お風呂探偵がゆく!

江戸っ子はなぜ、あつ湯好き? 湯温を追いかけたら福沢諭吉にたどり着いた

「温冷交代浴」という入浴法をご存じですか。あつ湯とぬる湯など、温度の異なる湯に交互に浸かる入浴法です。今回は「お風呂探偵」として、湯の温度を追いかけていたら、いつの間にか福沢諭吉にたどり着きました。

あつ湯好きの江戸っ子、外国人が驚いた日本人の入浴習慣、『菊と刀』に描かれたお風呂好き、そして銭湯と人間の平等まで。ちょっと歴史をのぞいたあとは、現代の温泉旅館「界」へ。自分にとって心地よい湯温と、温泉旅の楽しみ方を探してみましょう。

のかたあきこ

旅ジャーナリスト・編集者

「町、ひと、温泉、宿」をテーマに30年、全国を旅しながら情報発信。テレビ東京「ソロモン流」で旅賢人と紹介される。温泉ソムリエアンバサダー、銭湯検定1級、サウナ・スパ管理士、日本茶インストラクターほか資格多数。著書に『温泉街リノベーション』『はじめまして、谷川岳』『手わざの日本旅〜温泉旅館「界」の楽しみ方〜』がある。

温度を楽しむ日本のお風呂

「温冷交代浴」というお風呂の入り方を聞いたことはありますか。温かい湯と冷たい水、あつ湯やぬる湯など、温度差のある入浴を交互に行う方法です。最近、温度の異なる湯船を備える温泉旅館や日帰り入浴施設が増えましたよね。

温冷交代浴は、もともとヨーロッパで温泉療法の一つとして行われ、近年はアスリートの疲労回復などにも取り入れられています。温かいお湯に浸かると血管が広がり、次に冷たい水に触れると収縮する。こうした温冷刺激によって血流を促す効果などが期待されています。(*1)

サウナと水風呂も、温度差を楽しむ入浴法の代表格。「ととのう〜」と気持ちよくなりますが、ここでちょっと注意です!熱いところからいきなり冷たい水風呂へ入ると、急激な血圧変動によって心臓や血管に大きな負担がかかることがあります。(*2)温冷交代浴は無理をせず、温度差を小さくするなど、自分の体調に合わせて楽しむことが大切です。

そもそも湯船に浸かると、温熱作用によって血流が促され、水圧や浮力によって、体への負担も軽くなります。このことは連載第一回でもご紹介しました。
(*1 *2 参考文献『銭湯検定 公式テキスト2』早坂信哉監修)

江戸っ子はなぜ、あつ湯好き?

ここからは少し、お風呂の歴史をひもといてみましょう。まず気になったのが、「江戸っ子はあつ湯好き」。一体なぜなのでしょうか。

「江戸っ子」という言葉が生まれたのは江戸中期頃。熱い湯に何食わぬ顔でさっと入るのが「粋」とされ、熱くても「こんなぬる湯」とやせ我慢するのが江戸っ子だったとか。こんな川柳も残されています。「熱湯好き うぬばかり 情を張り」。あつ湯好きを自慢して意地を張る江戸っ子をからかった川柳です。

また江戸は、城や町の建設、たび重なる火事からの復興のため、全国から多くの職人や肉体労働者が集まった町でした。汗を流して働いた一日の終わりに、熱い湯で疲れを癒す。そんな暮らしも、あつ湯文化を育んだ背景のひとつだったのかもしれません。

さらに江戸最初の銭湯とされる伊勢与市の風呂は、熱気に満ちた蒸し風呂だったといいます。(*3) 江戸っ子のあつ湯好きには、江戸という町の歴史や気質、暮らしそのものが映しだされているようです。
(*3>参考文献『銭湯検定 公式テキスト1』町田忍・米山勇監修)

外国人が驚いた、日本人のお風呂好き

幕末から明治にかけて、多くの外国人が日本を訪れるようになると、日本人の入浴習慣は驚きをもって見られました。どうやら私たちには当たり前のお風呂も、外国人にはかなり不思議に映ったようです。ペリーは『日本遠征記』で男女の混浴に驚き、批判的な言葉を残しています。

一方、幕末に来日したオランダ人医師ポムペは、日本人が健康のために皮膚を清潔に保つことを評価し、著書『日本に於ける5年間』に「誰でも食物と同じく温浴を要求する」と記しました。ただし、湯の熱さには驚いたようです。「摂氏50度は極めて普通」と記し、風呂上がりの日本人を「ゆでた海老」のようだとも表現しています。(『公衆浴場誌』より)(*4)

