老舗温泉街を再生できるか。公民連携で挑むまちづくり

星野リゾートが手がける山口県・長門湯本温泉のリニューアル計画。宿泊施設のみならず、地元企業との連携、住民への還元など、地方創生にもつながる取り組みの裏側をお届けします。

#00

人気温泉地TOP10に生まれ変わらせるためのマスタープラン

マスタープランで提案された長門湯本温泉街のイメージ。温泉街のそぞろ歩きを楽しめるランドスケープデザインを検討した

山口県を代表する温泉街、長門(ながと)湯本。開湯は室町時代ともいわれる、山陰地方を代表する温泉街のひとつだ。しかし、1980年代には40万人近い宿泊客を記録したものの、施設の老朽化や旅行スタイルの変化といった要因が重なり、次第に訪れる旅行者は減少。かつての活気は失われてしまった。温泉街の衰退に危機感を募らせた長門市は、「長門湯本の再生」を目指しプロジェクトを立ち上げる。

当初、星野リゾートとして受けたオファーは新規宿泊施設の参入だった。しかし、長門市や地元と協議をつづけるなかで星野リゾートは、長門湯本の温泉街全体をリニューアルさせる計画「マスタープラン」を提案。長門湯本の再生には、ホテルをつくるだけではなく、美しい自然景観や訪れる旅行者が楽しむことのできるスポット、周辺店舗の整備を行い、さらにはその地の文化や歴史、暮らす人たちとの関わりも体感できる場所を再構築する必要があると考えたからだ。

それは、近年星野リゾートが掲げている「ステークホルダーツーリズム」の考えに基づく。ステークホルダーツーリズムとは、ホテルや旅行会社などの観光事業者だけでなく、地域コミュニティや環境、旅行者も輪に加わり、それらが観光から恩恵を受けることで、持続可能な観光業が成り立つという考え方。ホテル運営を起点に住民との関わりが生まれ、地域一体が盛り上がる。そして旅行者が街を好きになることで、さらなる好循環が生まれ、より地域は魅力を増していくのだ。

2016年にスタートした長門湯本の再生計画は、ランドスケープデザインと施設整備=ハード面が2020年に完了。本稿では、老舗温泉街の再生を当事者のインタビューを交えて紹介していく。

#01

星野リゾートの参画と「マスタープラン」

長門湯本温泉の起源は、温泉街の中心にある「恩湯」と呼ばれる小さな外湯だ。汲み上げ式が多くを占める日本国内の温泉のなかでも珍しく、岩盤から湯が湧き出すのが特徴だ。バブル期には、当時活況を呈していた団体ツアーや宴会旅行の受け入れ先として温泉街の周辺に大型旅館が誕生。カラオケルームや宴会場を充実させるなど施設内で完結する宿泊施設が増える一方で、1980年以降は旅行スタイルが団体から個人へと変遷していくなかで衰退の一途を辿り、老舗旅館のいくつかは廃業を余儀なくされた。 転機となったのは、150年つづいた最大規模の大型観光ホテルの閉館だ。中心地の廃墟は荒廃に拍車をかけると、長門市前市長・大西倉雄氏は公費で解体を行い、土地を取得。「絶対に長門を観光の要として蘇らせる」と温泉街の再生計画に乗り出す。そして、跡地の活用者として誘致したのが、星野リゾートだった。

宿泊者数は最盛期の約1/2まで落ち込んだ。廃業を余儀なくされた旅館もあり、温泉街の活気は失われていった

転機となったのは、150年つづいた最大規模の大型観光ホテル「白木屋グランドホテル」の閉館だ。中心地の廃墟は荒廃に拍車をかけると、長門市前市長・大西倉雄氏は公費で解体を行い、土地を取得。「絶対に長門を観光の要として蘇らせる」と温泉街の再生計画に乗り出した。そんななか白羽の矢がたったのが、星野リゾートだった。

