文・渡部里美さん(CLassism編集長)

なぜ今、『飛鳥・藤原の宮都』が世界遺産に?明日香村村長に聞く「日本の首都」の原点

この原稿が発信される頃には登録が決まっているかもしれませんが、ユネスコの世界遺産に選定されるまでの話は、明日香村の現村長である森川裕一さんに聞くのが近道だと思い、まずは、お会いすることにしました。

飛鳥は日本の始まりの地

森川――ユネスコ世界遺産へエントリーへの話が持ち上がったころ、私は奈良県の職員で、その後、国内推薦が決定しユネスコ世界遺産委員会へ提出されたのは令和7年1月28日、私は明日香村の村長になっていました。『飛鳥・藤原の宮都』は平城宮(奈良)、平安宮(京都)へと続く日本の宮都造営の始まりいわば「日本の始まりの地」であり「首都」でした。そこで奈良県、橿原市、桜井市、明日香村の4つの行政の共同で世界遺産への登録が進められました。

「飛鳥」は6世紀末期に明日香村周辺で、「藤原」は7世紀末、現在の橿原市にはじめて中央集権体制に基づく宮都が誕生したことを示す文化遺産で、いずれも中国・朝鮮半島諸国と日本との間で繰り広げられた政治的・文化的交流と、渡来人による外来文化の導入と日本固有の伝統が融合し開花したものですね。桜井市はどう関わりが?

森川――桜井市には、「飛鳥・藤原」の前時代の文化財もたくさんあるようですが、世界遺産登録を目指す「飛鳥の宮都」に属する「山田寺跡」があります。

天皇(当時は「大君(おおきみ)」と呼びました)が居住する宮殿に政治権力を集中し、周囲に国家を動かすための仕組みがあった。「飛鳥の宮都」そして、大和三山に囲まれた現在の橿原市にあたる「藤原の宮都」ですね。

日本史の舞台「飛鳥の宮都」

森川――飛鳥の宮都以前は、桜井市の『磐余(いわれ)』とよばれる地域などに天皇の宮殿があり、天皇ごとに場所を移動していました。飛鳥寺の建設から「飛鳥」の開発は本格化し、6世紀末から約100年間、豊浦宮(とゆらのみや)を皮切りに、この地に6つの宮殿が作られます。4つの宮殿は飛鳥宮跡(伝・飛鳥板蓋宮跡)の同じ場所に建てられ、国の中心地が固定化し、宮殿の周辺には建物や役所も徐々に整備されたことが発掘調査で明らかになっています。

明日香村にある飛鳥宮跡は西暦645年(乙巳の年)に中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足(後の藤原鎌足)が蘇我入鹿を宮中にて暗殺した「乙巳(いつし)の変(へん)」の舞台でもあり、のちに蘇我氏を滅ぼした政変「大化の改新」の始まりの場として知られていますね。いわば日本の歴史の舞台でした。

明日香村の中心地から車で5分ほどの地に、「星のや飛鳥」開業

「星のや飛鳥」は近鉄吉野線の飛鳥駅の西、牽牛子塚(けんごしづか)古墳に近い真弓の地に建築中です。そこから飛鳥の宮都の中心地である飛鳥宮跡には車で5分ほどの距離。宮殿跡の近隣には聖徳太子が生誕したとされる「橘寺(たちばなでら)」をはじめ、日本初の本格的仏教寺院「飛鳥寺」や天智天皇によって建立された日本初の厄除け霊場「岡寺」、そして蘇我入鹿の祖父蘇我馬子の墓ではないかといわれる「石舞台古墳」などがあり、また、近隣には「奈良文化財研究所飛鳥資料館」や「奈良県立万葉文化館」など見所たっぷりの施設もあります。選定されてから大きな動きがありそうですね。

森川――明日香村には歴史的遺構が、人々の生活である農業やコミュニティの中に溶け込んでいるという、なかなか他にはない独自の特徴があります。明日香村のエリア全域を、じっくりと味わっていただくような来訪を目指したいと思います。

明日香村の森川村長には今後もインタビューを通じ「なぜ星野リゾートだったのか?」などを聞いていきたいと思います。お楽しみに。

2026.05.21 更新
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