みちくさの達人
サムライとなった英国人航海士、「三浦按針」とは。その足跡をたどる伊東の旅

みなさんは三浦按針(みうらあんじん)という名前をご存知でしょうか。
彼は、大航海時代にオランダから東洋を目指し、日本に漂着した英国人航海士で、英名をウィリアム・アダムスといいます。徳川家康の外交顧問として重用されたのち、日本で初めて洋式帆船を建造し、徳川政権の威容を示すために役立ったといわれています。
この「日本初の洋式帆船造り」という歴史的事業が、実は伊豆・伊東の地で行われたことはあまり知られていないかもしれません。
按針の足跡を辿りながら、ロマンとパイオニア精神に満ちた彼の人生に思いを馳せる、そんなストーリー性のある、大人にふさわしい旅へと出かけてみませんか?

オランダから大海を越え、リーフデ号で日本へ漂着

300tの大型船、オランダのリーフデ号。船名はオランダ語で「愛」の意
300tの大型船、オランダのリーフデ号。船名はオランダ語で「愛」の意

1564年(永禄7年)にイギリス東部のジリンガムに生まれ、12歳から造船所で徒弟(とてい)として働いたウィリアム・アダムス。その後12年間は造船や天文学、航海術を学び、さらに海軍船長や北極探検なども経験。34歳で、5隻からなるオランダ東洋遠征隊に主任航海士として乗船、東洋へと出帆しました。

航海は困難の連続でした。食料などの補給も難しく、南極に近いマゼラン海峡での過酷な越冬、先住民の襲撃などにより、艦隊はやがてアダムスたちが乗ったリーフデ号ただ1隻に。それでも貿易船としての責務を果たすため、針路を日本へと取り続けたリーフデ号はついに日本の陸影を確認。オランダ出帆から1年10カ月、もはや帆走能力を失った状態で、現在の大分県臼杵市佐志生(さしう)に漂着したのでした。
時は1600年(慶長5年)4月、天下分け目・関ケ原の戦いのわずか半年前のことでした。

家康の下命により、伊東で洋式帆船造りに着手

現在の伊東・松川河口付近
現在の伊東・松川河口付近

漂着したアダムスを、徳川家康は大阪城に呼び引見しました。アダムスが持つ知識や公平な人柄を見抜いた家康は、関ケ原の戦いの勝利後、江戸日本橋にアダムスの屋敷を用意。家康自身は数学や地理学を学び、重臣たちには砲術や航海術、天文学を指南させ、また、幕府の外交顧問としても重用していきます。

島国・日本で海上運送の必要性を感じていた家康は1604年(慶長9年)、アダムスに日本初の洋式帆船の建造を命じました。アダムスは「海に注ぐ河口がある」「用材を切り出せる天城山系が近い」「有能な船大工が揃っている」などの観点から伊豆の伊東が適所と見極め、松川河口で日本初の洋式帆船造りをスタートしました。

砂洲を利用した「砂ドック方式」での造船

砂ドックで船大工が日本初の洋式帆船を造る様子を表現した、川口公園のタイル絵
砂ドックで船大工が日本初の洋式帆船を造る様子を表現した、川口公園のタイル絵

当時、伊東・松川河口には厚みのある砂洲があり、アダムスはそこを使って「砂ドック方式」で造船を進めました。これは砂浜に掘った穴の中に丸太を敷き、そこで船を造ってから船までの水路に堰き止めた水を引き込み、船を海へと進水させる方法です。このとき建造した80tの帆船に家康も試乗し、大いに喜んだといわれています。翌年には、外洋に出られる120tの大型船もこの地で建造しました。

「サムライ」となり、海外貿易にも貢献

長崎県平戸市、崎方公園にある三浦按針墓
長崎県平戸市、崎方公園にある三浦按針墓

1605年(慶長10年)、家康はアダムスの功績に対し、三浦郡逸見(現在の横須賀市の一部)に領地250石と刀2本、脇差を下賜した上、三浦按針という名を与えました。三浦は領地に由来し、按針には水先案内人という意味があります。こうしてウィリアム・アダムスは「サムライ」となり、その後は江戸商人の娘、お雪と結婚し二人の子にも恵まれました。

造船の他にも、オランダやイギリスの平戸商館設立など、幕府の海外貿易振興に尽力しました。また、琉球やシャム(現在のタイ)、中国などへ渡航し、自ら貿易も行っています。1616年(元和2年)、シャムでの交易を終えて帰国した按針は、家康の訃報に落胆。その後は時勢の変化により不遇な晩年を送り、1620年(元和6年)に長崎県平戸で生涯を閉じました。

1年10カ月の航海を経てたどり着いた、大分県臼杵市

大分県臼杵湾内に浮かぶ、緑豊かな黒島
大分県臼杵湾内に浮かぶ、緑豊かな黒島

1600年(慶長5年)4月19日、110名いた乗組員のうち生存者わずか24名でリーフデ号は大分県臼杵湾内にある黒島にたどり着きました。周囲約3kmの小さな島で、佐志生海岸からは約300m、渡し舟に乗ること約5分で到着します。島には三浦按針の上陸記念公園が整備されています。