星野リゾートは温泉街全体を再構築する「マスタープラン」を提案

長門市からのオファーは、長門湯本温泉街への星野リゾートの参入というものだった。しかし、施設をつくるだけでは本質的な再生には至らないと考え、街全体の再生計画である「マスタープラン」を逆提案。 マスタープランでは、魅力的な温泉街の再生を目指し、「風呂(外湯)」「食べ歩き」「文化体験」「そぞろ歩き(回遊性)」「絵になる場所」「休む・佇む空間」 といった6つの要素を軸に、官民が連携して街づくりに取り組むことが示された。星野リゾートが培ってきたホテル運営の経験と全国の人気温泉地をリサーチして導き出した、再生のための方程式だ。目標は「2030年までに『にっぽんの温泉 100 選』のトップ10にランクインする」こと(当時は86位、観光経済新聞社)。長門市と星野リゾート、そして地元による取り組みがはじまった。

「界 長門」は2020年に開業。客室は音信川に面し、景色や時間の移ろいを楽しめる

マスタープランの策定に際して注目したいのが、温泉街の中心を流れる音信川がつくりだす自然景観だ。周辺の温泉旅館から中心地までおおむね1km圏内。どこからもアクセスがよく、川を中心とした回遊性の高い景観を「オソト天国」と名付け、宿泊者や旅行者がそぞろ歩きを楽しめる空間として計画した。 マスタープランの核とも言える河川を中心とした景観づくりでは、恩湯に隣接する駐車場を高台に移設し、街をそぞろ歩きする旅行者や住民が集まれる広場を整備。川に向かって階段上のテラスをつくることで自然との距離を近づけた。さらに、駐車場から恩湯へアクセスするための動線には竹林を造成し、象徴的な景色を演出。そして音信川には、「川床」と呼ばれる川面に迫り出したテラスを設置。旅行者が、より自然を身近に感じ、豊かな時間を過ごせるよう、ランドスケープデザインの設計に力を入れた。 長門湯本温泉のシンボルである「恩湯」の再建も大きな計画の柱だ。当時は地元の人が利用する公衆銭湯であり、旅行者が気軽に入れる温泉ではなかった。上質な湯を楽しめ、長門湯本を象徴する施設へとリニューアルすることで、土地の歴史と魅力を体感できるのでは、と考えたのだ。 ほかにも、地元の伝統工芸である萩焼に触れられる場所を設け、街歩きを楽しめる周辺施設を整備するなど、マスタープランには上述の6つの要素を満たす計画が盛り込まれた。

マスタープランに呼応する長門市と地元温泉街

再生計画がスタートした当初、長門市の希望は「星野リゾートの参入」だった。しかし、星野リゾートによる長門湯本の温泉街全体の再生を趣旨としたマスタープランの提示により、方向性は大きく変わっていった。 長門市の職員として長門湯本温泉の再生を担い、プロジェクトを牽引してきた木村隼斗(きむら よしと)氏はこう振り返る。

現在はエリアマネージャーとして長門湯本の発展を担う木村 隼斗氏。公民両方の立場からプロジェクトに携わる中心人物のひとりだ

「誘致交渉で大きな気づきとなったのが『何を作るかでなく、この場所がどういうふうでありたいか』という星野代表の言葉でした。当時は、長門市にも温泉旅館をはじめとする地元にも『星野リゾートに任せていれば大丈夫』という空気があったのは事実です。プロジェクトを進めるなかで、長門湯本が目指すべき将来のビジョンを共有するうちに、地元にも『当事者』意識が芽生えたのは大きな出来事でした(木村氏)」。

長門市に残る「楊貴妃伝説」をテーマにした温泉旅館・玉仙閣の代表・伊藤就一氏。長門湯本の衰退を改善すべくプロジェクトに参画した

主要旅館のひとつである玉仙閣の伊藤就一氏は、「老舗旅館の廃業は大きなショックでした。仲間が消え、温泉街の衰退にますます拍車がかかるという危機感がありました。そんななか、行政による再生計画と、星野リゾートによるマスタープランの提案には、大きな安心感がありました。同時に自分たちも再生に関わって行かねばと身が引き締まる思いもありました」と話す。 星野リゾートがまとめたマスタープランには、長門市と地元企業、さらには住民、つまり長門湯本温泉の人たちが一丸となり、取り組むことが再生の条件として盛り込まれた。そして、星野リゾートによる「提案」を長門市が受け入れ、2回にわたる地元説明会を経て、長門市は2016年8月にマスタープランを『長門湯本温泉観光まちづくり計画』として策定。官民が連携し、再生への道筋が定められていった。

