参加者ゼロの“お荷物ツアー”が「毒きのこ」で予約率70%に大化けした理由

青森県・奥入瀬(おいらせ)渓流のほとりに建つ「奥入瀬渓流ホテル by 星野リゾート」 清流と美しい森に囲まれたこのリゾートには、かつてスタッフから「人気ワースト2」と囁かれるお荷物アクティビティが存在しました。

週に3〜4日は参加者ゼロが当たり前。満員御礼など夢のまた夢。しかし現在、そのプログラムは予約率70%を叩き出す超人気コンテンツへと大化けしています。

その名も「毒きのこさんぽ」。

なぜ、誰も見向きもしなかったプログラムが、これほど多くの人々を引きつけるようになったのか。その裏側には、現場のネイチャーガイドたちの「きのこ愛」と逆転の発想がありました。

始まりは、ある「きのこオタク」の純粋な狂気

話は2016年に遡ります。当時、ホテルのネイチャーガイドだった櫻橋 夢美香(さくらばし ゆみか)は、重度の「きのこオタク」でした。

「昨日まで影も形もなかったのに、朝起きたら突然ニョキッと生えている。そして数日後には跡形もなく消え去る。あの明らかな『おかしさ』がたまらなく面白いんです」 櫻橋はきのこのミステリアスな生態に心を奪われていました。調べていくうちに、プラスチックを分解する種類があることや、土の中に広がる本体(菌糸)が山一つ分の面積に及ぶ巨大な個体が存在することなど、知られざるディープな世界にどっぷりとはまりました。

「この面白さをゲストにも伝えたい!」

その一念から、2017年9月、きのこ観察ツアーを立ち上げました。しかし、当時は地味なきのこツアーに申し込むゲストはほとんどおらず、予約率はわずか20%以下。社内でもぞんざいな扱いを受ける日々が続きました。

きのこの楽園で誓った「アンチきのこ狩り」

普通なら打ち切りになってもおかしくない不人気ぶり。それでもガイドチームがこのプログラムを諦めなかったのには、奥入瀬渓流という土地への強い誇りがありました。 奥入瀬渓流は国立公園の特別保護地区に指定されています。そのため、森の落ち葉や倒木は一切清掃されず、自然のままに残されます。これこそが、きのこにとっての最高の楽園だったのです。

世間一般で「きのこ」といえば、シメジや椎茸のように「食べるもの」として語られます。山に入り、袋いっぱいに採集して持ち帰るのが一般的な向き合い方です。しかし、ガイドチームの思想は真逆でした。

「奥入瀬は採取禁止の場所。私たちは食べるためではなく、ただそこにある自然としてきのこを見るスタンスを貫きたかったんです。食べられるかどうかでしかきのこを見てくれない人たちへの静かな抵抗でもありました(笑)」

人間の身勝手な価値観から離れ、ただ懸命に生きるきのこの神秘的な姿をそのまま体験してほしい。この熱い想いが、不人気ツアーの火を絶やさずに守り続けました。

一文字の「毒」がすべてを変えた会議

転機は2021年。「このままではゲストに見向きもされない。どうにかして尖らせたい」と、チームは会議で頭を抱えていました。

ガイドの視点では、よりマニアックで専門的な知識を深めようとしがちでした。しかし、当時の市場のトレンドに目を向けると、東京の博物館で毒に関する企画展が開催されるなど、「毒」というキーワードが密かに盛り上がりを見せていました。

「ゲストが本当に興味があるのは、詳しい分類よりも、結局『毒があるかないか』じゃないか?」 その気づきから、チームは一世一代の賭けに出ます。ツアーのタイトルに堂々と「毒」の文字を冠し、「毒きのこさんぽ」へとリニューアルしたのです。

この一文字のインパクトは絶大でした。従来のツアーでは素通りしていたゲストたちが、「毒きのこ!?」「なんだか面白そう」と色めき立ちました。キャッチーなネーミングは注目も集め、予約の入り方は激変。一躍「毒きのこ散歩目的」で訪れるゲストを生む人気コンテンツへと変貌を遂げたのです。

「昨日あったきのこが消えている」絶望を、足と経験でねじ伏せたガイド

ツアーを作り上げるにあたり、現場のガイド、とりわけ小林 信輔(こばやし のぶすけ)の「きのことの死闘」が裏にありました。小林は10年以上も奥入瀬渓流を案内し続けている、いわばこの森のすべてを知り尽くした専門家です。

