を「叶い石」にこめている。もちろんTさんも彼女たちに倣い、雨も忘れて祈りつづけた。
左)玉作湯神社の名物お守り「叶い石」。境内にある「願い石」に叶い石を触れさせて、パワーをお守りにして持って帰えることができる。右)取材班の前を行く女子高校生たちも一心に「叶い石」に願いをしたためる
次に訪れた八重垣神社はその名のとおり、スサノオノミコトとイナダヒメノミコトに由来する。出雲の最も古い民謡にも「早く出雲の八重垣様に、縁の結びが願いたい」と歌われるほど「縁結びの大神」と知られ、雨中にもかかわらず、さほど広くない境内には若い女性が数多く訪れていた。
本殿への参拝をすませた私たちは後方にある奥の院、佐久佐女(さくさめ)の森へ移動した。小泉八雲が「神秘の森」と称したこの森は、スサノオノミコトがヤマタノオロチを退治する際にイナダヒメノミコトを避難させた地で、杉の大木の間を進むと「鏡の池」があらわれた。イナダヒメノミコトの御霊が鎮まっていると伝わるこの池は占いの池としても有名。硬貨をのせた紙片が早く沈めば良縁が早く訪れ、遅く沈めばなかなか良縁がやってこないらしい。私が誰もいない池の縁から水面を見ると、離れた先に一枚の紙片が浮かんでいた。
「ひょえ……」
ふり返るとTさんが立っていた。
「大丈夫だよ」
私は手前の水底に沈んで重なりあっている紙片を見て声をかけた。久間さん、O女史にも励まされ、Tさんは池に近づいて中腰になった。そして、そっと水面に硬貨がのった紙片をのせて手をあわせた。紙片はほどなく左側から水につかり、硬貨の重みを受ける中央部から真下に沈んでいった。
神秘の森に短い歓声があがり、思わず私は拍手した。しばらくすると、次々と若い女性たちが小さな小さな池の前にやってきた。韓国語を話す三人組、中国語を話す二人組、日本語を話す三人組……。私たちは彼女たちの願いが首尾よくいくよう見守り、台湾からの可憐な参拝者の紙片がTさんのときの何倍もの時間をかけて沈むと、全員で拍手した。
左)八重垣神社、良縁占いの池「鏡池」の前で、お参りの仕方を確認する各国女子たち。右)Tさんの占い紙。水に浮かべると文字が浮き上がる「吉の縁向上す 南と東吉」とある
松江市内で名物の鯛茶とあご野焼き料理で昼食をとった私たちは、旅の最後に佐太神社に参拝した。雨はまだ降っていたが、境内に足を踏みいれたとたん、研がれた気を浴びて爽快な気分になった。
独自の神在祭を行う出雲国二の宮、佐太神社。祭りの間、本殿周辺は注連縄や青木の葉で囲まれて八百万の神々が滞在する齋庭(ゆにわ)になり、神職でも容易には立ち入れなくなるという。最終日には、神々を見送る神等去出祭(からさでさい)が北西約2kmにある神目山で厳かに行われる。佐太神社の神在祭は、十九社とは違って密やかに行われるのだろう。
左)よき縁を求める人々の思いを巡る旅、最後の参拝は佐太神社。右)最終日、Tさんはとうとう「大吉」を引く。恋愛運「ひたむきな心持ちが大切です」とある。
こうして予定どおり縁結びに関連する取材を終えた私たちは、全員でお神籤を引くことにした。そもそも縁結びとは男女の恋や結婚だけを意味しているわけでなく、良人に出会ったり、仕事に就いたり、家を建てたりするのも「何かの縁」だから、それぞれ新たな良縁を願ってお神籤を引く……とはいえ、ここまできてそんな理屈はTさんに失礼だろう。願うべきはTさんの前に素敵な男性があらわれること、その一点だ。私と久間さんとO女史に囲まれた中、Tさんは口をきつく結んでお神籤に手をのばした。この短い旅の間にもう何度も引き、芳しくない結果に一喜一憂してきたTさん……「あああああ」
「どうだった」と私。
「大吉です!」
「でかした!」
たかだか2泊3日とはいえ出雲の長い歴史をふまえて参拝し、祈願するにふさわしい神々に真剣に祈ってきたTさん。その最後に大吉が出たのだから縁起がいい。こうなったら今年の神在月に大いに期待しても罰はあたるまい。私はせめてもの応援の思いをこめ、佐太神社の破魔矢を買ってTさんに贈ったのだった。
オオクニヌシノミコトよ、八百万の神々よ、どうかTさんによき神議を。
参考文献
- ・『現代語訳 古事記』(福永武彦/訳 河出文庫)
- ・『日本書紀 全現代語訳』(宇治谷 孟 講談社学術文庫)
- ・『解説 出雲国風土記』(島根県古代文化センター編 今井出版)
- ・『神話のおへそ』(監修・神社本庁 扶桑社)
- ・『出雲大社ゆるり旅』(錦田剛志・文 中野晴生 ポプラ社)
- ・『葬られた王朝』(梅原 猛 新潮社)
- ・『くま野乃宮 熊野大社』(熊野大社崇敬会)
- ・『島根県立古代出雲歴史博物館 展示ガイド』(ハーベスト出版)
今回の旅で立ち寄った場所
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熊野大社
火の発祥の神社として「日本火出初之社」(ひのもとひでぞめのやしろ)とも呼ばれ、出雲大社と共に出雲国一宮である大社。松江中心街から15キロも離れているが、境内は厳かな空気に包まれ、神域を感じることができる。神話に出てくる「御櫛」をかたどったお守りがかわいらしい。
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須我神社、奥宮