社会実験を繰り返し、イメージを具体化させていく

温泉街全体の再生という壮大なプロジェクト。行政だけでなく、温泉旅館をはじめとする地元の事業者や専門家による「デザイン会議」とよばれるマスタープラン実行チームを結成。まちづくりに向けた具体策を立案し、温泉旅館と地元住民に向けた説明会を開催。さらに、広場を活用したイベントの開催や中心部への車の乗り入れ規制など、住民にリニューアル後をイメージしてもらうためのワークショップを行った。マスタープランの実行は、地元の事業者や住民が当事者意識をもち、率先して取り組まなければ成し得ないと考え、このワークショップを2017〜20年の期間になんと80回も行ったという。 「マスタープランでは恩湯の前の駐車場を広場にするという案がありましたが、公衆浴場を快適に利用するという視点から見ればマイナスの要素や心配ごとばかりが先行するのは避けられません。しかし、しっかりと合意をとっていく必要がある。。そこで駐車場と広場の一部を借りて、将来やりたいことを試すためにイベントとして開催。住人の方にとって、若い人たちや孫の世代が遊びにきて楽しんでいる様子を見ると『なるほど、やりたいことはなんとなくわかった』となる。将来の一部を切り取って形にし、ビジョンを共有しながら心配ごとを解消していくことは、とても大切でした(木村氏)」。

車道の一部を歩行者専用区域として活用できるかを検証。実証実験をもとに交通ルールを新たに定めた(提供」:長門湯本温泉まち株式会社)

2017年からは、再生後の活性化した長門湯本の姿を具現化することでイメージを住民と共有することを目的に、社会実験のひとつとして「おとずれリバーフェスタ」を開催。マルシェやカフェ、アクティビティを展開した。将来的な誘致も見据え、県内のカフェやレストラン、ものづくりの作家を招くほか、夜間のライトアップなど、大人から子どもまで楽しめる催しを行った。同時に、交通問題や導線の設計など、そぞろ歩きができる観光地としての課題を見つけるためにも、「おとずれリバーフェスタ」はおおいに役立った。さらには「空き家を改築して店を開きたい」「広場でイベントをしたい」といった要望も出はじめ、再生計画は活気づいていった。

#02

計画と並行して行われた「地元の取り組み」

「恩湯」の再建は地元有志の手で

街の公衆浴場である「恩湯」の再建は、地元有志の手に委ねられた。当時は公営で運営されていたのだが、2016年には年間で数千万円もの赤字を出していた。そこで、長門市は恩湯の民設民営化を決定。運営を公募するなかで立ち上がったのが、老舗旅館の大谷山荘の大谷和弘氏と玉仙閣の伊藤就一氏だった。 「恩湯の再生を一緒にやらないかと、大谷氏から声をかけていただきました。わたしたちにとって、恩湯は長門湯本の象徴ともいえる存在。その再建のために地元が動かなければ、魂の入らない器ができてしまうと思い、手を挙げました(伊藤氏)」。 しかし、古くから恩湯に親しんでいる人たちからの理解を得るのは簡単ではなかったという。

再建した恩湯(右手建物)。左奥手にある住吉神社と音信川をひとつながりとするパブリック空間を目指した

「やはり地元の人が求めているのは、安く温泉に入れるということ。当時の入浴料は200円。月額では1500円で利用できたんです。でも、そんな価格設定の温泉は赤字に決まっています。旅行で訪れる方はほとんどおらず、収入も限られていました。 しかし、再建の要のコア施設としてしっかり民設民営で運営していくためには、思い切ったリニューアルが必要。施設の建て替えと同時に、持続可能な運営のために、200円だった料金を大人900円に値上げし、収益化を狙いました。地元向けの説明会では、もちろん反対の声はありましたが、住民の方は私が小さい頃から知っている方も多くいらっしゃいます。『お前たちが借金してやるならしょうがないか』と、理解してくださいました。(伊藤氏)」。 恩湯は再生計画のなかでも重要な施設のひとつ。旅行者に外湯を楽しんでもらうことはもちろん、そぞろ歩きにでかける理由にもなる。解体と大規模な改修工事を経て、2020年3月18日、新しい長門湯本の顔として、恩湯が再開業した。

