#03
再生計画がもたらした地域活性化と温泉街の未来
「旅行者が戻ってきた!」長門湯本に起こった変化
マスタープランの計画どおり、2020年春に音信川周辺の景観や恩湯をはじめとする施設の整備が完了。「オソト天国」を体現する温泉街へと、長門湯本はリニューアルした。
旅行者はそぞろ歩きを楽しみ、音信川で自然に触れあい、恩湯へと出向く。かつての「街を歩く人がいなかった」という寂れた温泉街の姿は過去のものとなっていた。温泉街全体の企画・運営を担うまちづくり会社も立ち上がり、温泉街の魅力を「オソト天国MAP」にまとめ、各旅館で配布するなど工夫した。
リニューアルと同時に、季節ごとのイベントを充実させた。春には満開に咲く川沿いの桜を楽しむお花見、秋には伝統工芸の萩焼を手に取れる催しや紅葉を楽しめるライトアップイベントを企画するなど、旅行者に季節を感じてもらうための工夫にも抜かりがない。
「界 長門」では、宿泊者の夜のそぞろ歩きのためにオリジナル提灯の貸し出しを行っている
同年3月に開業した「界 長門」でオープニングスタッフとして参画し、2023年12月まで総支配人を務めた幾竹優士(いくたけ ゆうし)氏は、長門湯本の再生計画を現場から見てきたひとり。リニューアル後の集客が順調な理由は、それぞれの施設だけでなく、街全体で行うプロモーション活動が功を奏しているのではと話す。
地方再生にも興味をもち、星野リゾートに入社した「界 長門」の総支配人・幾竹優士氏。長門湯本を訪れる旅行者の声に触れる機会は多く、現場の立場から再生計画を支えた
「長門にずっと住んでいる方たちにとって、若い人が街を歩いているのはかつて賑やかだった時代を思い出すようです。元気をもらえるという声をいただくこともあります。週末には、福岡からくるカップルや大学生のグループがそぞろ歩き、食べ歩きを楽しんでいます。旅行者が戻ってきたという実感は、私たち事業者だけでなく、街の方にもあるようです(幾竹氏)」。
長門湯本の魅力を体感できる手段のひとつである「そぞろ歩き」を支えているのは、やはり美しい自然をいかした音信川の景観だろう。山並みに囲まれた由緒ある温泉街。街を歩いていると、そこかしこで写真に収めたくなる景色に出会う。
音信川には飛び石や河原、遊歩道といった親水性の高い景観が備わっていた。整備ではこれらを活かしつつ、川床を新設するなど、より川を楽しめる工夫を施した
「川の両岸の遊歩道は平成初期に整備されてからずっとあったんです。でも、道路から川まで誰も降りていかなかった。川につながる広場と川床をつくって景観を整えることで、川との関係性を取り戻すことができました。マスタープランを提案していただいて気づきましたが、長門湯本には、お湯があって、川があって、暮らしがある。長門湯本がもともともつ姿に回帰することが、この場所を生かす最善の方法だったように思います(木村氏)」。
再生計画の主要な出来事
2016年8月
「長門湯本温泉観光まちづくり計画」(マスタープラン)策定
2021年2月
「ふるさと名品オブ・ザ・イヤー 地方創生大賞(地方創生担当大臣賞)」
2022年10月
「第19回土地活用モデル大賞 最優秀賞(国土交通大臣賞)」
着実に店舗が増え、新しい交通手段も生まれた
再生計画が立ち上がった当初、旅行者向けの店舗は飲食店が数軒のみ。いまでは、山口の名物料理である「瓦そば」、「やきとりのまち」長門ならではの鶏料理を提供する食堂、クラフトビールのブリュワリー、食べ歩きにぴったりなテイクアウトカフェが揃う。星野リゾートが手がける「界 長門」では、どらやきとドリンクのカフェスタンド「あけぼのカフェ」で宿泊者だけでなく、日帰り旅行者ももてなしている。
長門湯本のまちづくりに関わってきた有限会社ハートビートプランの有賀敬直氏は市内に移住し、クラフトビールづくりに取り組んでいる
クラフトビールのブリュワリー「365+1 BEER」を開業したのは、再生計画のコンサルティングに携わった有限会社ハートビートプランの有賀敬直(ありが たかなお)氏。地元の産品をフレーバーに用いるなど、長門オリジナルのビールの開発に挑んでいる。
「以前は大阪に住んでいたのですが、自然のある場所に移住したいという話はありました。コロナ禍で都会での暮らしが窮屈になって、関わりもあって好きだった長門に引っ越してきました。ビールづくりはライフワークなのですが、会社を立ち上げ、長門市を中心に地元に根ざしたビジネスができればと思っています。長門には協力してくれる生産者や仲間がいますし、自分たちの取り組みで長門の活性化に貢献できたらと思っています(有賀氏)」。