日本初之宮とされる須賀神社。須佐之男命は大蛇を退治した後、稲田姫と結ばれ初めてこの地で宮作りをしたことに由来される。この神社の奥の宮にある「夫婦岩」は圧巻。参拝道である山道には自然の滝の手水場などあり、古代の信仰の場をそのまま残す。
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界 玉造
神の湯と言われる玉造温泉にある全室露天風呂付の高級旅館。目の前には玉湯川が流れ、足湯もある。館内茶室では三斎流作法による呈茶、雅楽や舞楽を楽しむことができ、いながらにして深い出雲文化や松江文化を体験できる。
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出雲大社
縁結びの神・福の神として名高い出雲大社。「古事記」「日本書紀」に創建の逸話が記されている。天照大御神に国を譲った大国主大神主が主祭神。神在月の11月下旬には毎年「縁結び大祭」が催され、多くの男女が訪れる。
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島根県立古代出雲歴史博物館
出雲大社の東に隣接する博物館。モダンな建物とテーマ設定がされた展示がたいへん見やすくわかりやすい。常設展示は出雲大社、出雲風土記、青銅器の3つのテーマで展開されている。中央ロビーの「出雲大社境内遺跡出土の宇豆柱」やその柱と資料を基にした復元模型、数千に及ぶ青銅刀と銅鐸は圧巻である。
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稲佐の浜
浜辺の奥に大国主大神と武甕槌神が国譲りの交渉をしたという屏風岩があり、海岸の南には、国引きのとき、島を結ぶ綱になったという長浜海岸(薗の長浜)が続いている。神在月にはここから神々をお迎えする。
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玉造温泉
『出雲国風土記』にも記載があり、神の湯として古くから知られる名湯。江戸時代には松江藩藩主の静養の地なっていた。玉造という名の由来は、このエリアにある花仙山で良質の青瑪瑙が採掘できたためといわれる。
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玉作湯神社
三種の神器のうちの一つである「八尺瓊勾玉(ヤサカニノマガタマ)」が作られた地とされる玉造。その玉造部の租である櫛明玉命を祀る神社。境内には「願い石」青瑪瑙の原石「御守石」がある。また、お守りとして持ち帰れる「叶い石」は参拝者に人気。
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八重垣神社
素戔嗚尊と櫛稲田姫を祀る縁結び、夫婦和合、授児安産にご利益が特にあるいわれる神社。社殿後方には「奥の院」が鎮座し、「夫婦杉」と呼ばれる2本の大杉、「連理の椿」など、夫婦和合を象徴するものが多数ある。「鏡の池」と呼ばれる神池での「縁結び占い」は良縁を祈る人々で賑わう。
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皆美館
創業120年の宍道湖ほとりになる旅館。外来客でも庭園茶寮にて夕昼食を取ることができる。松平不昧公好みの「皆美家伝 鯛めし」を始め、島根の旬を使った料理を楽しむことができる。
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佐太神社
出雲国二ノ宮、また出雲国三大社の内の一つ「佐陀大社」として称えらる神社。出雲国で最も古式を遺す神在祭、ユネスコ無形文化遺産リストに登録されている「佐陀神能」等古傳の祭祀を受ける社。主祭神・佐太大神は出雲国で最も尊いとされる四大神の内の一柱で猿田彦大神と同神。
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島根県物産観光館
1階は島根県の物産(食料品)、2階は島根の工芸品を展示&販売する。その他、県内の観光パンフレットを多数取り揃え、観光情報の提供と案内を行っている。松江城大手門の堀川遊覧船の乗り場の向かいにある。
旅人のお二人
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長薗安浩
作家。1960年長崎県生まれ。「就職ジャーナル」編集長を経て「ダ・ヴィンチ」創刊編集長などを務め、2002年より執筆に専念。著書に『セシルのビジネス』(小学館)、『あたらしい図鑑』(ゴブリン書房)、『最後の七月』(理論社)、『夜はライオン』(偕成社)などがある。
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久間昌史
写真家。長崎県壱岐市生まれ。 写真家・故 管洋志氏に師事後フリーランスに。東京を拠点に料理、人物、風景等、ジャンルを問わず雑誌、広告で活動。「動く写真」をコンセプトにした動画撮影も好評。日本写真家協会(JPS)会員。