<第3回>「ONTO、OSOTO、共同湯は誰のもの?」
1.新たな集いの場として再生した恩湯
恩湯(おんとう)という名前の公衆浴場が温泉街の中心にあります。長門湯本温泉の元湯であり地域のシンボルです。開湯以来600年あまり、川岸の岩盤から湧き出でて、浴室はその上に建っています。湯船には36〜39度の熱すぎずぬるすぎずの源泉が掛け流され、泉質はアルカリ性単純温泉(pH9.62)。とろんとした湯の質感と湯上りの保湿感から「天然の美容液」と讃えるファンもいます。
2020年3月18日に恩湯は新装オープンしました。大屋根をいだく平屋造りは、再生計画に関わる建築家・岡 昇平さんの設計です。ガラス戸を開放すれば街に開かれた縁側空間になります。浴槽は男女とも深さ約1mの立ち湯で、この造りは旧恩湯へのリスペクト。地元の長老は、「湯本の子供達は、身長が伸びて恩湯の深さが克服できることを“成長の証”として喜んだものです」と話します。
2.地域のプライドで価値を生み出す
温泉街再生には、恩湯の再建も不可欠でした。それは多額の赤字で、市の財政を圧迫したからです。老朽化による利用客減少や格安入浴料などの課題。星野リゾートの星野佳路代表は「一等地には“観光客”に魅力的な入浴施設を。泉質が良いので設備を整え、“地元”も使いやすくする。見合った料金を設定して、観光の目玉となり採算があえば、温泉街活性につながる」と考えを示しました。
当初、「建物は行政、運営は民間が担当」という公設民営の意見が多数でした。しかし地元旅館の経営者である大谷山荘の大谷和弘さんと玉仙閣の伊藤就一さんは、苦渋の決断で民設民営にこだわり、恩湯のための株式会社長門湯守を設立し、プロポーザルで承認されます。大谷さんは「みな立ち湯で育ちました。長門湯守は恩湯への愛着から。『神授の湯』の歴史は宝だから子供達へ素敵に残したい。地域で経営することに意味があると今回気付かされた」と説明します。
3.栄枯盛衰あれど、温泉は湧き続ける!
山口県最古の歴史を刻む長門湯本温泉。温泉は室町時代、長門一の宮(下関)の住吉大明神が、大寧寺第3代住職・定庵禅師から説教を聞いたお礼に贈ったと伝わります。大寧寺は長門湯本温泉と深い関わりを持つ曹洞宗の古刹。第53代の岩田啓靖(けいしょう)住職に話を伺いました。「恩湯の“恩”は何かと言うと『神仏の恩』。水の恵みだけで感謝するところ、その水が温かい奇跡・・」。
ご住職は「地域が、恩湯の恩湯たる趣旨を失っていたかもしれないのが、この度の温泉街改革の裏側にある」と話を続けます。「歴史を勉強すればいつの世も、様々な栄枯盛衰はある。だけれども変わらざるものってある。600年変わらないのは、温泉が湧き続けているということ。だから温泉を今一度、価値あるものにして、温泉を敬う心を失わないようにすることが大切なのです」。
4.「生まれたての温泉」が楽しめる共同湯
「発想の転換があった」とも、ご住職は指摘します。「個人経営の前に温泉街の価値を高める。温泉そのものを共有財産として大事にする。みんなの共通空間(OSOTO)としての長門湯本温泉。そこを若い世代が勉強し直し、まちづくりのテーマにされた。行政も理解して再生計画が進んでいる。だから見守って欲しい」。・・・しかし再建による恩湯休業から3年近く。難工事などで開業が遅れ、「だまされた」「温泉を取り上げられた」など賛成住民からも疑問視する声。
2020年3月にようやく開業した恩湯は、冒頭の通り、自噴泉をそのまま湯船に掛け流すという、温泉の価値を最大限に活かした造り。“地域共通の記憶”である立ち湯にもこだわり、それがために浴槽は広げられず、しかし唯一無二の癒しの空間となって蘇ったのです。湯守が毎朝、源泉温度とアルカリ度(pH)を計って掲示する新習慣も好評。「本物の温泉」を楽しむ旅行者が増えています。
次回もお楽しみに!
(福岡市の博多・天神と長門湯本温泉を直行で結ぶ「西鉄高速バス『おとずれ号』」が2022年7月1日より運行を開始。いずれレポートします!)
~今月の立ち寄り~
「恩湯食」で素敵なディナータイム
恩湯と向かいあう平屋造りの食事処・恩湯食(おんとうしょく)。料理人の川田りえさんを中心に関係者の「食を通して体の内側からきれいに」という思いから、素材にこだわった料理を提供しています。
写真は長門たまご鶏飯、長州どりと地元野菜のグリル、鶏コロッケに、ナチュールワインをあわせたディナーの一例。地元深川萩の器も魅力です。2020年3月18日に恩湯と同時オープン。恩湯入浴とセットでぜひ体験を! 営業時間などは、恩湯、恩湯食へ
写真提供>長門市、木下清隆、安森信、長門湯本温泉まち株式会社、のかたあきこ
「長門湯本温泉と界 長門あゆみ」これまでの連載記事はこちらからどうぞ。