リニューアルした音湯(右側建物)。休憩室では萩焼の催事を行うなど、旅行者を楽しませる工夫も行っている。通路を挟んだ奥には食事処の恩湯食がある

#03

再生計画がもたらした地域活性化と温泉街の未来

「旅行者が戻ってきた!」長門湯本に起こった変化

マスタープランの計画どおり、2020年春に音信川周辺の景観や恩湯をはじめとする施設の整備が完了。「オソト天国」を体現する温泉街へと、長門湯本はリニューアルした。 旅行者はそぞろ歩きを楽しみ、音信川で自然に触れあい、恩湯へと出向く。かつての「街を歩く人がいなかった」という寂れた温泉街の姿は過去のものとなっていた。温泉街全体の企画・運営を担うまちづくり会社も立ち上がり、温泉街の魅力を「オソト天国MAP」にまとめ、各旅館で配布するなど工夫した。 リニューアルと同時に、季節ごとのイベントを充実させた。春には満開に咲く川沿いの桜を楽しむお花見、秋には伝統工芸の萩焼を手に取れる催しや紅葉を楽しめるライトアップイベントを企画するなど、旅行者に季節を感じてもらうための工夫にも抜かりがない。

「界 長門」では、宿泊者の夜のそぞろ歩きのためにオリジナル提灯の貸し出しを行っている

同年3月に開業した「界 長門」でオープニングスタッフとして参画し、2023年12月まで総支配人を務めた幾竹優士(いくたけ ゆうし)氏は、長門湯本の再生計画を現場から見てきたひとり。リニューアル後の集客が順調な理由は、それぞれの施設だけでなく、街全体で行うプロモーション活動が功を奏しているのではと話す。

地方再生にも興味をもち、星野リゾートに入社した「界 長門」の総支配人・幾竹優士氏。長門湯本を訪れる旅行者の声に触れる機会は多く、現場の立場から再生計画を支えた

「長門にずっと住んでいる方たちにとって、若い人が街を歩いているのはかつて賑やかだった時代を思い出すようです。元気をもらえるという声をいただくこともあります。週末には、福岡からくるカップルや大学生のグループがそぞろ歩き、食べ歩きを楽しんでいます。旅行者が戻ってきたという実感は、私たち事業者だけでなく、街の方にもあるようです(幾竹氏)」。 長門湯本の魅力を体感できる手段のひとつである「そぞろ歩き」を支えているのは、やはり美しい自然をいかした音信川の景観だろう。山並みに囲まれた由緒ある温泉街。街を歩いていると、そこかしこで写真に収めたくなる景色に出会う。

音信川には飛び石や河原、遊歩道といった親水性の高い景観が備わっていた。整備ではこれらを活かしつつ、川床を新設するなど、より川を楽しめる工夫を施した

「川の両岸の遊歩道は平成初期に整備されてからずっとあったんです。でも、道路から川まで誰も降りていかなかった。川につながる広場と川床をつくって景観を整えることで、川との関係性を取り戻すことができました。マスタープランを提案していただいて気づきましたが、長門湯本には、お湯があって、川があって、暮らしがある。長門湯本がもともともつ姿に回帰することが、この場所を生かす最善の方法だったように思います(木村氏)」。