上陸記念公園内に飾られている記念碑「出会い」(玉田信行作)には、按針たちと佐志生の人々との出会いの場面が描かれています。

大分県臼杵市 黒島

家康の下命により洋式帆船を建造した地、静岡県伊東市

家康から洋式帆船建造の命を受け、伊東で帆船造りを開始した三浦按針。もともとこの地では船底が平らな和船が造られていたのに対して、按針が設計したのは船底が丸い洋式帆船でした。設計図や造船ノウハウは、その後の鎖国や2度の大津波などで失われてしまいましたが、このときの造船に関しては「慶長見聞集」に詳しく書かれています。

また、洋式帆船を造る上で条件が整っていた伊東ですが、ここに湧く豊かな温泉にもアダムスは着目したのではと推測されます。効能の高い温泉につかることで、船手奉行の向井将監忠勝や船大工たちと疲れを癒やしたのではないでしょうか。

伊東市では現在、「按針メモリアルパーク」「川口公園」「東海館」などのスポットや施設で按針の足跡に触れることができます(各スポット・施設詳細は後述をご参照ください)

家康から与えられた領土・逸見があった、神奈川県横須賀市

横須賀市塚山公園にある、三浦安針墓
横須賀市塚山公園にある、三浦安針墓

1620年(元和6年)長崎県平戸で三浦按針は亡くなり、外国人墓地に埋葬されましたが、息子のジョセフは父の遺言に従い、領土であるこの地に墓標を建てました。一帯は現在「塚山公園」として整備され、桜の名所として親しまれています。
按針の墓石の隣には妻の墓石が並び、国史跡に指定され、横須賀風物百選にも選ばれています。
また、横須賀市は按針の生誕地・イギリス・メッドウェイ市(旧ジリンガム市)と姉妹都市になっています。

神奈川県横須賀市 塚山公園

イギリス・オランダの商館設立に尽力した、長崎県平戸市

平戸港から市街の町並みまでを一望でき、ヒラドツツジの名所としても有名な崎方公園
平戸港から市街の町並みまでを一望でき、ヒラドツツジの名所としても有名な崎方公園

江戸幕府にオランダやイギリスとの通商を働きかけ、平戸に商館を設立した按針。中国への航海を最後に、戻ってきた平戸で病床につき、56年の生涯を終えました。
1954年(昭和29年)になり、平戸港を見渡す高台にある崎方公園に、三浦按針墓が建立されました。実は、按針は東洋への出帆前、イギリスで結婚しており、母国に妻と子どもを残していました。そこで1964年(昭和39年)アダムス誕生400年の際に、イギリスの妻の墓地から霊魂の象徴として小石をとりよせて合葬し、夫婦塚としました。

平戸市では没後400年の節目となる2020年に、様々なイベントを行う予定です。

長崎県平戸市 崎方公園

大海原を背景にした「按針メモリアルパーク」

按針が日本初の洋式帆船を建造した場所に作られた記念公園で、松川河口の渚橋際にあります。彼の功績を称え、按針の胸像と、伊東で作った2隻目の大型帆船「サン・ブエナ・ヴェンツーラ号」(幸せを呼ぶ船、の意)のモニュメント、そして洋式帆船建造400年記念標柱があります。胸像は地元の彫刻家・重岡建治氏の作。

天気のいい日は鮮やかな青い海に初島がくっきりと浮かび、マリンビューを背景に撮影を楽しむ人々が見られます。

按針メモリアルパーク
  • 住所静岡県伊東市渚町6 MAP
  • アクセス伊東線伊東駅から徒歩約15分
  • TEL0557-36-0111(伊東市観光課)
  • 駐車場有料(なぎさ公園駐車場、徒歩すぐ)

松川のそぞろ歩きついでに訪れたい「川口公園」

海岸から松川沿いに歩いて行くと、左岸に松川遊歩道があります。遊歩道を少し進み、見下ろした川辺に広がるのが川口公園。三浦按針の功績を記した按針碑と「按針音頭」の歌碑、さらに階段を数段下りた先には造船の様子をあらわしたタイル絵が見られます。

川口公園

元、老舗温泉旅館「東海館」で按針の功績に触れる

「東海館」は大正末~昭和初期の温泉旅館としての情緒を今に伝える、木造3階建ての建物。現在は伊東市有形文化財に指定され、館内の見学ができます。
1938年(昭和13年)竣工の新館と呼ばれた棟の2階は、元客間だった個室を使い、伊東市にゆかりのある偉人の業績を伝えるスペースに。按針に関する展示部屋もあり、リーフデ号やサン・ブエナ・ヴェンツーラ号の模型を間近に見て楽しめます。

東海館
  • URLhttp://itospa.com/feature/tokaikan/index.html
  • 住所静岡県伊東市東松原12-10 MAP
  • アクセス伊東線伊東駅から徒歩約10分
  • 営業時間館内見学 9:00~21:00
  • 定休日第3火曜(祝日の場合は営業、翌日休館)
  • 入場料大人200円、中学生以下100円
  • TEL0557-36-2004
  • 駐車場無し

日本初の洋式帆船造りの舞台となった伊東。その昔、砂ドックがあった松川河口に佇むと、モダンな外観の宿が目を引きます。それが「界 アンジン」。家康の世界観に大きな影響を与えた海の英雄「三浦按針」に思いを馳せる、ストーリー性のある温泉宿です。洋式帆船造りに挑んだ大工たちも癒されたであろう温泉に身を任せ、湯上がりには飲み物を片手に甲板風の趣きが楽しめる「サンブエナデッキ」へ。当時と変わらない大海原の景色と海風が旅の1ページを彩ってくれます。

星野リゾート 界 アンジン
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