- NIPPON再発見トップ >
- 軽井沢 現代を休む「脱デジタル」の旅
- REPORT.01 発見された避暑地、軽井沢 その原点にあるショー師の精神
- REPORT.02 軽井沢の誇りを感じるスローガン "娯楽を人に求めずして自然に求めよ"
- REPORT.03 星のやの「脱デジタル滞在」で 私自身のバランスを取りもどす
星のやの「脱デジタル滞在」で
私自身のバランスを取りもどす
翌朝は6時に目がさめた。顔を洗ってテラスへ出てみると、湯川には数羽の鴨が浮かんでいた。うっすらとした雲から差す朝日を浴び、玉虫色の頭が輝く。餌を獲るためその頭を水中に沈める度に、オレンジ色の両脚が川面の外に突き出てきた。小太りでがに股の男子が必死に逆立ちをしているようで愛らしく、何度見ても笑ってしまう。
昨晩は久しぶりに零時前に床につき、たっぷり熟睡した。「嘉助」でとった夕食はしっかりと消化され、3種のおにぎりと味噌汁が部屋にとどくなり、自分でもあきれるほど勢いよくたいらげた。美味かった。
私は食後のお茶をもってまたテラスにもどり、ただただぼんやりと鴨たちを見つづけた。そして8時半になると、敷地内の木立の中にある茶屋へ移動。脱デジタル滞在のプログラムにある、「のびのび深呼吸」と呼ばれる体操に参加した。
スタッフの有賀さんの指導のもと、呼吸を意識していくと脳がクリアになる感覚を体感した。滞在した部屋からは、ゆったり流れる湯川に朝から晩まで鴨のお尻がおもちゃのようにプカプカと浮かぶ
廊下の先に山モミジが見える古い和室で体を動かすたび、私はスタッフの指示どおり、4つ数えながら鼻から息を吸い、8つ数えながら口から息を吐いた。もともと体は柔らかいのだが、呼吸法にこだわるといつもとは違う感覚が全身にひろがっていく。すべて終えたときにはうっすらと汗をかき、清々しい気分になった。
次に用意されていたのは、生け花だった。敷地内の草花や小枝を好きに摘み、それらを使って生けるらしい。私は編み籠を持って敷地を歩き、茶屋にもどると正座して花器に向かい、集めた草花を手に取った。編集者時代に編んだ、かの假屋崎省吾さんの作品集を思い出しながら悪戦苦闘し、最後は自分でも驚くほどシンプルに仕上げた。
スタッフの西田さんとともに花摘みに。茶屋の前の小道脇には、さまざまな草花が咲いていた。最初は戸惑ったが、そのうち夢中になってしまった
午後は、「星のや軽井沢」に隣接する「国設 軽井沢野鳥の森」へ移動し、「ピッキオ」の大塚さんの案内でネイチャーウォッチングを楽しんだ。生い茂る濃緑の木々を見上げながらゆるやかな坂をゆっくり歩き、鳥の声が聞こえてくるとそちらを見上げ、その声の主に関する大塚さんの解説に耳をかたむけた。この季節は、鳴き声はしても姿が見えない鳥がほとんどだったが、それだけに喉のあたりの羽毛が黄色いキビタキを見つけたときはつい興奮してしまった。
ピッキオの大塚さんのトークは、専門的でありながらほのぼのとしていて、森の豊かさと生き物の面白さを感じることができた。ここではデジタル機器が大活躍、その場で見れない動物たちの生態記録などもその場で見ることができる
途中、道の左手に獣道が現れると、大塚さんはパソコンを取りだし、センサー付きカメラで録画した動物たちを見せてくれた。そこには、イノシシ、野ウサギ、サル、タヌキ、ニホンカモシカ、そしてツキノワグマが写っていて、私はあらためて軽井沢の森の豊かさを思い知った。
約2時間森を歩いた私に用意された最後のプログラムは、「水中指圧と闇の浮遊浴」という不思議なものだった。私はO女史に先導されてメディテイションバスに行き、水着に着替えてスパに入った。私の隣には前日に指圧してもらった舟田さんがいて、丸く細長いマットを使って私を浮かせると、そのままゆっくりとスパの奥へと誘った。
そこは壁をくり抜いた洞窟のような造りになっていて、その中をさらに進んでほどなく、私の視界は真っ暗になった。まるで漆黒の闇の中に私の目だけが浮いているようだった。目をとじると、生暖かい空中に浮遊している感覚につつまれた。初めて味わう奇妙な心地よさに浸ってスパにもどり、浮いたまましばらく指圧を受けた。舟田さんによれば、通常では届かないインナーマッスルへの指圧を試みるために、力が入りにくいスパに浮いている状態を保ってもらうとのことだった。
ほの暗い温泉の中での施術はすこし緊張する体験だった。101年目をむかえた星野温泉には、星のや宿泊者専用の「メディテイションバス」の他に広々とした内湯と露天が評判の「トンボの湯」がある。3日目の朝風呂はこちらで。星のやの正統派和朝食、とろとろの豆腐鍋が美味しかった