再生計画の主要な出来事

2016年8月
「長門湯本温泉観光まちづくり計画」(マスタープラン)策定
2017年6月
恩湯 解体
2017年9月
おとずれリバーフェスタ第1回開催
2017年6月
界 長門 開業
2017年6月
恩湯 再開業
2017年6月
ハード面の整備完了
2021年2月
「ふるさと名品オブ・ザ・イヤー 地方創生大賞(地方創生担当大臣賞)」
2021年6月
「令和三年度都市景観大賞 優秀賞」
2022年10月
「第19回土地活用モデル大賞 最優秀賞(国土交通大臣賞)」

着実に店舗が増え、新しい交通手段も生まれた

再生計画が立ち上がった当初、旅行者向けの店舗は飲食店が数軒のみ。いまでは、山口の名物料理である「瓦そば」、「やきとりのまち」長門ならではの鶏料理を提供する食堂、クラフトビールのブリュワリー、食べ歩きにぴったりなテイクアウトカフェが揃う。星野リゾートが手がける「界 長門」では、どらやきとドリンクのカフェスタンド「あけぼのカフェ」で宿泊者だけでなく、日帰り旅行者ももてなしている。

長門湯本のまちづくりに関わってきた有限会社ハートビートプランの有賀敬直氏は市内に移住し、クラフトビールづくりに取り組んでいる

クラフトビールのブリュワリー「365+1 BEER」を開業したのは、再生計画のコンサルティングに携わった有限会社ハートビートプランの有賀敬直(ありが たかなお)氏。地元の産品をフレーバーに用いるなど、長門オリジナルのビールの開発に挑んでいる。 「以前は大阪に住んでいたのですが、自然のある場所に移住したいという話はありました。コロナ禍で都会での暮らしが窮屈になって、関わりもあって好きだった長門に引っ越してきました。ビールづくりはライフワークなのですが、会社を立ち上げ、長門市を中心に地元に根ざしたビジネスができればと思っています。長門には協力してくれる生産者や仲間がいますし、自分たちの取り組みで長門の活性化に貢献できたらと思っています(有賀氏)」。

「おとずレンタカー」代表の吉井大隆氏。交通手段が限られる長門湯本でのレンタカー需要の開拓を担う

そして、交通手段の少ない長門湯本でレンタカーサービスをはじめたのが「おとずレンタカー」の吉井大隆(よしい ひろたか)氏。現状、長門湯本へのアクセスはマイカーか公共交通機関が一般的。長門湯本を起点にレンタカーを配置することで、近隣のスポットを自由に巡ることができるようになった。 「地域おこし、町おこしに興味があり、得意な車の事業で関われたらという思いがありました。私の拠点は山口市なのですが、有賀さんに長門湯本のお話を聞き、ぜひレンタカー事業をやってほしいとお誘いをいただいて興味を持ちました。個人旅行が増えているなかで、連泊するお客様も多いと伺っています。長門湯本に泊まりながら、秋吉台や角島といった名所に足を伸ばしていただけたら嬉しいです(吉井氏)」。 長門市の職員として再生計画の中枢を担っていた木村隼斗氏は経産省を退職、2021年のマスタープランにおけるハード面の整備がひと段落したタイミングで、長門湯本温泉街の運営や発展を担う「長門湯本まち株式会社」のエリアマネージャーに就任。引きつづきまちづくりに関わっている。なお、長門湯本まち株式会社には「界 長門」の総支配人が取締役として参画。界の運営のみならず、まちづくりのリーダーとして連携している。 この地で店舗を開いたり、サービスをはじめる人たちはみな、この長門湯本が好きでやってきたという印象が強い。そのなかで自分がどのような役割を果たせるのか。挑戦に満ちた日々を楽しんでいるように感じた。

ステークホルダーである「地元」への還元

直行バスの運行は地元住民の交通手段を改善

これまで長門湯本へのアクセスは、マイカーやレンタカーのほか、新山口駅や空港からの乗合タクシーに限られていた。周辺の都市や空港からの交通の便は、決していいとは言えなかった。そんななか、旅行者が増えたことで福岡からの高速バス「おとずれ号」が新しく運行をはじめた。福岡からの直行バスが誕生したことで交通が改善。同時に、長門湯本で暮らす人たちも福岡への移動がしやすくなったと評判だ。

