「界の歴史を塗り替えるような、圧倒的な品格を持つ温泉旅館を、この草津に築く」
星野リゾートの企画開発担当・石井芳明の胸には、誰にも譲れない自負がありました。20年近くの沈黙を経て再始動した「界 草津」のプロジェクト。80メートルのトンネルという結界を掘り抜き、温泉街と湯宿を繋ぎ合わせた彼が、次に挑んだのは宿での草津らしい上質な滞在を実現する「内なる空間」の創造でした。
彼らが追い求める「草津らしさ」の正体とは
「界の歴史を塗り替えるような、圧倒的な品格を持つ温泉旅館を、この草津に築く」
星野リゾートの企画開発担当・石井芳明の胸には、誰にも譲れない自負がありました。20年近くの沈黙を経て再始動した「界 草津」のプロジェクト。80メートルのトンネルという結界を掘り抜き、温泉街と湯宿を繋ぎ合わせた彼が、次に挑んだのは宿での草津らしい上質な滞在を実現する「内なる空間」の創造でした。
「界」がこだわるご当地の魅力を、草津という個性的な温泉地でどのように表現するのか。次に石井が向き合ったのは、「草津らしさとは何か」という根源的な問いでした。それは、日本の温泉旅館らしい繊細さを持ち合わせながらも、強酸性の土壌が放つエネルギーや、ダイナミックな湯けむり、そして地質が生む「錆」の表情に宿る、草津特有の野性味あふれる美しさでした。
「この宿は、草津のエネルギーそのものでなければならない」
石井のその言葉から、界 草津のクリエイティブは、かつてないほど濃密な議論の場へと突入しました。
この難題に挑むために集結したのは、建築家の佐々木達郎氏に加え、テキスタイルデザイナーの須藤玲子氏、工芸を生かした建築素材やアートに多くの経験を有する伝統技術ディレクターの立川裕大氏、ご当地素材のリサーチを担当する南雲朋美氏も交えた「最強のチーム」です。
彼らを、親愛を込めて「草津の錬金術師たち」と呼びたいと思います。彼らの使命は、草津の持つ土着的な野生味を、界にふさわしい「王道の品格」へと昇華させることでした。
検討は地域の伝統的な素材や技法を探ることから始まりました。リサーチの結果、象徴として浮かび上がったのは、「シルク」と「桐生織」でした。しかし、ここで彼らの前に大きな課題が立ちはだかります。
織物にはあまりに多種多様なデザインが存在し、発注側がデザインを指定することも多い産業。単に「桐生織を使いました」というだけでは、ゲストが直感的に草津の息吹を感じるような、本質的な地域性の表現には至らないということを意味していたのです。
自由度が高いからこそ、自分たちは一体何を創るべきなのか。
ここから議論は、草津という土地の本質を根底からひもとく探求へと向かいました。現地でのリサーチ合宿も交え、それぞれが考えるインテリアの在り方をぶつけ合う検討会議は、すでに7〜8回を数えました。
その果てしない検討のなかから、ついに一条の光のようにひとつの方向性が見出されます。
「錆こそが、草津の時間の積み重なりであり、美しさなのではないか」
強酸性の温泉が湧き出すこの地では、金属は瞬く間に腐食し、あらゆるものが「錆」びていきます。通常の建築において、錆は避けるべき、隠すべき劣化の象徴です。しかし、この地の本質を見つめる錬金術師たちの視座は違いました。彼らはあえて、その「錆」の表情のなかに、他にはない独自の美しさを見出したのです。 錆の表情にこそ独自の美しさがあり、荒々しい巨石さえも大地のエネルギーを感じさせる魅力的な素材になり得るのではないか。こうして、草津や白根の過酷なまでの自然の営みそのものを インテリアのモチーフにするという、軸が定まりました。
とはいえ、その「草津らしさ」を具体的な形にするのは困難な道のりでした。空間を彩るテキスタイルに求められたのは、大地のエネルギーを空間にもたらすことであり、重厚で広大な建築空間に対して、決して引けを取らない存在感を生み出すことでした。さらには宿の心地よさを担保する、研ぎ澄まされたモダンな静謐さを伴う「品格あるインテリアの主役」としての圧倒的な役割が課されていたのです。
確かな存在感と「品格のある錆」という、一見すると相反する要求を同時に満たすため、素材や色味の終わりのない模索が始まりました。
草津らしさの正体を探すプロセスにおいて、最も模索を尽くしたのは、客室を彩るファブリックのデザインでした。担当するのは、世界の美術館に作品が収蔵される世界的テキスタイルデザイナー、須藤玲子氏。しかし、その大御所を前にしても、石井の妥協なき追求は止まりませんでした。