今回、私が受けた「脱デジタル滞在」のプログラムは、とりあえずここまでだった。どうしても電脳社会に生きるしかない現代人にとって、それらはデジタル機器を遠ざけると同時に、視覚ばかりを酷使する肉体のアンバランスを修正する試みでもあった。実際、たった2泊3日の滞在であっても、私の肉体と精神のバランスはずいぶん整った気がする。
そもそもリゾートの語源にはリ・ソート、すなわち「一度並べられたものを整理し直す」という意味があるらしい。デジタル偏重、視覚偏重、脳偏重のこの時代に、日本のリゾート文化をリードしてきた軽井沢からこうした新たなサービスが登場してきたことは、実に興味深い。思えば、軽井沢を「避暑地として」発見したショー師もまた、この土地によって自分のバランスを整え直したのだった。
私たちにとって価値あるリゾートとは、自分の生活や肉体に生じている偏りを正し、自分が素直にリラックスできる状態を快復させてくれる場所なのだろう。「脱デジタル滞在」は、だから、今後ますます求められるに違いない。この連載の最後に新しい軽井沢を体験できた私は、しみじみそう思う。
参考文献
- ・『軽井沢案内-2015-』(軽井沢町観光経済課)
- ・『軽井沢という聖地』(桐山秀樹 吉村祐美 NTT出版)
- ・『堀辰雄』(ちくま日本文学 筑摩書房)
- ・『やまぼうし』(星野嘉助 星野温泉)
今回の旅で立ち寄った場所
-
星のや軽井沢
101年目をむかえた星野温泉を継ぐラグジュアリーリゾート。森に囲まれ、川が流れ、軽井沢の四季をぜいたくに楽しむことができる。星野エリア一番奥にあり、徒歩や送迎車でエリア内を散策できる。
-
軽井沢高原教会
1921年に開かれた「芸術自由教育講習会」で使用された講堂が前身。その後、縁あった内村鑑三が「星野遊学堂」と名付け、第二次世界大戦後に「軽井沢高原教会」と改名した。いまも日曜礼拝、季節の教会の行事など盛んにおこなわれている。
-
石の教会 内村鑑三記念堂
アメリカのオーガニック建築家、ケンドリック・ケロッグ設計の教会。地下には無教会主義の内村鑑三の資料をまとめた記念堂がある。独創的なスタイルでありながら、軽井沢の自然に溶け込むように佇む。
-
星野温泉 トンボの湯
星野温泉を日帰りでも楽しむことができる立ち寄り湯。泉質は「ナトリウム-炭酸水素塩・塩化物泉」で、皮膚の汚れを落とし、かつ保湿をしてくれる。古くから強酸性の草津温泉の湯治客の「仕上げ湯」としても親しまれた美肌の湯である。
-
ピッキオ&国設 軽井沢野鳥の森
「ピッキオ」は野生動植物の調査研究および保全活動を行うと共に、自然の不思議を解き明かすエコツアーや環境教育を行っているエコツーリズムの専門家集団。野鳥の森では四季を通じてネイチャーウォッチングツアー、空飛ぶムササビウォッチングなど開催。
-
ハルニレテラス
中軽井沢駅から星野エリアに向かうと、湯川の清流に沿うようにウッドデッキが広がる小さな街が表われる。自生していた100本超のハルニレ(春楡)の木とショップ、レストランがあるテラス。別荘客、観光客でいつも賑わう。
-
日本聖公会ショー記念礼拝堂
軽井沢で最も古いこの教会である。軽井沢を避暑地として育てた、A.C.ショー氏が宣教師をしていた教会。礼拝堂の前には明治36年に村民から寄贈された記念碑が建っており、当時からショー氏の貢献に感謝していたことがわかる。
-
ショーハウス記念館
ショー氏が軽井沢町で最初に建てた別荘を移築復元し、室内には当時の写真などが展示されている。当時の生活の様子が想像できる。
-
旧三笠ホテル
米英独のスタイルが混ざった西洋建築の建物。国の重要文化財。1906年に開業し、時の文化人財界人が多く利用したため「軽井沢の鹿鳴館」といわれた。戦時中は外務省の軽井沢出張所が設置されていた。
旅人のお二人
-
長薗安浩
作家。1960年長崎県生まれ。「就職ジャーナル」編集長を経て「ダ・ヴィンチ」創刊編集長などを務め、2002年より執筆に専念。著書に『セシルのビジネス』(小学館)、『あたらしい図鑑』(ゴブリン書房)、『最後の七月』(理論社)、『夜はライオン』(偕成社)などがある。
-
久間昌史
写真家。長崎県壱岐市生まれ。 写真家・故 管洋志氏に師事後フリーランスに。東京を拠点に料理、人物、風景等、ジャンルを問わず雑誌、広告で活動。「動く写真」をコンセプトにした動画撮影も好評。日本写真家協会(JPS)会員。