この森を深く愛し、知り尽くしているはずの彼にとっても、ここまで予測不能な「きのこ」という世界に一から向き合うのは、未知の挑戦でした。 ツアー化するにあたり、最大にして最悪の障壁が「きのこの気まぐれさ」でした。数年間ほぼ同じ姿で待ってくれる安定の「コケ」とは違い、きのこは突然現れたかと思えば、瞬く間に姿を消してしまったりと、裏切られることもあります。昨日見事な傘を開いていたお目当ての毒きのこが、翌朝行くと「ドロドロに溶けて、ただの黒い液体になっている」ことなど日常茶飯事でした。

「これではお客様を案内できない。ツアーとしてどう成立させるんだ……」 普通なら天を仰いで諦める局面ですが、小林は違いました。ここから「刑事の地道な聞き込み捜査」さながらの、執念のパトロールが始まりました。

小林は毎日朝夕欠かさずに奥入瀬渓流の森に通い、血眼になってきのこを探し回りました。目ぼしいきのこを見つけると、発生場所、周辺環境、成長具合、当日の天候などを事細かに記録します。同じことを毎日繰り返し続けていくことで、「特定の毒きのこが発生しやすい環境や天候」を頭に叩き込んでいったのです。

何度も何度も森を往復し、泥臭い観察を重ねました。その結果、小林は「高確率で特定の毒きのこに出会える秘密のホットスポット(発生場所)」を渓流沿いにいくつも特定することに成功、さらにはその時々の天候条件や発育状況から「特定の毒きのこの発生状況の予測」もできるようになりました。

「ここに来れば、あいつに会える」

「今ならあいつが一番美しい」

予測不可能だった自然の気まぐれを、地道に足で稼いだデータによって見事コントロールしてみせた瞬間でした。このブレイクスルーにより、運任せの「宝探し」だった散歩は、毒きのこのディープな魅力を安定して提供できる、極上の「ツアープログラム」へと進化したのです。

また何の毒きのこなのかを特定するにも大きな苦労がありました。ゲストに案内するのに毒きのこの名前を伝えたい、ゲストも知りたくなるはずだ。そう考えていた小林らガイドたちはきのこを見つける度に写真を撮り、600ページ超の分厚いきのこ図鑑と見比べて、奥入瀬渓流で見られるきのこを特定していきました。次第に図鑑は付箋でいっぱいになりました。

ただ、その図鑑と向き合う作業は必ずしも報われるわけではありません。どうしても図鑑で見つからないきのこがいくつもあったのです。

そんな途方もない作業をしているときのある日、地域の高名な専門家を招いたが、その先生ですら、目の前のきのこを見て「うーん……これはわからないね」と首を傾げたといいます。それが小林たちの道を開きました。

「専門家がわからないからこそ面白い。日々刻々と変化するこの森の予測不能なカオスを、丸ごと楽しんでもらえばいい!」

こうして毒きのこ散歩は無事にツアーとして誕生し、いまもゲストに怪しくも楽しい世界を紹介しています。

マニアックな世界を、みんなの「面白い!」へ

毒きのこさんぽへの進化により、かつて20%台だった予約率は、直近で70%にまで跳ね上がりました。満員御礼の日も珍しくなくなり、最近では、きのこが大好きな子どもを連れたファミリーが「このツアーのために奥入瀬渓流ホテルを選びました」とやってくる現象まで起きています。

さらに、魅力開発に加わった山舘奈名花(やまだて ななか)は、ツアーに参加できない宿泊者にもその面白さを届けるため、ウェブサイト上で「デジタルきのこ探索マップ」を展開しています。 「毒きのこ」と聞くと怖いイメージになりますが、探索マップはポップでかわいらしいテイストです。「本当はクリックしたら詳細がポップアップする仕組みにしたかったのですが、システムの制約で断念し、アイコンの色分けでかわいらしく表現しました」山舘はそう笑います。

「毒きのこ」という、一見するとおどろおどろしいテーマの裏側にあるのは、奥入瀬の自然を誰よりも愛し、そのありのままの姿を守り伝えようとするガイドたちの、どこまでも純粋で、少し泥臭い情熱でした。

「毒か、毒じゃないか。それすらも人間の身勝手な価値観に過ぎないんです」

人の価値観にとらわれない、ありのままの自然の姿が広がる奥入瀬渓流。ガイドたちの熱い想いが息づく場所がここにあります。

奥入瀬渓流ホテル

唯一無二の渓流ステイ

奥入瀬渓流沿いに建つ唯一のリゾートホテル。渓流が目の前に広がる露天風呂や岡本太郎作の巨大暖炉が印象的なロビーが癒しの空間を醸し出します。「渓流スローライフ」をコンセプトに心から満たされる滞在を演出します。