2022年7月に運行をはじめた博多・天神と長門湯本をつなぐ直行高速バス「おとずれ号」(提供」:長門湯本温泉まち株式会社)

子どもが川で遊ぶ、長門湯本らしい景観

加えて、地元住民の心情面での変化も大きい。かつては見られた音信川での「川遊び」も、再生プロジェクト後に見られるようになった景色だ。そのきっかけをつくったのは木村氏だった。 「音信川は透明度が高く、アユが泳ぐほどの清流です。こんなにきれいな川があるのに、遊ばないのはもったいないと、うちの子を連れて川遊びをはじめたんです。そうしたら、地元の子たちも混ざり、いまでは観光の人たちも一緒に川遊びを楽しむようになりました(木村氏)」。 街の再生にともない、数十年前は当たり前のようにあった川の体験が復活。本来、長門湯本の人びとは川との関係性を大事にしてきたのだ。これは「川との関係性を取り戻す」というマスタープランで掲げた目標のひとつ。地元の人たちが川で遊ぶ姿を見て、旅行者はその光景を魅力に感じ、一緒になって自然を楽しむこともできる。これも地域の魅力の発信の有効な手段だろう。

温泉旅館だけでなく、飲食店や雑貨屋の多くが音信川に面している。それほど長門湯本にとって川は大切な要素なのだ

文化の継承、萩焼をもういちど

地元の萩焼の作家との連携を深めていく取り組みも行われている。「界 長門」ではエントランスの空間に萩焼の作品を並べたギャラリーを設け、お土産コーナーでも手に取りやすい萩焼のカップや小物を販売するほか、客室にも作品を置くなど、接点を設けている。また、窯元へ赴き研修を行ったり、萩焼のカップでビールやカクテルを飲めるイベントを企画するなど、旅行者だけでなく、作家とのコミュニーケーションづくりも積極的に行っている。 「これまで萩焼の作家さんは、作品を百貨店の個展に出して販売するのが一般的でした。意外にも、地元の人でも、萩焼は知っているけど使ったことがないという人は多かったんです。再生プロジェクトがはじまったことで、地元の人にも萩焼の文化に触れるきっかけができたように思います(木村氏)」。

界 長門のエントランスには、地元作家による萩焼作品をディスプレイ。地域の伝統・文化を積極的に取り込んでいる

持続的な温泉街の運営を担う体制づくり

2016年からはじまった長門湯本の再生計画は大きく分けて3つの段階で進んできた。

フェイズ 1では、危機意識を持った長門市が旗振り役となり、星野リゾートとともに再生計画であるマスタープランの策定を進めた。 マスタープランを実行に移すフェイズ 2では、地域に根ざしたキーパーソン、ランドスケープや空間活用の専門家による再生のための具体策の提案を行う「デザイン会議」、取り組みに対する最終意思決定機関として「推進会議」が設けられた。 いずれも官民混合のメンバーで構成し、さらには、提案と意思決定の役割を分けることで、スピーディーな計画実行体制を構築した。このフェイズ 2は、主に河川や広場の整備や交通のルールづくりを担い、観光地経営を担う主体の立ち上げに合わせて役割を終えた。 そして、現在は温泉地としての魅力を拡大し、運営していくフェイズ 3。その主体となるのが、2020年3月に立ち上げられた「長門湯本温泉まち株式会社(通称、まち会社)」だ。まち会社では、エリアマネジメントと観光地経営を担い、地域の経済や文化が発展することを目的としている。活動は、温泉街のプロモーションや季節の魅力を発信する企画の立案など多岐にわたる。代表は玉仙閣の伊藤氏がつとめ、木村氏がエリアマネージャーとして、星野リゾートも界 長門の支配人が理事として参画している。 まち会社の運営資金は、長門湯本の入湯税(ひとり1日1施設あたり300円)を原資とすることで持続可能な運営体制を構築。温泉を楽しむ旅行者が、ステークホルダーとして持続的な温泉街を支えるという意味でも理にかなった仕組みといえる。 同時に、観光政策やまちづくりをレビューする「長門湯本温泉みらい振興評価委員会」も開設。外部の専門家による客観的な評価により、入湯税の使い途が正しいのか、政策が適正に機能しているかを判断する仕組みも盛り込まれている。