「おとずレンタカー」代表の吉井大隆氏。交通手段が限られる長門湯本でのレンタカー需要の開拓を担う
そして、交通手段の少ない長門湯本でレンタカーサービスをはじめたのが「おとずレンタカー」の吉井大隆(よしい ひろたか)氏。現状、長門湯本へのアクセスはマイカーか公共交通機関が一般的。長門湯本を起点にレンタカーを配置することで、近隣のスポットを自由に巡ることができるようになった。
「地域おこし、町おこしに興味があり、得意な車の事業で関われたらという思いがありました。私の拠点は山口市なのですが、有賀さんに長門湯本のお話を聞き、ぜひレンタカー事業をやってほしいとお誘いをいただいて興味を持ちました。個人旅行が増えているなかで、連泊するお客様も多いと伺っています。長門湯本に泊まりながら、秋吉台や角島といった名所に足を伸ばしていただけたら嬉しいです(吉井氏)」。
長門市の職員として再生計画の中枢を担っていた木村隼斗氏は経産省を退職、2021年のマスタープランにおけるハード面の整備がひと段落したタイミングで、長門湯本温泉街の運営や発展を担う「長門湯本まち株式会社」のエリアマネージャーに就任。引きつづきまちづくりに関わっている。なお、長門湯本まち株式会社には「界 長門」の総支配人が取締役として参画。界の運営のみならず、まちづくりのリーダーとして連携している。
この地で店舗を開いたり、サービスをはじめる人たちはみな、この長門湯本が好きでやってきたという印象が強い。そのなかで自分がどのような役割を果たせるのか。挑戦に満ちた日々を楽しんでいるように感じた。
ステークホルダーである「地元」への還元
直行バスの運行は地元住民の交通手段を改善
これまで長門湯本へのアクセスは、マイカーやレンタカーのほか、新山口駅や空港からの乗合タクシーに限られていた。周辺の都市や空港からの交通の便は、決していいとは言えなかった。そんななか、旅行者が増えたことで福岡からの高速バス「おとずれ号」が新しく運行をはじめた。福岡からの直行バスが誕生したことで交通が改善。同時に、長門湯本で暮らす人たちも福岡への移動がしやすくなったと評判だ。
2022年7月に運行をはじめた博多・天神と長門湯本をつなぐ直行高速バス「おとずれ号」(提供」:長門湯本温泉まち株式会社)
子どもが川で遊ぶ、長門湯本らしい景観
加えて、地元住民の心情面での変化も大きい。かつては見られた音信川での「川遊び」も、再生プロジェクト後に見られるようになった景色だ。そのきっかけをつくったのは木村氏だった。
「音信川は透明度が高く、アユが泳ぐほどの清流です。こんなにきれいな川があるのに、遊ばないのはもったいないと、うちの子を連れて川遊びをはじめたんです。そうしたら、地元の子たちも混ざり、いまでは観光の人たちも一緒に川遊びを楽しむようになりました(木村氏)」。
街の再生にともない、数十年前は当たり前のようにあった川の体験が復活。本来、長門湯本の人びとは川との関係性を大事にしてきたのだ。これは「川との関係性を取り戻す」というマスタープランで掲げた目標のひとつ。地元の人たちが川で遊ぶ姿を見て、旅行者はその光景を魅力に感じ、一緒になって自然を楽しむこともできる。これも地域の魅力の発信の有効な手段だろう。
温泉旅館だけでなく、飲食店や雑貨屋の多くが音信川に面している。それほど長門湯本にとって川は大切な要素なのだ
文化の継承、萩焼をもういちど
地元の萩焼の作家との連携を深めていく取り組みも行われている。「界 長門」ではエントランスの空間に萩焼の作品を並べたギャラリーを設け、お土産コーナーでも手に取りやすい萩焼のカップや小物を販売するほか、客室にも作品を置くなど、接点を設けている。また、窯元へ赴き研修を行ったり、萩焼のカップでビールやカクテルを飲めるイベントを企画するなど、旅行者だけでなく、作家とのコミュニーケーションづくりも積極的に行っている。
「これまで萩焼の作家さんは、作品を百貨店の個展に出して販売するのが一般的でした。意外にも、地元の人でも、萩焼は知っているけど使ったことがないという人は多かったんです。再生プロジェクトがはじまったことで、地元の人にも萩焼の文化に触れるきっかけができたように思います(木村氏)」。
界 長門のエントランスには、地元作家による萩焼作品をディスプレイ。地域の伝統・文化を積極的に取り込んでいる
持続的な温泉街の運営を担う体制づくり
2016年からはじまった長門湯本の再生計画は大きく分けて3つの段階で進んできた。
