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- 軽井沢 現代を休む「脱デジタル」の旅
- REPORT.01 発見された避暑地、軽井沢 その原点にあるショー師の精神
- REPORT.02 軽井沢の誇りを感じるスローガン "娯楽を人に求めずして自然に求めよ"
- REPORT.03 星のやの「脱デジタル滞在」で 私自身のバランスを取りもどす
軽井沢の誇りを感じるスローガン
"娯楽を人に求めずして自然に求めよ"
大正時代になると、軽井沢の別荘の数は毎年数十戸ずつ増え、避暑に訪れる日本人も急増した。その中にはいわゆる文化人も多くいて、室生犀星、芥川龍之介、萩原朔太郎、堀辰雄、若山牧水など名だたる作家たちがこの地で夏を過ごした。私が宿泊した「星のや軽井沢」の敷地にも、同時期に星野温泉を満喫した与謝野鉄幹と晶子夫妻の歌碑が並んで置かれていた。
また、星野エリアの敷地内にある軽井沢高原教会を訪ねると、その成り立ちは大正10年に開催された「芸術自由教育講習会」にあるのだと教えてもらった。つまり、その時に会場となった材木小屋が現在の教会となったのだ。
「星野遊学堂」。現在は「軽井沢高原教会」として、その歴史を刻んでいる歴史について教えてくれる牧師の居垣先生。銘板には星野嘉助の名が
内村鑑三も招かれたこの勉強会の講師陣には、北原白秋、巖谷小波、弘田竜太郎、鈴木三重吉、島崎藤村といった当時を代表する文化人が名をつらねている。彼らはやがて隣接する森に別荘を構え、夏は軽井沢で創作に励んだ。三代目星野嘉助が内村に書いてもらった「星野遊学堂」の額は今も教会の入口の上にあり、もう一枚の「善遊善学」は、四代目が同敷地内に建てた「石の教会 内村鑑三記念堂」に展示されていた。
最初に「避暑地として」の軽井沢を発見した人物が宣教師だったからか、さらにはその教えを住民が遵守したからか、軽井沢には教会がよくにあう。森を歩き、木洩れ日を浴び、何種類もの鳥たちの鳴き声を耳にし、キリスト教徒でもないのに教会を訪ねるだけで、とっちらかった気分がなだらかになっていく。古くから軽井沢のスローガンとして語られてきた、「娯楽を人に求めずして、自然に求めよ」の意義がすっと腑に落ちる。
昭和になってさらに活気づいた軽井沢が、単なる避暑地の域をこえて文化的なリゾート地へと発展したのも、このスローガンを大切にし、行楽地につきものの風俗業を禁止したからだと私は思う。何でもありは結局、もともとあったその土地の美点を削いでいく。軽井沢も避暑客が急増する中でそうなる危険性はあったが、今上天皇が皇太子として正田美智子さん(現皇后)と婚約した昭和33年、条例を制定して風俗営業の開店を不許可とした。
こうして豊かな自然の中でゆったりとした時の流れを体感でき、爽やかな気候の下でテニスやゴルフやスケートに興じられるよう注力してきたからこそ、軽井沢は国際的にも高い評価を受けるリゾート地へと進化したのだろう。
軽井沢の歴史をふまえて史跡を散策した私は、「ならば」と考えた。日本を代表するリゾート地となった軽井沢は、これからどんな新しいサービスを提供できるのか? 私のこの問いを聞いた星野リゾートの広報O女史は、「ぜひ、脱デジタル滞在を体験してください」といって笑い、「星のや軽井沢」へと先に歩み出した。彼女についていった私は、チェックインの際にパソコンを預けるよううながされた。文字どおり「脱デジタル滞在」への手続きらしい。
星のやオリジナルの「脱デジタル滞在」では、チェックイン後にスマホやPCなどのデジタル機器を預ける。もちろん必要な時は返却してもらえるが、四六時中スマホチェックをするような事がなくなる。今回は、湯川に面した「水波の部屋」に滞在させてもらった
思えば、ITに疎い私ですら、仕事のために複数のパソコンやスマートフォンを手放せない生活を送っている。中毒とまではいかないが、気づけばちょっとした隙にスマホに目をやってしまうのが日常だ。かすかな不安を感じつつチェックインをすませた私は、敷地内を流れる湯川に面した部屋で着替え、指圧を受けた。
この指圧の特長は、顔に現れている疲れをとってくれるとのこと。初めて顔のツボや表情筋を押されて最初は少々痛かったが、いつの間にか私は眠ってしまった。1時間ほどして目を覚ました私に指圧師の舟田さんは、「ずいぶん目を酷使されてますね。視神経の活動が低下すると、頭髪にも影響が出ますよ」と鋭いアドバイスを与え、冷えた茶を出してくれた。
日々の執筆と読書のせいで眼精疲労が溜まっていたらしい、施術開始後すぐに眠ってしまった。聞香と言えば、香木を使うのが常だが、軽井沢で育った草木を使った聞香を体験。この土地の香りと植生を知ることができ、興味深い。スタッフの藤島さんの穏やかな声にも癒される
ちょっとだけ美顔になって部屋にもどってみると、O女史が待っていた。「今度は軽井沢風の聞香をやってもらいます」とうながされ、用意された施設内の森でとれる5種類の草木の香りを聞いてから3種類の茶を飲み、それぞれがどの草木からとったものか当てるらしい。聞香が伝統的な和の遊びとは知っていたが、実際にやるのは初めてだった。私は小皿に盛られた草木に思いっきり鼻を近づけ、ちょっとだけ美顔になったばかりの顔面を歪めて何度も嗅ぎ、真剣に茶の味を吟味した。
結果は1種類のみの正解だったが、他の2種類の選択はあっていたと知り、私は自分の嗅覚にかすかな自信をもったのだった。
今年の夏からできたという「棚田BAR」、水のせせらぎが心地よい。この夜は、バーテンダーの堀さんおすすめの信州のウイスキーのソーダ割りと鹿肉の燻製をいただいた
聞香で遊んで部屋を出ると、周囲の森には夜のとばりがおりはじめていた。敷地内の照明は少なく、あっても低い位置に設置されているせいか、巨木の合間から見える月は明るかった。指圧で顔も腰もほぐれ、人生初の聞香で嗅覚を鍛えた私は、棚田バーで椅子に座って一杯、ウイスキーを飲んだ。すぐ近くでは、番(つがい)の鴨がうろちょろしていた。夕食までの時間、私はその姿をながめつづけた。