街と、人と、万博と。

2025年の万博は、OMO7大阪にとって単なる「ビッグイベント」ではありませんでした。それは、私たちが愛してやまないこの「大阪」という街の、知られざる魅力や熱い人情、そして未来へのエネルギーを、世界中の方々にお届けする絶好の機会だと捉えていたからです。

今日は、その万博に向けて私たちが全力で取り組んだ、二つのプロジェクトの裏側にある「物語」を、少しだけお話しさせてください。

Episode1.「ほないこか、ツウな新世界さんぽ~EXPO Special~」

皆さまは、私たちが毎日開催している「ほないこか、ツウな新世界さんぽ」をご存じでしょうか?

これは、私たちOMOのスタッフ(親しみを込めて『OMOレンジャー』と呼んでいます!)がガイド役となり、ホテル周辺のディープな街・新世界をご案内する、大人気の無料ガイドツアーです 。

ガイドブックには載っていないようなお店や、地元の人しか知らない人情味あふれるエピソードをご紹介する、OMO7大阪の「看板アクティビティ」なんです 。

2025年の万博開催が決まった時、私たちは万博を訪れる国内外のお客様にもっと楽しんでもらうため、「この『新世界さんぽ』で何か特別なことができないか?」と考えました 。

こうして、「新世界さんぽ~EXPO Special~」の開発プロジェクトがスタートしたのです 。

すべては「サブイボ」から始まった

とはいえ、どうやって「新世界」と「万博」をつなげるか…。

チームが頭を悩ませていた、そんなある日。OMOレンジャーの一人である八十田が街で、一枚の手書きの貼り紙を見つけました。

古びた酒屋の軒先。

そこに「小さな万博」という文字が躍っていたのです 。

「これだ!と思いました。全身にサブイボ(鳥肌)が立って(笑)」。 その「小さな万博」とは、今から120年以上前の1903年(明治36年)に、まさにこの新世界・天王寺エリアで開催された「第5回内国勧業博覧会」のことだったのです 。

それは日本の万博の「起源」とも言える歴史的な大イベントであり、今の通天閣や新世界が、その広大な跡地に生まれたという事実であり、これこそが、私たちが万博とこの街をつなぐ「核」となる物語だと直感しました。

「小さな万博って言うな」

私たちは興奮冷めやらぬまま、この物語の裏付けを取るために、大阪の歴史研究の先生のもとを訪ねました。

しかし、先生から返ってきたのは、厳しいお言葉でした。

「あれは『博覧会』であって『万博』ではない。歴史を歪曲するな。『小さな万博』なんていう軽い言葉を使うな!」

あまりにも正論でした。

専門家として、事実の正確性を重んじる先生のおっしゃる通りです。

でも、私たちには諦めきれない「想い」がありました。 「内国勧業博覧会」という少しお堅い言葉では、あの酒屋のご主人が愛着を込めて書いた「小さな万博」というキーワードが持つ、あのワクワクするような響き、地元に根付いたロマンが伝わらない……。

そこから、何度も何度も足を運び、なぜ私たちがこの言葉を使いたいのか、地元の人々がどんな想いでこの言葉を呼んでいるのか、私たちの情熱を伝え続け、歴史的事実の正確性との着地点を探し続けました。

その熱意が伝わったのでしょうか。ある日、先生はこうおっしゃってくださったのです。

「『地元では小さな万博と呼ばれている』という表現なら、使ってもよいのではないか」 飛び上がるほど嬉しかった瞬間です。

これは単なる言葉の妥協ではありません。

専門的な「事実」と、地元で生き続ける「愛称」が、私たちの情熱を介して固く握手した瞬間でした。

すぐにOMOレンジャー(ガイドスタッフ)全員に共有しました。

「これは地元での愛称として伝える、とっても大事なキーワードなんやで!」と。

大阪の「真実」は、地面の下に

ツアー開発はさらにディープに進みます。

「京都なら、坂本龍馬が暗殺された場所には石碑が立っている。1903年の博覧会について、大阪には何もない。なぜだ?」

私たちは、博覧会当時の痕跡(いこう)が、新世界のどこかに残っているはずだと信じました。

スタッフ総出で、何時間も地面を見つめて歩き回り、「かけらでもいいから!」と痕跡を探し続けました。

ですが、結果は「ゼロ」。何一つ見つかりませんでした。 落胆する私たち。

しかし、その時、ある地元の店主がかけてくれた言葉が、すべてをひっくり返してくれました。

「大阪はな、古いもんは全部埋めて、その上に新しいもん作るんや。下見たって何もあらへんよ(笑)」

これだ!と。

これこそが、他の地域とは違う「大阪らしさ」の真実だったのです。

古いものにこだわらず、すべてをエネルギーに変えて新しいものを生み出し続ける街。痕跡が「ない」ことこそが、私たちが胸を張って伝えるべき大阪のアイデンティティなのだと気づかされました。