こうしたなか、東京府も明治5年(1872)には、「熱すぎる湯に入るべきではない」と指導していました。とはいえ長年の習慣はなかなか変わらず、東京では熱い湯が続いていました。(*5) 

時代は下り、20世紀半ば、アメリカの文化人類学者ルース・ベネディクトは、著書『菊と刀』で日本人の温浴を、清潔のためだけではない「一種の受動的な沈溺の芸術」と表現しました。
外国人の目にも、日本人はただ体を洗うためではなく、湯に身を委ねることそのものを楽しむ民族に映ったのだと思います。

(*4 *5>参考文献『銭湯検定 公式テキスト1』町田忍・米山勇監修)

福沢諭吉が銭湯で説いた「平等」

さて、ここで登場するのが福沢諭吉です。福沢が明治初期、東京・三田で銭湯の大家をしていたことをご存じでしょうか。慶應義塾の真向かいにあり、福沢が所有する家屋を銭湯の経営者に貸していました。当時の東京ではあつ湯が好まれていましたが、洋書などから入浴の適温を学んでいた慶應の学生らも通うこの銭湯は、ぬるめだったといいます。(*5)

さらに興味深いのが、福沢が『私権論』で、銭湯を例に人間の自由と平等を説いていることです。士族も平民も同じ湯銭を払い、服を脱げば「身辺に一物なく丸裸」。同じ湯船に入り、そこには上下の区別もない。それなのに、ひとたび外へ出れば身分による上下関係が生まれるのは、なぜなのか。

銭湯という誰もが知る日常の風景から、人間の平等を説いた福沢諭吉。お風呂に入れば、肩書きも身分も関係ありません。お風呂は昔も今も、誰もが同じように湯に身を委ね、安らげる場所なのです。

(*5 >参考文献『銭湯検定 公式テキスト1』町田忍・米山勇監修)

あつ湯とぬる湯を楽しめる「界」へ

さて、最後は現代へ。あつ湯とぬる湯、温度の異なる二つの湯船を楽しめる温泉旅館「界」を紹介します。

まずは長崎県雲仙温泉の雲仙地獄に隣接する「界 雲仙」です。

大浴場には、雲仙地獄から湧く温泉を源泉掛け流しで楽しむ「あつ湯」と、地熱を利用した約100年前からの給湯設備「燗付け」で温度を調整した「ぬる湯」があります。

二つの浴槽に交互に浸かりながら、温度の違いをじっくり体感。鉄や硫黄などを含む酸性泉で、二つの源泉が混ざるため、日によって湯の色が白や褐色などに変化するのも楽しみです。

二軒目は、鹿児島県の霧島連山の主峰・高千穂峰の中腹に立つ霧島温泉の「界 霧島」です。客室棟からスロープカーで約50m下ると、すすき野原に湯浴み小屋が現れます。

内風呂には、源泉掛け流しの「あつ湯」と「ぬる湯」の二つの浴槽があり、温度の違いを楽しみながら交互に入浴できます。湯は少し白濁した弱酸性の単純硫黄泉。

露天風呂では、すすき野原の向こうに錦江湾と桜島を望み、夕日や満天の星、霧など刻々と変わる雄大な景色とともに湯浴みを楽しめます。

自分に心地よい湯を探して

長期滞在の湯治の旅は難しくても、1泊でも温泉旅館に泊まって大きな湯船に身を委ねれば、日常から少し離れて心と体を休めることができます。

自然の恵みから生まれた個性豊かな温泉に浸かり、あつ湯、ぬる湯を行ったり来たりしながら、自分に心地よい湯温を見つける。それも、現代の温泉旅の楽しみ方といえるでしょう。
さあ、次の温泉旅では、あなた好みの「いい湯」を探してみませんか?

ご紹介した温泉宿

界 雲仙

地獄パワーにふれる、異国情緒の宿

長崎由来の文化をデザインした館内は異国情緒が漂う空間。温泉地獄と地続きの宿では癒しとともに活力もみなぎる滞在をお過ごしいただけます。

界 霧島

桜島をはるかに見渡し、湯浴み小屋でうるおう宿

神話が息づく高千穂峰の中腹に建ち、全室から桜島を見渡す開放的なビューが広がる。スロープカーで下りた草原には湯浴み小屋が佇み、霧島高原を見晴らす景観を眺めながら、心身ともに開放される温泉旅館。旬の食材と鹿児島県の名産品である黒豚を味わう和会席をご用意。毎晩開催の天孫降臨の物語を表現した演舞も見物。