文・渡部里美さん(CLassism編集長)

森川村長、星野リゾートと明日香村を語る。

なぜ星野リゾートだったのか?

森川――私は明日香村をただの観光地やリゾート地にしたくなかった。もちろん過度なオーバーツーリズムにもなりたくない。 2015年当時に星野リゾートの担当者とお会いした時、「とりあえずホテルを建てて、地域を開発する」だけの会社には感じなかった。どちらかというと「明日香村に深く身を沈め、何回も来たくなる、ゆっくり過ごしたくなる場所にしたい。そういう宿をつくりたい」というような思いを感じたし、地域をどうつくるかを一緒に考えてくれると思った。明日香法*に対応できるのは星野リゾートしかないと感じ、こちらからお願いしました。

森川――世界文化遺産に選ばれることを見据えて、地域の運営をどうするのかを検討していかなければなりません。明日香村は法規制が厳しく、自治体と開発者(星野リゾート)が一緒にクリアしなければならない課題が多いので、「企業立地に関するパートナーシップ協定」をまずは結ばせていただきました。 そして、第2弾として、持続的な協働の推進を行う包括連携協定に進みました。第3弾は、星野リゾートの運営に関する具体的な内容になると思います。ぜひ、村の住民が心豊かになるような運営にしてほしいと思っています。

渡部――第三弾の協定は、まだですか。

森川――現在、調整中です。開業後の運営の内容が固まるであろう開業の1年前までに協定を締結したいと思っています。

*明日香法:正式名称は「明日香村における歴史的風土の保存及び生活環境の整備等に関する特別措置法」。村全域に厳しい建築・開発規制が課せられており、景観を守りながらの地域づくりが求められます。

早い段階から、世界遺産登録後の仕掛けを考慮。

森川――この地域は、歴史文化と自然との共生で生きるしかないと思っています。私が世界遺産登録後を見据えて動き出したのは、2年前です。2024年9月8日に文化審議会で飛鳥・藤原の国内推薦が決定しました。そして、翌年の年明けに関係省庁会議を経て閣議了解されるのですが、私は10月の時点で、知事に取組案を提案していました。その時はまだA4サイズの紙に1枚程度の内容でした。そこから2ヶ月ぐらいの間にどんどんと増えていき、A3サイズ3枚でも収まらないぐらいの取組案になりました。この取組案の1行1行が、動き出しています。

例えば「トブトリVR」といって、AR・VRを使ったもので説明する取組を、もうちょっと面白くするため、メタバース空間で空から明日香村を見て、興味あるところに下りて見られるような仕組みをつくれないかとか。そういう取組が実際に動き出してきています。

電動モビリティーなど村内の交通手段も考慮。

森川――すでに動き出している取組は他にもあります。飛鳥宮跡周辺は細い道なので、ゴルフのカートのような「グリーンスローモビリティ」で、ガイド付きで史跡の案内をしようと考えました。すでに2026年5月2日から有償運行を開始しています。 このコースは70分で大人1名3000円。万葉文化館の前を出発し、全長5.8㎞の中で5つの世界遺産候補の構成資産をめぐります。このような電動モビリティーに車から乗り換えてもらいたいと考えています。

村に残る、いにしえの景観と歴史。カワズ、ヒグラシ、雪の音。農村風景を五感で感じる滞在を体験してほしい。

渡部――先日、飛鳥川の石橋(飛び石)を見に行きました。あれって当時のまま残っているのですか。

森川――川に石を置いて渡ったというのは確かです。

渡部――この前、ドイツ人二人を石橋で見かけてびっくりしました。欧米の方々は歴史的景観も大切に感じているということでしょうか。

森川――来村の際は、歴史的景観とともに、ぜひ農村風景も味わってほしいです。例えば田植えの時期は水田が水鏡になる。特に満月の夜は美しい。季節によって、朝起きた時の明るさとか音とかで、今は何時ぐらいだとわかる。田んぼに水を入れる前と入れた時で何が変わるかわかりますか。カワズの鳴き声が突然膨らむんです。これは感激です。6月はホタル。ヒメボタルという小さい蛍は、水棲のゲンジボタル・ヘイケボタルと違って陸棲で土手に生活している。光が小さいけど、稲穂にとまるのです。その後、自然の音が夏に変わる。セミの声ですよね。夏の初めになってきたらセミの音に変わって、そのセミも種類が変わっていくわけですよ。アブラゼミからミンミン蝉、そしてツクツクボウシに。晩秋はシカの鳴き声。では冬の音って何でしょう?

渡部――音は、ないけど、しんしんと降る雪ですか。

森川――ないという表現よりも、川の音が吸い取られる感じ。川音が聞こえなくなる時がある。それは雪が降っている時。素敵でしょ。そういう音の変化とか雰囲気の変化。星座も変わる。鼻や耳で感じるもの、風とか音を1年トータルで眺めていけるのが農村の本当のよさで、それを明日香村では五感で感じられると私は思っています。

外来文化を受け入れた中心地

森川――村には天体を描いた星宿図が、7世紀末〜8世紀初頭につくられた「高松塚古墳」と「キトラ古墳」と、2つあるのですが、あの星宿図は4~5世紀頃の天体観測データに基づいている。壁画に描かれた円の位置から観測地を計算すると北緯38度。平壌か北京で測られたもの。それが北緯約34.5度の明日香村に残っている。大陸の科学知識がそのまま伝わっていることが分かります。

森川――日本は海に囲まれた立地で外敵が攻めて来にくい環境なのですよ。663年の白村江(はくすきのえ)の戦いで日本が唐・新羅の連合軍に大敗した後に、なぜ日本まで攻めてこられなかったのか。日本は九州に水城(みずき)と各地に山城を三十以上もつくった。でも大陸側の争いなどが影響し攻めて来なかったわけです。 そういう緊張関係でありながら、『日本書紀』には百済の人たちを2,000人以上受け入れたと記載があります。高句麗が滅びた時も多くの人を受け入れている。

森川――こうした人の受け入れが時代を問わず大切だと私は思っています。 日本は大陸の新しい文化をどんどん受け入れ、固有の文化を醸成してきた。かつての明日香村は、そういった国際交流と文化が華開く歴史の舞台でした。その歴史の深さも多くの方に知っていただきたいと思っています。