「テキスタイルを色や柄として表現するのではなく、素材感や織りがもたらすテクスチャーとして、空間を形作るものにしたい」
「桐生の絹織物には、機械の緻密さがありながら手仕事のような温もりがある。手仕事の風合いと、機械を用いるからこそ実現できるスケール感を両立することによって、新しい表現の可能性を探れないか」
石井は「草津らしい品格とくつろぎ」のイメージを形にするため、納得がいくまで徹底的に議論を交わしました。
会議室のテーブルには無数の布サンプルや糸の束、色見本が広げられ、錬金術師たちによる熱を帯びた議論が幾度となく繰り返されます。彼らはサンプルを手に取り、「これでは、私たちが目指す『品格』に一歩足りない」「もっと草津の湯けむりが持つ、あの力強いコントラストが欲しい」と、妥協なく言葉をぶつけ合いました。
石井の並々ならぬ熱量に応えるように、須藤氏も何度もサンプルの作成を繰り返しました。テーブルに並べられた、織り上がったばかりの膨大なサンプル。それらを実際に手に取り、光に透かしながら「草津の空気」を探り当てる日々が続いたのです。
薄い色のコントラストや素材のテクスチャーの中に、湯けむりの揺らぎを巨大な布として定着させていく。この膨大な試作の過程を通じて、施設全体のインテリアコンセプトが丹念に形づくられていきました。
そして、ついに湯畑の湯けむりが織物で鮮やかに「描かれた」瞬間、会議室には静かな歓声が上がりました。それは単なるインテリアデザインの枠を超えた「真剣勝負」の結実でした。石井の執念とクリエイターたちのデザインや技術が、草津の湯けむりの揺らぎを、群馬の伝統である「絹(シルク)」という上質な素材に落とし込む――。その緻密な試行錯誤こそが、宿に命を吹き込むプロセスだったのです。
客室のファブリックから始まったテキスタイルの思想は、単なるインテリアの枠を超え、界 草津の建築デザイン全体へと波及していきました。
彫刻的な暖炉、廊下を彩る錆染めのファブリック、本館から湯小屋にむかって湯の川をイメージした敷石のアプローチ。テキスタイルのデザインがインスピレーションとなって、建築やランドスケープにも品格と躍動感を両立させるデザインが展開していきました。
その集大成が、ゲストを迎えるエントランスホールである「石の間」です。 大きな吹き抜けで構成される空間は、当初はシンプルな計画でしたが、「草津のエネルギーを表現する」という執念のもと、迫力ある錆石の枯山水が床面に組み込まれ、訪れた瞬間に大地の息吹に圧倒されるような大空間が誕生しました。
界 草津のロビーへと足を踏み入れたゲストを待つのは、草津の湯の独特の色味を表現したビビットな布のカーテンに包まれた空間です。
一方で暖炉ラウンジでは、大きな窓の向こうに広がる木立と、そこから差し込む柔らかな光の傍らに、大判のテキスタイルによるアートワークが、静けさの奥に躍動感を湛えながら寄り添っています。湯上がりの時間、空間に身をゆだねながらゲストが佇むその光景は、かつて石井が思い描いた「理想の温泉旅館」そのものでした。
ここは、一度入ったら外の世界を閉ざしてしまうような高級宿ではありません。80メートルのトンネルを抜けて賑やかな街の鼓動を感じに行き、またこの静謐な空間へと還ってくる。荒々しい大地のエネルギーに触れ、また絹の安らぎに包まれる。その往復を繰り返すたびに、ゲストの心は優しく研ぎ澄まされ、草津という土地の真の魅力に気づいていくのです。
「一泊じゃ、全然足りないよな」ーー暖炉ラウンジの片隅から、ソファでくつろぐゲストの背中を見つめながら、 石井は小さく独り言をつぶやき、満足げに微笑んだ。
江戸時代から続く賑やかな湯治場のイメージが強い草津の地で、知られざる大地の躍動感をモダンな「品格」へと昇華させる。あの激しい議論の末に錬金術師たちが手繰り寄せたものは、単なる美しいインテリアではなく、これからの「界」を象徴する、揺るぎない王道の滞在体験そのものだったのです。

石井 芳明
星野リゾート・企画開発担当。山口県・長門湯本温泉の「界 長門」や、「奈良監獄ミュージアム」など、複数の案件でプロジェクトマネージャーを務める。
界 草津は湯けむり漂う草津の高台に佇む、静謐な温泉旅館。宿と温泉街をトンネルで行き来することができ、街を隅々まで堪能できます。日本旅会席だけではなく、併設している蕎麦割烹では地粉・生粉打ちの蕎麦を味わうこともできます。心ゆくまで草津逗留をお楽しみください。