気の満ちる場所にて
奈良・明日香村レポート
写真 光成正⼈
公開日:2026年10月21日

奈良盆地南東部に位置する人口約5000人の小さな村、明日香村。のどかな里山の風景に古墳群や石造遺跡が多数点在し、村民は日常、日本の古代史上の人物たちとごく自然に対峙している。行政区域全域が、歴史的風土保存対象となっている日本唯一の村。

足もとに眠る「飛鳥時代」の宇宙

明日香村へ入った通行者の多くが感じるのは、周囲の空気がふわりと変わること。気温が下がり、現代の喧騒は唐突に途絶え、1400年前の時間がそのまま閉じ込められた「結界」へと足を踏み入れた感覚──。「この地の景色は、昔の人が見たものとほぼ一緒なんです。私たちは、斉明天皇や天武天皇が見たものと、同じ山や空を見ているのです」と語るのは、考古学研究者の辰巳俊輔さん。明日香村に生まれ育ち、「飛鳥・藤原の宮都」世界文化遺産登録に向けた調査研究や推薦書の執筆に携わってきました。

「明日香法※1という法律で守られてきたからこそ、この結界が存在しています。そう、世界遺産としての明日香の価値は、この美しい村の景観とともに、その足もとに『日本という国の始まり』を示す遺跡が、世界でも稀にみる良好な状態で保存されている点にあるのです」。 地表のすぐ下で、日本国の創生期である「飛鳥時代(一般的に推古天皇即位から平城京遷都までの593〜710年を指す)」が、深い眠りについています。

天皇を中心とした国づくりが本格的に始まった時代。戸籍や通貨、税制度など、国家の基礎となるインフラの多くが飛鳥時代に誕生したと言われています。「注目すべきことの一つは、日本でも『時間』の観念が形作られたこと。中大兄皇子(後の天智天皇)が660年に漏刻(水時計)を設置したとされ、公式に時間を管理し始めたことは象徴的な出来事でした」。水の流れた量で時を計り、時刻を世に告げるとともに、天体の動きから暦を管理すること——それは国家の権威そのものとなりました。

「観念としての時間の導入は、時が有限であることを人々に気づかせました。限りある瞬間を儚さと捉えることによって、後の平安時代以降の文化に繋がるような、日本人の心や情緒にも大きな影響を与えたのではないでしょうか」と辰巳さん。 同時代の遺跡で有名な高松塚古墳やキトラ古墳の小さな石室には、驚くほど精緻な天文図や方位を示す四神が描かれています。これらは皇族や臣下が大陸や半島から伝わった最先端の情報や技術を取り入れて作ったプライベート空間。「権威を見せつけるためではなく、亡き人を思いやり、棺を収めた小さな空間に宇宙全体を描き出した。精密で美的に世界観を表現する、じつに日本人らしい精神性が芽生えていると思われませんか?」。

写真上/飛鳥水落遺跡(推定7世紀後半)は、東アジアで唯一現存する漏刻台(水時計)の遺跡。

中左/キトラ古墳壁画(推定7世紀後半~8世紀初頭)では精密な天文図や東西南北の方位を護る神獣など、当時の世界観が描かれている。

中右/持統3(683)年の3月と4月の暦日が記された具注暦(天皇の名のもとで公式に制作される暦)木簡は、日本最古のカレンダーの一部として明日香村で出土した。

下/“飛鳥美人”の壁画で有名な高松塚古墳(推定7世紀末~8世紀初頭)の石室天井に、これほど優美な星宿(星座)図が描かれていることはあまり知られていない。

星のや飛鳥、客室初公開
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日本のはじまりを秘めた原風景へ

こんもりとした緑の低山に囲まれた明日香村。京都や奈良市のように壮麗な寺院や巨大な仏像があるわけではありません。しかし、他所とは明らかに空気が違うこの地の価値を、私たちはどのように感じ取ればよいのでしょうか。

「何も見えないからこそ、他の感覚でこの場所を感じてほしいのです」と辰巳さん。 「足もとから空へ立ちのぼる空気感。周りの音、川の流れ、吹く風、土や草の匂い。1400年前と同じ光の中で同じ音を聴くことでこの土地と対話してほしい。歴史を動かした当時の人たちが得ていたエネルギー、それは現代でも私たちが物事を動かしていく力に繋がっていくと思います」。

リビングルームに出現する石舞台に似た巨石。敷地に引かれた水路とともに石と水で築成されたという飛鳥の宮都へのオマージュとなっている。⼤きく開かれた窓辺からは、刻⼀刻と表情を変える⼭の稜線や棚⽥のような庭を、ただ静かに眺めることができる。

2027年に開業を予定している「星のや飛鳥」では、まさしくこの地を全身で感じとり、自身の感性を調律するための特等席を準備しています。『日本書紀』にも記された「真弓の丘」周辺。かつて大和から紀伊へ抜ける官道が近くを通った見晴らしの良い丘には、今まで開発の手が入ることなく、明日香村の原風景が最も色濃く残されていました。

飛鳥時代の日本人が空を見上げて天地を動かすエネルギーに心を通わせたように、「星のや飛鳥」での滞在は、しばし現在から離れて時空を浮遊するような旅となるでしょう。悠久の時が流れるこの地のみずみずしい気を、心身に静かにチャージするような滞在体験が待っています。

星のや⾶⿃が開業するのは近鉄⾶⿃駅⻄部、⻫明天皇の墳墓説が有⼒な牽⽜⼦塚(けんごしづか)古墳をはじめ遺跡が付近に点在する、万葉集の歌枕ともなった真⼸の丘エリア。分棟型の客室は⽡屋根を頂いて、⾕地形にそれぞれ⾝を潜めるように建ち並ぶ。

お話をうかがったのは...

辰巳俊輔さん(四天王寺大学文学部日本学科講師)●明日香村教育委員会文化財課で古墳群の調査研究に長期的に関わり、世界文化遺産登録に向けた推薦書の執筆業務に携わる。現在は古代史や考古学分野の研究・教育を通じて広く活躍。

※1 明日香法(明日香村における歴史的風土の保存及び生活環境の整備等に関する特別措置法):1980年制定。明日香村全域を対象とし、歴史的風土の保存と住民の生活環境の整備を両立させるための法律。厳しい建築規制と住民の協力等により、飛鳥時代の面影を残す景観が守られている。

取材協力:明日香村 国営飛鳥歴史公園 古都飛鳥保存財団