フェイズ 1では、危機意識を持った長門市が旗振り役となり、星野リゾートとともに再生計画であるマスタープランの策定を進めた。
マスタープランを実行に移すフェイズ 2では、地域に根ざしたキーパーソン、ランドスケープや空間活用の専門家による再生のための具体策の提案を行う「デザイン会議」、取り組みに対する最終意思決定機関として「推進会議」が設けられた。
いずれも官民混合のメンバーで構成し、さらには、提案と意思決定の役割を分けることで、スピーディーな計画実行体制を構築した。このフェイズ 2は、主に河川や広場の整備や交通のルールづくりを担い、観光地経営を担う主体の立ち上げに合わせて役割を終えた。
そして、現在は温泉地としての魅力を拡大し、運営していくフェイズ 3。その主体となるのが、2020年3月に立ち上げられた「長門湯本温泉まち株式会社(通称、まち会社)」だ。まち会社では、エリアマネジメントと観光地経営を担い、地域の経済や文化が発展することを目的としている。活動は、温泉街のプロモーションや季節の魅力を発信する企画の立案など多岐にわたる。代表は玉仙閣の伊藤氏がつとめ、木村氏がエリアマネージャーとして、星野リゾートも界 長門の支配人が理事として参画している。
まち会社の運営資金は、長門湯本の入湯税(ひとり1日1施設あたり300円)を原資とすることで持続可能な運営体制を構築。温泉を楽しむ旅行者が、ステークホルダーとして持続的な温泉街を支えるという意味でも理にかなった仕組みといえる。
同時に、観光政策やまちづくりをレビューする「長門湯本温泉みらい振興評価委員会」も開設。外部の専門家による客観的な評価により、入湯税の使い途が正しいのか、政策が適正に機能しているかを判断する仕組みも盛り込まれている。
マスタープランの実行は、「デザイン会議」が具体策を提案し、「推進会議」が最終意思決定を下す。公民をまじえた2つの体制でプロジェクトを推進した
長門湯本の再生計画には、多くの人が関わっている。行政、旅館をはじめとする事業者、専門家、地元住民、そして旅行者。温泉街に関わる人たち=ステークホルダーが関わりあうことで、持続可能なまちづくりのための体制がはじめて構築されたのだ。
新しくなった長門湯本に生まれはじめた「好循環」
現在、長門湯本の再生プロジェクトは、景観や施設といったハード面が整い、サービスや店舗などのソフト面の充実を育てていく段階だ。温泉地として店舗のバリエーションはまだまだ少ないが、個性あるスポットが根付いてきている。長門湯本の再生プロジェクトに賛同し、理念に共感し、長門で店を開きたい、ビジネスをやってみたいという人も増えてきた。福岡からの直行バスやレンタカーサービスもはじまり、旅行者を迎える準備は着々と進んでいる。マスタープランで提唱した「投資が投資を呼ぶ」好循環が生まれている。
温泉街の再生としてはじまったプロジェクトは、いまでは地方創生の観点からも大きな注目を集めている。2021〜22年にかけては、一般財団法人都市みらい機構が主催する「第19回土地活用モデル大賞 最優秀賞(国土交通大臣賞)」をはじめ、複数の団体から客観的な評価を得ている。旅行者にとって魅力的な地域をつくることは、その土地の経済の活性化にもつながる。街に関わる人が増えることで、観光事業者や旅行者だけでなく、店舗を運営する人や住民にも大きなメリットを生み出すのだ。
「界 長門」には、音信川へとつづく裏門がある。川への動線となっており宿泊者をそぞろ歩きにいざなう
取材で訪れたのは、2023年10月。コロナ禍による旅行への制限が落ち着き、九州や関西方面、さらには関東圏など、日本全国の旅行者に向けて長門湯本をPRしていこうというタイミングだった。街全体でのイベントの企画、各施設ごとの独自の催しなど、訪れる人たちを迎えるべく、さまざまな取り組みに力を入れる人たちの姿が印象的だった。
長門湯本の再生計画は、街全体のリニューアルという、星野リゾートにとってこれまでにない壮大なプロジェクトとなった。マスタープランで描かれたように、ホテルをはじめとする観光事業者だけでなく、長門湯本に根づくコミュニティや自然環境が、観光による恩恵を受けることで持続可能な観光業を目指す。そして経済や文化の好循環が、街をより魅力あふれる旅先へと成長させていく。プロジェクトの根幹ともいえる、星野リゾートが掲げる「ステークホルダーツーリズム」は、着実に成果を見せつつあるように感じた。ぜひとも、生まれ変わった長門湯本温泉を訪れてみてほしい。温泉街としての魅力はもちろん、長門湯本という土地を心から愛し、盛り上げていこうと熱を込める人たちの思いを感じられるだろう。