マスタープランの実行は、「デザイン会議」が具体策を提案し、「推進会議」が最終意思決定を下す。公民をまじえた2つの体制でプロジェクトを推進した

長門湯本の再生計画には、多くの人が関わっている。行政、旅館をはじめとする事業者、専門家、地元住民、そして旅行者。温泉街に関わる人たち=ステークホルダーが関わりあうことで、持続可能なまちづくりのための体制がはじめて構築されたのだ。

新しくなった長門湯本に生まれはじめた「好循環」

現在、長門湯本の再生プロジェクトは、景観や施設といったハード面が整い、サービスや店舗などのソフト面の充実を育てていく段階だ。温泉地として店舗のバリエーションはまだまだ少ないが、個性あるスポットが根付いてきている。長門湯本の再生プロジェクトに賛同し、理念に共感し、長門で店を開きたい、ビジネスをやってみたいという人も増えてきた。福岡からの直行バスやレンタカーサービスもはじまり、旅行者を迎える準備は着々と進んでいる。マスタープランで提唱した「投資が投資を呼ぶ」好循環が生まれている。 温泉街の再生としてはじまったプロジェクトは、いまでは地方創生の観点からも大きな注目を集めている。2021〜22年にかけては、一般財団法人都市みらい機構が主催する「第19回土地活用モデル大賞 最優秀賞(国土交通大臣賞)」をはじめ、複数の団体から客観的な評価を得ている。旅行者にとって魅力的な地域をつくることは、その土地の経済の活性化にもつながる。街に関わる人が増えることで、観光事業者や旅行者だけでなく、店舗を運営する人や住民にも大きなメリットを生み出すのだ。

「界 長門」には、音信川へとつづく裏門がある。川への動線となっており宿泊者をそぞろ歩きにいざなう

取材で訪れたのは、2023年10月。コロナ禍による旅行への制限が落ち着き、九州や関西方面、さらには関東圏など、日本全国の旅行者に向けて長門湯本をPRしていこうというタイミングだった。街全体でのイベントの企画、各施設ごとの独自の催しなど、訪れる人たちを迎えるべく、さまざまな取り組みに力を入れる人たちの姿が印象的だった。 長門湯本の再生計画は、街全体のリニューアルという、星野リゾートにとってこれまでにない壮大なプロジェクトとなった。マスタープランで描かれたように、ホテルをはじめとする観光事業者だけでなく、長門湯本に根づくコミュニティや自然環境が、観光による恩恵を受けることで持続可能な観光業を目指す。そして経済や文化の好循環が、街をより魅力あふれる旅先へと成長させていく。プロジェクトの根幹ともいえる、星野リゾートが掲げる「ステークホルダーツーリズム」は、着実に成果を見せつつあるように感じた。ぜひとも、生まれ変わった長門湯本温泉を訪れてみてほしい。温泉街としての魅力はもちろん、長門湯本という土地を心から愛し、盛り上げていこうと熱を込める人たちの思いを感じられるだろう。

PROFILE
小林昂祐
Writer, Photographer
旅と自然をテーマに、雑誌やWEB、自主制作媒体を中心に撮影と執筆を行う。自然そのものの美しさやその地に暮らす人びとの営みを取材し、対象に寄り添うことで得られる情景を伝える。
施設のご紹介
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界 長門
山口県長門市深川湯本2229-1

山口県を代表する長門湯本温泉。江戸時代の「御茶屋屋敷」をデザインした造りが特徴の温泉宿です。湯浴みの後は川沿いの遊歩道や温泉街のそぞろ歩きが楽しみです。

#ステークホルダーツーリズム
2023年から星野リゾートが提唱している、アフターコロナの旅のキーワード「ステークホルダーツーリズム」。旅に関わる企業や人たちだけでなく、旅行者、地域の生活や経済、自然環境をも含めたコミュニティ全体にフェアなリターンを提供する、観光の新しいかたちです。