ツアーのクライマックスはこうして決まりました。

「痕跡は何もありませんでした。でも、100年以上変わらないものが一つだけあります。それは、大阪人の『新しい物好き』です」と。

Episode2.「EXPOつながって展」

「小さな万博」の物語は見つかりました。

でも、その「証拠」がなければ、物語はただの作り話になってしまいます。

私たちは、122年前の貴重な資料をお持ちだという地元の「新世界歴史部会」の扉を叩きました。資料を貸していただけないかと相談をするため。

しかし、返ってきた答えは、やはり「NO」でした。

「122年前の大事な資料や。そんな簡単に貸せるわけがない」

「そりゃそうですよね」と、一度は諦めかけました。

ところが数日後、奇跡が起こります。

部会のメンバー数名が、なんとスーツ姿でOMO7大阪を訪ねてこられたのです。そして、こうおっしゃいました。

「考え直した。あの博覧会はな、当時『人を見世物にした』という批判もあって、歴史から『隠されてきた』側面があるんや。だが、この土地にとって大事な歴史であることは間違いない。この万博の機会に、星野リゾートさんで、もう一度『日の目を見させてほしい』」

サブイボが立ちました。

地元の誇りそのものを託された瞬間だと思いました。

後日、私たちは部会の中心人物である酒屋のご主人のガレージに呼ばれ、そこには、122年前の資料がぎっしり詰まった段ボールが山積みに。

「ここから好きに持っていけ」。

私たちは埃まみれになりながら、一枚一枚資料を精査し、展示する「宝」を選び出しました。

過去と未来の「共創」

ただ、私たちは宿泊者をお迎えするホテルです。

古い資料をただ並べるだけでは、OMO7大阪らしくない。

私たちは、この「過去の宝」を「未来」につなげるアイデアを考えました。

「デザインを学ぶ地元の学生たちに、この資料を作成してもらおう!」

幸い、私たちにはこれまで様々な取組みをする中で築いてきた地元との大切な縁がありました。

スタッフが熱意を持って学校でプレゼンを行うと、学生さんたちは「地元のホテルで自分たちの作品が展示される!」と、目を輝かせて引き受けてくれたのです。

こうして、122年前の資料(過去)と、地元の学生さんたちの瑞々しい感性(未来)が融合した、「EXPOつながって展」が誕生しました。

「すみっこ」の展示が生んだ、奇跡の連携

しかし、完成した展示は、スペースの関係でOMOベースの「すみっこ」に設置されたため、ほとんどのお客様が気づかずに通り過ぎてしまうのです。

「まずい。あれだけ苦労して、地元の方々の想いが詰まった展示が、誰にも見られないのは申し訳なさすぎる……」。

焦った私たちが思いついた、起死回生のアイデア。

「そうだ!『新世界さんぽ』の出発点を、この展示の前にしよう!」 この変更は、劇的な効果を生みました。

ツアーの冒頭、OMOレンジャーが展示を指し示しながら高らかに宣言します。

「皆さま! 私たちは今から、この122年前の歴史の舞台へ出かけます!」 その瞬間、お客様の視線が展示に注がれ、物語を深く理解してから街へと出発していく。

二つのプロジェクトが、まさに「つながった」瞬間でした。

後日、展示会場には、資料を提供してくださった歴史部会の方々が、誇らしげにご自身の資料を眺める姿がありました。

学生さんたちのご家族もたくさん訪れ、「娘の作品がこんな素敵な場所に」と喜んでくださいました。

私たちOMO7大阪にとって万博とは、単なるイベントではありませんでした。

それは、街の記憶を掘り起こし、地域の方々と一緒に新たな誇りを「共創」し、それを未来へ語り継いでいくための、最高の舞台でした。

これからも、私たちはこの街の一員として、皆さまの「知らなかった!」というワクワクを掘り起こし続けます。

「ほないこか、ツウな新世界さんぽ~EXPO Special~」「EXPOつながって展」の提供は終了していますが、この大阪の街をこよなく愛するスタッフが地域の方々と仕掛ける演出があちらこちらにちりばめられています。

ぜひ、私たちの「想い」が詰まったOMO7大阪に、「ほないこか!」と遊びに来てくださいね。

あとがき

「ほないこか、ツウな新世界さんぽ~EXPO Special~」では、新世界の魅力をリアルに伝えるべく私たちには欠かせない、ちょっとユニークなルールがありました。

ツアー内でご紹介する、90年続く老舗喫茶店の「びっくりぜんざい」。

その名の通り、かつて労働者のために丼鉢で提供されていたという、巨大なぜんざいです。

その驚きと感動をお客様に正しく伝えるため、スタッフ全員に「業務として、ぜんざいを食べに行くこと」を義務付けました。

「最初はスイーツを食べられると喜んで行くんです。でも、お餅が4個も入っていて、最後は苦しくなって帰ってくる(笑)。でも、その『苦しさ』こそが、ツアーでのリアリティになるんです」。

この徹底した「体験の共有」こそが、OMOのレンジャーツアーづくりの源泉なのです。

OMO7大阪

ほれてまうわ、なにわ

船の帆で覆われたようなホテルからは、大阪の街が見え隠れ。芝生が広がるエリアは人々で賑わい、湯屋で寛ぐひとときも。ここは大阪の新天地。定番のおいしいもんは鮮やかな料理に仕立て、千客万来お待ちします。ディープな街・新世界や大阪を知れば実におもろい。知ってるようで知らない、なにわにほれてまうこと間違いなし

2025.12.17 更新
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