HISTORY
星野リゾートの歩み
1914年に長野県軽井沢に最初の旅館を開業してから、星野リゾートの歴史が始まりました。110年の歴史の中で経験したすべての出来事が、今の星野リゾートを形づくっています。このページではそんな星野リゾートの歩みをご紹介します。
星野温泉の湯殿を造る
星野家二代目の星野国次は、温泉地としても避暑地としても、どんな場所にも負けない地になると考え、星野温泉の掘削を開始。宮造りの湯殿を造りました。
「星野温泉旅館」開業
水力発電所が完成
1917年から自力で水力発電をはじめていましたが、さらなる電力を得るため、星野嘉政(三代目)は本格的なタービン水車を導入し、1929年に日本で最初の本格的自家用小水力発電所を誕生させました。この水力発電所は現在も、発電機を入れ替えながら稼働を続けています。
ブライダル事業開始
星野晃良(四代目)は、芸術教育夏季講習会(1921年開催)にルーツを持つ「星野遊学堂」を1974年に「軽井沢高原教会」と改名し、軽井沢を代表する教会としてブライダル事業を始めます。
当時、日本では神前式が主流の中、西洋の教会式ウエディングをいち早く取り入れました。また、誰にでも開かれた教会として多くの人々に祝福を届け、それは今も続いています。
所有を本業とせず、
運営会社を目指すという
企業将来像を発表
1987年施行のリゾート法を契機にリゾートや旅館には新規参入が増える時代を迎えました。星野リゾートはこれを機に現在の経営方針に移行、事業内容も運営分野に特化し、企業ビジョンを「リゾート運営の達人」と設定。お客様のご満足を重視しながらも十分な利益を確保できる運営の仕組みづくりに取り組みました。
野鳥研究室
(現在のピッキオ)設立
自然環境の保全と観光の両立を図り、野鳥研究室を設立しました。現在は「ピッキオ」としてネイチャーツアーや環境教育、ツキノワグマ保護管理事業をはじめとする野生動植物の調査および保全活動といった事業を行っています。
ホテルブレストンコート開業
「ゼロエミッション」達成に向けた
「ゼロ委員会」発足
1990年代から本格的に環境経営に取り組み始めた星野リゾートは、2000年よりゴミの資源化100%を目指す「ゼロエミッション」達成に向けた「ゼロ委員会」を発足。全スタッフが環境対策への強い意識を持って取り組んだ結果、2011年にホテル業界初の「ゼロエミッション」を軽井沢事業所で達成しました。
本拠地軽井沢以外でホテル運営開始
これまで積み上げた運営の知見を活かし、再生を依頼されたリゾートホテルの運営に着手。「リゾート運営の達人」を目指して、軽井沢の地から全国へ歩みはじめた最初の一歩でした。
星野温泉旅館を建て替え、
星のや軽井沢開業
マスターブランド戦略を開始
マスターブランドである「星野リゾート」の認知度をあげるべく、マスターブランド戦略を開始しました。
界ブランド展開開始
リゾナーレブランド
展開開始
サブブランド戦略を開始
マスターブランド「星野リゾート」の認知度が上がってきたことから、サブブランドである「星のや」「界」「リゾナーレ」それぞれが自立し、さまざまな旅の楽しさを発信していくためにサブブランド戦略に舵を切りました。
星野リゾート・リート投資法人
東京証券取引所に上場
日本で初めて観光に特化した不動産投資信託(リート)を立ち上げました。日本が観光立国を目指す過程で、一般投資家が観光産業の成長に投資いただける環境を整えることは重要であると考えています。
開業100周年
次の100年に歩み出すにあたり、「旅とは世界の人たちを友人として結んでいく魔法」だと考えました。それを証明するため、日本を旅してみたい20代の旅人100人を世界の国々から募集し、日本の人々に触れる旅を通じて感じたありのままのことを、レポートしてもらう企画を行いました。
星のやバリ開業
海外の開発案件としては初となる星のやバリを開業しました。
OMOブランド展開開始
BEBブランド展開開始
マイクロツーリズム
コロナ禍には、観光産業、そして星野リゾートにできることは何かをスタッフ全員で考えました。星野リゾートの価値観として社会的に意義のあることをするという考えのもと、withコロナ時代にあった対策を講じながら、マイクロツーリズムなどの新しいサービスを提案してきました。コロナ禍を経た現在は、持続可能な観光のあり方を模索し、ステークホルダーツーリズムの考え方を大切にしています。
2024年現在、開業110年を迎え、
国内67、海外5施設を運営中
110年の歴史を経た星野リゾートの今の姿は、様々なスタッフの活躍無くして成り立ちませんでした。そして、これからの未来を作るのも、スタッフ一人ひとりの力。そんな、星野リゾートを創る人々を、一挙ご紹介します!
星野リゾート
内村鑑三と星野リゾート
明治期のキリスト教者・内村鑑三は、星野リゾートとゆかりの深い人物です。1921年、星野温泉で行われ、多くの文化人が集った「芸術教育夏季講習会」で講演して以来、晩年を軽井沢で過ごすようになりました。1926年には、当時21歳の嘉政(三代目)に「成功の秘訣十ヶ条」の書を授け、この書は、代々星野温泉の家憲として受け継がれ、同氏の思いを伝える記念物として存在する「石の教会 内村鑑三記念堂資料展示室」に今もなお大切に保管されています。
環境経営のあゆみ
星野リゾート
環境経営のあゆみ
星野リゾートは創業時から「環境との共生」をテーマに、さまざまな環境経営に取り組んできました。地域の風土を守りながら、地域に暮らす方々とともに、「日本の伝統や文化、自然環境を活かしたおもてなしで旅を楽しくする」。私たちはこの活動を、企業の事業活動を通して社会の課題を解決する「CSV経営」として実践し、持続可能な観光の実現を目指してきました。
達人になる
リゾート運営の達人になる
/日本の観光をヤバくする
星野佳路が代表に就任後、「リゾート運営の達人」として、もっと「日本の観光をヤバく」していくことを掲げました。2001年からは大型リゾートの再生事業、2005年からは旅館の再生事業を始め、経営破綻した数々のリゾートを再生しながら、運営会社として信頼していただけるように努めてきました。
旅は魔法
数年先、数十年先、私たちには
どのような未来が待っているのでしょうか。
日々は予測ができないことの連続ですが、
旅の魔法を感じられる未来を創るため、
星野リゾートは今日も世界、日本各地で、
旅の魅力を伝え続けています。